#1 ラスト・ダンスV
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宝暦2051年3月31日、大暗黒祭。 暗黒シティ最大の光と闇の催しは、間もなくその一日目を終えようとしていた。 * * * 暗闇を照らすスポットライトが、厚い雪雲に覆われた夜空を過ぎる機動飛空艦の艦影をときおりに映す。 中央地区の外れ。人気のない空中公園のベンチに、クロラット=ジオ=クロックスとカタナ=シラバノは背中合わせに座っていた。 真上に広がる大きな針葉樹のおかげで、その周辺は雪も積もっていない。確かに休憩するにはちょうどいい場所だろうが、どうして並んで座らないのか、それがグレイナインには少しばかり疑問だった。 「楽しかったねー♪」 うーん、と腕を伸ばして、カタナが満足そうに言う。 何かの宣伝であろう垂れ幕をぶらさげた機動艦が、くるくると照明を動かしながら頭上を通り過ぎていった。 「たまにはこうやって、一日遊びほうけるのも悪くないよね。なにしろこの半年間毎日忙しかったからね、クロくん」 「───……そうだね」 どこか曖昧な肯定の言葉を返し、クロラットは手元のコーヒー缶を開ける。ぷしゅ、という、間の抜けた空気の抜ける音。 カタナも同じように手にした缶のプルタブを引きつつ、なおも言葉を続けた。 「この一年間は事件続きで……君とはデートの一回もしたことがなかったからね」 「………………、そうだね」 缶の中身をゆっくりと飲み込んで、同じ言葉を繰り返す。 温かい飲み物が喉を流れていく感覚。なのに身体は温まるどころか、ますます冷えていくような錯覚を覚えた。 「………………」 しばしお互いに無言で缶を煽る。 その沈黙は何となく不自然で、グレイナインは僅かに首を傾げた。 ───だって、それはまるで。 飲み終えてしまったら何か決定的な終わりが待っていて、少しでもこの時間を引き延ばそうとしているみたいに見えたから。 「さて、と」 やけに白々しい台詞と共に、空になった缶を膝の上に置き、カタナは星一つない夜空を仰ぐ。 そして、微かな───ほんとうに一瞬の空白の後。 「────それじゃあこれで、私たちはお別れっていうことでいいのかな。クロくん」 終わりの言葉を、口にした。 「は……?」 呆然と呟くグレイナインを尻目に、クロラットも缶を口から離し。 「………………、そうだね」 変わらぬ台詞で、その別れを肯定した。 しんしんと雪が降る。白く、深く、冷たい雪が、まるで彼らの間にある何かを凍り付かせていくように降り続ける。 見上げた空から、舞うようにひらひらと。 「あの……お二人とも、何を言って……」 「一年前」 理解出来ないとでも言うような笑顔を浮かべたグレイナインの言葉を、クロラットの言葉が遮った。 甦る記憶は、ちょうど一年前の夕暮れの教室。彼と彼女が『パートナー』となったあの日のこと。 「君と交わした約束…… 一つ、ぼくと君が組むのは『 ……そんな記憶が、やけに鮮明に思い出せる。 彼女の笑顔とか、仕草とか。差し込む夕日の眩しさとかも。……考えてみれば当然だ。あの日からまだ、一年しか経ってないんだから。 「どちらの条件も完全に満たされている。ぼく達がいっしょにいる理由は、もうどこにもない」 そう口にする彼の口調は挨拶するみたいに何気なくて、そのくせどこかよそよそしい。 「っ……!? マスタ……!?」 何が、どうなっているというのか。 わけもわからず事態を見守るしかないグレイナインの前で、カタナはベンチから立ち上がった。そっと胸元に手をやり、その下の何かを確かめるように添えた後、 「じゃあね。クロくん」 ぽん、と彼の肩に手を置いて、なんてことないいつもの笑顔で。 明日になればまた会えるような気軽さで、彼女は最後の言葉を告げた。 ―――ぽぉん、と。どこか遠くで、花火が上がる。 「マスタ……!」 またいつかでも、さよならでもない、ただ空っぽの言葉だけを残して、カタナは背中を向けた。 彼女は終始笑顔であったし、今出口へと向かう足取りも潔く迷いない。だけどどうしてだろう、グレイナインは、ふとその背中を───泣きそうだなと思った。 「 待 っ た 」 ───ぴくん、と、彼女の身体が小さく震える。 とうとつにかけられた静止の声は、背を向けたままのクロラットから発せられたものだった。 「そのまま行っていいのかい? ぼくに聞きたいことがあるんじゃないの。 ぼくがまだ君に話していないことが色々あるはずだけど、答えられることならこの場で全部答えておくよ?」 「………………」 ややあって。 カタナはくるりと、苦笑を浮かべて振り向いた。 「いいよ───別にそんなの、言いたくないことは言わなくても。 嘘を教えられるくらいなら何も知らない方がマシってゆーか」 無論、訊きたいことは山ほどあった。だけどこれは、言うなれば彼女の最後の意地だ。 言いたくなければ言わなくていい。それはつまり裏返せば、言いたければいつでも言ってくれて構わないということである。 何があったって、どんなことを言われたって。自分は────カタナ=シラバノは、クロラット=ジオ=クロックスのパートナーであり続けられたのに。 ……だが結局、彼はついぞ自分から、彼女に必要なことは何も話してはくれなかった。 ならばもう何を聞いても聞かなくても同じこと。変わらないならせめて、このささやかな意地を張り通そうと決めた。これは彼女に出来る、彼へのせめてもの意趣返しだから。 「じゃあ特別サービス」 「!?」 「サヨナラ記念だ、今なら聞かれたことは何でも答えてあげるよ。嘘や隠し事一切なし、聞かれたことには全部……」 ────嘘や隠し事、一切なし。 その言葉に、カタナの頭にふとある考えが浮かぶ。どうせもう意味なんてないんだから、何も聞くまいと思っていたが─── 「───じゃあ……一つだけ」 僅かな思案の後、人差し指を立てて言う。 「一つ……? だから聞かれれば全部答えるって……」 「うん。でも一つだけでいい」 何を言わんかやとばかりにベンチから乗り出してこちらを振り向くクロラット。眉をひそめる彼に、なびく髪を押さえて微笑む。 「────私と組んで、後悔しなかった?」 告げられた問いは、ただそれだけ。 「!?────……」 驚きに目を見開くクロラット。ことの成り行きを見守るばかりであったグレイナインも思わず主の方を見る。 「……な、……なんで、そんなこと」 「正直に答えてくれるんでしょ?」 「!!…………」 急かすわけでもなく、カタナはただ静かに彼を促した。 逃げ道を絶たれ、クロラットは言葉を探して沈黙する。何度も何かを口にしかけては躊躇いまた喉元まで出しては引っ込める、そんな長いような短いような逡巡のあと。 「…………こ、……後悔なんて、してないんじゃないかな」 視線を逸らし、背を向けて───彼の口から紡がれたのは、そんなひどくかすれた答えだった。 「君のおかげで財力面での負担は非常に少なかったし……おまけに戦闘でのサポートも的確だった。 非の打ち所は一切ない……これだけ有能な人間と組んで、後悔することなんか……あるはずが……、な…………」 俯いて丸まった背中、何かを押し殺しているような声音、用意された原稿を読んでいるだけのような、どこか上滑りな答え……そしてそれすら最後まで続けられず、いつの間にかひしゃげたコーヒー缶が震えている。 それに、彼女は何を思ったのだろうか。 どこか満たされたような、どこか諦めたような、あるいは何も感じてはいないような、満面の笑顔を浮かべて。 「────ほらね。嘘ついた」 非難するわけでもなく。 ただひどく平坦な声でそれだけを口にして、今度こそ去って行った。 「マスタ!!?」 グレイナインの声にも立ち止まることなく、白い背中は雪景色の中遠ざかっていく。 「マスタ……」 「ヨイショ」 呆然としているグレイナインの背後で、今度はクロラットが腰を上げる。 「先生!? あ、あの……自分……自分、何がなんだかわからなく……」 「それじゃあね、グレイナイン」 助けを求めるような目を向ける彼女に、しかし彼はひょいと帽子を被り突き放すように告げた。 先ほどの様子を微塵も残さない、サングラスの奥のツクリモノめいた瞳。それだけで、もう自分たちは赤の他人なんだと、暗に───しかしはっきりと言われたのがわかった。 「あ……」 呆然とその場にへたり込む。 そんな彼女にももはや関心はないと言うように、クロラットもまた背を向けて夜の闇へと消えていく。わざとらしい鼻歌……そのメロディは、以前一度だけ聞いたことがある。曲名は確か、『夜空の下ふたり』だったろうか。 地面に膝をついたまま、グレイナインはきつくてのひらを握り締めた。 ……もう、本気でわけがわからない。 何がどうなっているのか、とか。どうしてこの二人が別れなければならないのか、とか。 だってこんなのは、もう別れの儀式でも何でもない。 ただのつまらない意地の張り合い。 ────その、あまりの理不尽さに腹が立った。 このひとたちは、こんな自分さえ騙せていない嘘で、相手を騙せたつもりでいるんだろうか。 こんな不出来で歪な嘘を、別れの言葉にするつもりなのか──────! 「────っ!」 ……あぁ、そっちがそのつもりなら、こっちだって知るものか。 あなたたちが勝手にすると言うのなら、自分だって好きにやらせてもらうまでだ。 「────待って下さい」 こっちはぜんぜん納得なんてしてないんだから。このままサヨナラなんて、ぜったいに許さない。 雪の向こう。遠ざかる黒い背中に、声を張り上げる。 「待ちなさい! クロラット=ジオ=クロックス!!」 ……ぴたり、と、彼の後ろ姿が止まる。 冷気を吹き飛ばすような一喝。その余韻も雪の中へ解け消えたころ───黒い背中が、振り向いた。 「────……、まだ何かあるの、グレイナイン」 半身をこちらに向けて、冷めた視線を投げて寄越す。……問題はない。立ち止まりさえしてくれたなら、まだどうとでもなるはず。 彼のそばへと駆け寄って、グレイナインもまた負けじと厳しい目を返した。 「何かあるの、じゃありません。どういうつもりですかあなたは」 「どういうつもりって───何が」 「何が……?」 思わずカチンとくる。 本気でわかってないにしても、わかって言っているにしても、そんな質問はタチが悪すぎる。 ……それでもう腹が決まった。こうなったら何がなんでもマスタのところに連れて行って、納得いくまで謝らせる……! 「決まってるでしょう! あんな───あんなお別れ、自分は認めません!」 このまま別れたりしたら、きっと二人とも後悔する。そんなの誰から見たって明らかなのに、どうして本人たちにわからないのだろうか。 悲しいとさえ思えない、あんな空っぽのさよなら。 「……認めないって、別にグレイナインに認めてもらう必要はないでしょう。 ぼくとカタナがどういう別れ方をしようがそれはぼくとカタナの問題で、君には関係ないことじゃないかな」 「───関係……ない?」 「そう。……だいいち君に、ぼくとカタナの何がわかるって言うんだい? 事情も知らないで勝手な口出しはしないでほしいんだけど」 ……………… だめだ。沸点が低すぎてクールダウンが間に合いそうにない。 「───……って、グレイナイン……?」 そこまで言って、ようやくクロラットは彼女の様子がおかしいことに気付いたらしい。俯いてわなわなと体を震わせるグレイナインをぎょっとして見遣る。 「…………し……」 「し?」 「知るわけあるかぁぁぁぁぁぁ――――ッッッッ!!!!!」 ────マジギレしたグレイナインの怒号が、暗黒シティの夜空に木霊した。 「グ……グレイナイン……!?」 「事情って、それを話してくれなかったのはそっちでしょう! 勝手な口出しはしないでほしい……!? 何の説明もなくいきなりお別れなんて言い出すほうががよっぽど勝手じゃないですか!!」 よほど我慢ならなかったのか、グレイナインは本気で怒っている。 確かに以前、彼らの別れは避け得ないものだとは聞いた。夕陽を背にした歩道橋、 あの時それを納得できなかったのは、彼らに一緒にいて欲しかったからだった。 だけど今は、それが少し違う。今は───自分が、REIDOLLグレイナインが、彼らと一緒にいたいから。 だからこんな、ただ一方的に別れを告げられただけの最後を、納得できるはずがない……! 「だいたい先生はどうしてそうなんですかっ! とんでもなくお人よしのクセに、肝心なことはちっとも話してくれないっ…… それじゃ何のための“仲間”かわかりません! つらいことも苦しいことも、分かち合うから仲間なんじゃないですか!?」 「…………、……仲間、ねぇ……」 糾弾に、しかしクロラットはすでに冷静さを取り戻していた。 嘆息を吐き出しサングラスを外す。────その下の、凍てつく瞳がグレイナインを射抜いた。 「どうも君はぼくのことを勘違いしてるフシがあるけど。 ──── 僅かな淀みも躊躇もない、嘲るようなツメタイ声で言い放つ。 「───な……」 「ただ俺の目的を果たす上で都合がいいから利用させてもらっただけ。 『 出来の悪い生徒をたしなめるような、しかし事実だけを口にする冷然とした口調。 呆然と黒い瞳を見つめ返し、しかしふと頭の片隅で、グレイナインは「彼にしては饒舌だな」なんてことを思った。 「そもそも仲間なんて思ってないんだから、何も言わないのも当たり前。……おまえが何を勘違いしてるのか知らないけどね、俺はもともとこういう人間なんだよ」 吐き捨てるような言葉と共に、吐息が白く煙る。 ズタボロに追い詰められていたシラバノの跡取り娘と、記憶を失くし何も知らないREIDOLL。どちらも利用するには打ってつけの存在である。事実彼女らを騙すのは、この上なく容易なことだった。 零下の声音で告げられる、冷徹な真実。 ────それに。 もう、怒りを通り越して呆れてしまった。 「本気で……言ってるんですか?」 本当に、しんじられない。 このひとは────そんなつまらないことに負い目を感じて、自身の想いから目を逸らし続けていたなんて。 「は……? そんなの当たり前───」 「嘘です」 訝しげに眉をひそめる彼の言葉を、しかしきっぱりと、グレイナインは否定した。 闇色の双眸が不快げに歪む。ここまで言ってなおわかろうとしない彼女に苛立ちを覚えているのだろう。 だけど彼の言葉には、いくつかの矛盾が存在する。利用するためだけにカタナ=シラバノに近付いたと言うのなら、彼女がいないところでまで『パートナー』として振舞い続けたのはなぜ? いやそもそも、どうして彼女と『パートナー』になったのか。 その話を持ちかけてきたのが彼女だったとしても、断る理由はいくらでもあったはず。彼らはそれ以前から長い付き合いがあったのだから、利用するだけならわざわざ『パートナー』という関係を結ぶ必要はないはずだ。 なのに彼は、自ら不向きな殺し合いに参加してまでカタナ=シラバノと『パートナー』で居続けた。 そこにある答え。そこにある想いを。 想像するのは難くない。 「だって先生は……後悔してたじゃないですか」 絶え間なく雪を零す昏い空。のっぺりと浮かんだまるい月が、つかの間に暗黒シティを照らす。 「一緒にいたことを後悔するくらい、マスタのことが好きじゃないですかッ……!」 冷たく澄んだ風が一陣、微かな空隙に薙いだ。 「────な」 動揺を隠し切れない声で、一瞬言い淀んだ後。 「何を───言い出すかと思えば……別にぼ……俺は、嘘なんか言ってない。後悔なんかしてないって……」 さっきと同じ。目の前の少女からも、自身の気持ちからもクロラットは目を逸らす。 それをまっすぐに見返し、グレイナインは言葉を続けた。 「じゃあ先生が嘘を言わなかったとして、それなら逆にどうして 利用するだけならあの場でマスタの望む言葉を言ってあげたって構わなかった。先生が何をするつもりなのかは知りませんが、この後もしマスタの協力を得なければならなくなった時、嘘でもそう言っておいたほうが都合がいいですよね? なのに先生はそうはしなかった。それは、どうしてですか?」 「それは───」 ……それは、だって。 「あのときは……嘘や隠し事は、一切なしだって……」 「でもマスタは先生の言葉を嘘だと言いましたよ。先生の言葉が嘘であれ真実であれ、マスタがそう思われたなら意味がありません。 そのうえ先生の言葉はマスタの聞きたかったことじゃない。これじゃあ何のプラスもないですよね」 「───ッ……」 ……だって、そんなことは。 嘘だって、言えるわけがなかった。 たとえ嘘でも言葉にしてしまったら、もう目を逸らすことができなくなる。 かと言って後悔はないなんて言えるほど割り切ることもできなくて、結局こうして突き付けられている。 「────なら……どうしろって言うんだッッ……!!」 からん、と乾いた音を立てて、サングラスが地面に落ちる。 クロラット=ジオ=クロックスの、それは軋むような叫びだった。 自覚するわけにはいかなかった。十年前のあの日からこの身を支え続けた積念を、そんなことで放り出すことができるはずもない。 なのに彼女との日々は、ともすればその目的さえ忘れそうになる。ふと彼女を利用しているなんて事実のほうが、よほど悪い夢ではないかと思わせるほどに。 それを、必死で押し殺してきた。目を背け続けてきた。 認めるわけにはいかない。積み上げてきた計画の達成を目前に、今までの自分を裏切ることなんて出来るはずもない。 ……だって、どんなに愛しくても。 その先にあるのは、避け得ない別離だけなのだから。 「どうせいっしょになんていられないし、何も残してなんかやれないんだよ! だから一年で終わりにするって決めたんだ! 手に入らないならせめて自分の目的くらいは果たそうとして何が悪い!? ……そのほうが……きっとお互い、傷が少なくて済むっ……」 愛しいものを奪われるのはもうごめんだ。だから失う前に手放そうと決めた。 なのにその一年は、別れ難い想いをよりいっそう強めるだけのものだった。 ────あぁ、くそ。これじゃ、ほんとうにカッコ悪い。 どちらにも徹することが出来ず、後悔だけが山積みになってる。あんな女、好みでもなんでもないのに……それがどうして、こんなにも大切になってしまったんだろう。 『───それじゃあよろしく。今日から私たちは、同じ夢を追いかけるパートナーだね』 ……本当に、ばかげている。少しずつ組み上げてきたパズルの、その完成は目前だって言うのに。 「……俺には……あいつを助けてやることなんてできない……! そのうえ果てに待ってるのは、どうしようもない別れだけなんて……それじゃあ何の意味もないじゃないか───!!」 そう。思い返せば、ジャッジの言葉は正しかったのだ。 出会うべきではなかった。 こんなことになるのなら、クロラット=ジオ=クロックスはカタナ=シラバノには関わってはいけなかったんだ──── 降り続ける雪が、彼の独白を白く飲み込んでいく。 共にいる理由も想いやる意味すらないと罵るように吐露する青年は、しかしここに至ってなお彼女を気遣っていた。 必定の別離が彼女にもたらす、大切なものを奪われる痛みを。笑いながら泣くしか出来なかった少女を助けられない無力を、まるで自らの責であるかのように感じている。 名前の付けられないその想い。いや、あるいは名前を付けることすら無粋に思われるやさしさ。 ……ほら。やっぱり先生は、いつもの先生じゃないですか。 それが何より嬉しくて、同時に少しだけ悲しかった。 だってそんな先生が、彼女と出会えたことさえ後悔している。そこに何の意味もなかったと拒んでいる。 ────そんなもの。彼らの間にあるこのキレイな想いの前では、どれほどの価値があるって言うんだろう。 「……意味が、いりますか?」 静かに。 そして、心から。 呟いた言葉に、クロラットが息を止める。 「ひとを好きになるのに、意味がいりますか?」 少なくとも彼女は。REIDOLLグレイナインは、そんなものが必要だとは思わない。 ただ彼らに出会って彼らを好きになって、好きになってもらえて───同じ夢を見て共に過ごした日々は、楽しかったし、嬉しかったし、幸せだった。どんな宝石よりも、この暗黒シティに眠るすべての秘宝よりも価値があると、胸を張って信じられるかけがえのないもの。 ……なら。それ以上に必要なものなんて、いったいどこにあるのだろう……? 「自分はREIDOLLですから、よくわかってないのかもしれませんけど─── でも、そんなの悲しいと思います。意味なんかなくったって────ひとは、それでも誰かを好きになるんじゃないですか……?」 そこに何の意味もないとしても、眩しいものはきっとある。 たとえば、そう。 茜色の教室で、ふたりで眺めた夕陽とか。 風に揺られるカーテンとか、きれいに剥けたりんごとか。 ふたりが三人になった夜に、舞い降りてきた粉雪とか。 しゃがみ込み、グレイナインは地面に落ちたままになっていた彼のサングラスを拾う。少し雪に濡れているけれど、どこも壊れてはいない。 軽く拭いて、彼女はそれをクロラットの顔にかけた。 「───……!」 「……会いに行ってあげて下さい。マスタに」 ────たとえば目の前の、貧弱非力でマイナス思考でサングラスが似合ってない、かっこわるいヒーローとか。 そんな彼でも、きっと誰かにとっては「王子さま」であったに違いないのだから。 「きっと間に合います。だからちゃんと、マスタとお話してきて下さい。 このままお別れしたって後味悪くなっちゃうだけです。先生もマスタも───伝えなきゃいけないことが、まだたくさんあるはずですよね?」 「…………そう、だね」 クロラットを励ますように笑顔を浮かべるグレイナインに、彼は躊躇いながらも小さく頷く。 サングラスの奥で閉じられた瞼が、もう一度開かれたとき───その目はいつもの、見慣れたクロラット=ジオ=クロックスのものだった。 「……少なくとも、謝らないといけないことがたくさんあるな。許してもらえるかはわからないけど」 「何言ってるんですか」 思わず苦笑する。この先何があったって、それが杞憂であることだけは間違いないのに。 「マスタはそんなの、ちゃーんとわかってますよ。 ────だってカタナ=シラバノは、クロラット=ジオ=クロックスのパートナーなんですから」 そうでしょう?と訊ねる少女に、クロラットはしばし呆然としたあと、───それもそうだ、と笑った。 「あぁ。────そんな簡単なこと、どうして忘れてたんだろう」 これ以上なくシンプルで、何よりも確かな保証がある。 根拠の一つもありはしない、けれどそれだけで何の心配もいらないと信じられる絆が、この胸にはあった。 ならばもう。 迷うことは、何もない。 「うん、───今は、カタナに会いに行くよ。とりあえず謝って、パートナー解消は一時取り消しにしてもらおう」 あぁ、それがどんな光景か、なんだか容易に想像できるなぁなんて。 惜しむらくは自分は、その場でそれを見ることが出来ないということ。 「はい、後のことは後で考えましょう。もしかしたらすごい奇跡が起こって、お二人が別れなくてもすむようになるかもしれないんですから!」 「奇跡───ね。この暗黒シティでそんなものお目にかかれる気はしないけど」 だが存外その言葉は、口にしてみれば悪い気はしなかった。 そんな都合のいいものをあてにする気はないけれど、まぁ、絶対に起こらないとも言い切れまい。何しろすべての秘宝の中心、『 「ま、ともかくグレイナインも、もうしばらくはよろしく頼むよ。 『 「はいっ!!」 力いっぱい嬉しそうに頷くグレイナインに、いくらか心が軽くなる。 記憶を失ったREIDOLL。ただ素直に好きなものを好きと感じ、悲しいことを悲しむことが出来る、その純粋さがあるからこそ見えるものもあるのだろう。 その彼女が、しかしふと顔を強張らせ、やがて決意を込めた目で彼を見る。 疑問符を浮かべるクロラットに、グレイナインは彼を見据え、強い声で訊ねた。 「その前に、聞かせて下さい。────先生が『 * * * テレスコープの向こうには、黒いコートの青年と長い黒髪を二つに結った少女が見える。 彼らはしばし何やら揉めた後、固い表情で話し込んで、やがて男の方は少女と別れ公園を出て行った。 少女もまたしばらくその場で彼を見送っていたが、その姿も見えなくなったころ、おもむろに顔を引き締め中央地区へと通じる空中回廊を走り抜けて行く。 「フム……クロラット=ジオ=クロックスとカタナ=シラバノの決裂───と思いきや、意外な展開になってきたな」 その様子を、クインス=レイシードとカグヤ=バンブトリノは上空を飛行する機動戦艦の縁から眺めていた。 「これも『彼女』の意志なのか、それとも……ってトコかね」 抱えた大量のポップコーンをもしゃもしゃと頬張りつつ、クインスは暗黒シティの夜景を見下ろしながら呟く。 「さぁどうでしょう───なんにせよ、人生というのは思惑通りにはいかないから面白いものですけれど」 「……言ってることには同意だが、お前が言うか」 いけしゃあしゃあとのたまって、クインスのポップコーンをつまむカグヤに彼女は思わずジト目を送る。しかしカグヤと言えば素知らぬ顔で無意味に優雅にポップコーンを咀嚼すると、覗いていたテレスコープを下げて言葉を続けた。 「さて、いずれにせよナイツも残りわずか。祭りもここからが本番ですか」 「………………」 何か言いたそうな顔でこめかみを引き攣らせるクインスだが、ふと目にしたものに表情を変える。 「ああ……そうだな」 はるか下、中央通を行き交う人波が点ほどに見える上空の、そのさらに上を飛び行く艦影。漆黒の空に穿たれた穴の如き月のもとを、武装盗賊団『空虎』の機動兵器郡が飛行していた。 「賑やかな祭りになりそうだ……」 |
/"brilliant tales" Episode #1「夢の終わり、偽りの想い出」Closed. and to be Continued Next Story. |