#3 大暗黒祭二日目T/グレイナイン
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宝歴2051年4月1日、エイプリルフール。……大暗黒祭、二日目。 暗黒シティ中央地区の巨大ホール『エイデン』では、市長軍による『 ドーム状の『エイデン』の座席はすべて埋まり、集まった人々はかの至宝開帳の瞬間を今か今かと待ちわびている。光と熱気に支配された会場の中央では、四獣王第二位ユニックス=F=オディセウスが司会として立っていた。 「それでは長らくお待たせいたしましたーっ! 『 マイク越しに響く声に、当然だ、早くしろ、という野次とそれを上回る歓声が沸き起こる。 「それではお待ちかね───……『 ユニックスの声と共に、スポットライトが幾重にも舞台の中央へと集まった。 轟音を上げて二つに割れていくステージ。息を呑む観衆の前に、『 ───醜いとも美しいともつかない、背反する二つの価値観を同時に持ち合わせた凄絶なフォルム。 眩むほどの光の中に現れたそれは、或いは天使になり損ねた怪物のようにも見えたかもしれなかった。 「そして続いて登場するのは、『 ステージ東の出入口に、カシャリとライトが当てられる。高らかに右手を掲げ、割れんばかりの歓声に包まれた場内にジャッジ=アンダクルスターが歩み出た。 「………………」 悠然とウイニングロードを進みながら、彼の脳裏にこの十年のことが思い出される。 ……そう、すべてはこの日のためのモノだった。ナイツなどという組織を作り上げたのも、250人もの人間を殺し合わせたのも、すべては『 NKプログラム・DG再構成計画───それは文字通り、この地から ことの真贋はさして重要ではない。ようは、同じ機能を果たしさえすればいいのである。贋作であれそれが本物と変わらないのなら、それこそが真作。それこそが『 彼とて最初は、こんな途方もない計画がうまくいくとは思ってはいなかった。十年の歳月を費やし、必要な犠牲を厭わず、至宝へと到達する ───とうとう……ここまで来たか…… 確かに感慨深くはある。達成感もないわけではない。 だが、どこか空虚だった。 何かを見失ってしまったような、自分の求めていたものは、こんなものではなかったようなつまらなさ。 そして都合がいいことに、その不愉快さを擦り付けられる偶像があることを、彼は知っている。それがいっそう不愉快で、彼は唇の端を歪ませた。 カツンと音を立てて、ライトに照らされた道を踏み鳴らす。 『 「────……? なんだ天の騎士、君は邪魔はしないのかね」 些か意外そうに、しかし彼には背を向けたままジャッジはユニックスへと言葉を投げた。 「ハァ……邪魔? そりゃまたなんで……仮にもあんたの私兵である俺がどうして。あんたの馬鹿息子じゃあるまいし」 「ほう、ぼくの思い違いだったかな? 確か君はクロラットの親友だと聞いていたのだが……」 一瞬の沈黙。ともすればただ息を吸い込んだだけとも思えるほどの間の後、ユニックスは大げさに肩を竦めた。 「親友? ……まさか、俺に友達なんていませんよ。 あんたも知ってるでしょう、俺の悪評は……暗黒シティに住んでる奴で俺の天の騎士伝説を知らない奴はいませんからねぇ」 ─── 市長軍一の嫌われ者であり、天使の衣を着た悪魔と誹られるもの。 「邪魔はしませんよ……決してね」 薄い笑みさえ含んだ声音が、背中越しに聞こえる。それを鼻先でいなし、市長は聳え立つ皓い機体───『 十年越しの悪夢の果て。人材や公共施設など、支払った代償はけして小さなものではない。だが、ここにようやく悲願は成った。“コレ”を手にし、ジャッジ=アンダクルスターは『 「────まぁいいか。ひとまずこれで全てに 『支配者の右腕』が燐光を放ち、触れたものを御する腕が『 * * * 吐いた息が白く燻る。 手にした刀がカチャカチャと煩い。 体の芯から来る震えは寒さによるものか、それとも武者震いか─── ……軽く頭を振り、浮かんだ思考を振り払う。 いずれにせよ、自分のすべきことが変わるわけではない。堅い通路を踏み鳴らして進む。 一歩。膝が震える。 一歩。眩暈がしそうだ。 一歩。呼吸の間隔が短い。 一歩。 ───それでも、引き返すわけにはいかない。 通路の先には光が見える。あの光こそが、 最後の一歩。 光を抜け、大きく息を吸い込む。 ──────さぁ、出番だよグレイナイン。真の主役がいなくては、舞台は締められないのだから。 * * * 「────異議あり!!!!」 朗々とした声が。 歓声に包まれた『エイデン』に響き渡った。 今まさに至宝へ届かんとしていたジャッジが止まり、ユニックスのマイクが地面に落ちる。 突然の乱入にざわめく観衆の中、なお響く声音で言葉は続く。 「好き勝手はそこまでにしてもらおうか、ジャッジ=アンダクルスター。 貴様をそれに触れさせるわけにはいかない。……たとえそれが本物の『 ───かつん、と。 階段を踏む音が聞こえる。 「おまえがそれを使うことを──── 黒い髪が翻る。 エイデンの外、裏口で警備を続けているファンエンとトモエの下にも、その声は届いていた。 「……始まったか」 爪を噛み呟くファンエンの傍らで、少女はただ祈る。────たとえ、祈るべき神さえも、どこにもいないとしても。 呆然と、ユニックスは階段を踏みしめステージへと降りて来る人物を見上げていた。 確かに乱入者が現れるだろうことは予想していたし、そのための手筈もすでに整えていた。だがそれは、おそらくは空虎の首領たるかつての同僚か、つい先方市長が口にした彼であるはずだ。 しかしこうして現れたのは、そのどちらでもない。こんな登場人物は、誰も予想し得まい。 一瞬の困惑のあと───クク、と、彼は低く笑いを噛み殺した。 「そうさ───邪魔はしないぜ、決して……」 手にしたスイッチをかちりと押す。 スポットライトの一つが点り、パッと東側の階段を照らし出した。 さぁ観客たちよ、刮目して見よ。 胸に“9”の文字を飾った、この少女こそが今宵の主賓。 「下がれ大根。───それを手にするには、貴様は少々役不足だ……!」 ────No.250(委託) REIDOLL グレイナイン──── [ CLASS:主人公(真) NP:5,300 LANK:A ] 青いドレスに不釣合いなシルクハットを被った少女が、歯を食いしばりそこに立っていた。 「この馬鹿げたゲームも、 静かに言い放ち、グレイナインはステージの東───ジャッジとはちょうど反対側から、ゆっくりと中央へと歩いて来た。 「……貴様……ドリムゴードシリーズの9番機か……? なぜ貴様がここにいる。クロラットはどうした!?」 予想外の人物の登場に、ジャッジは不愉快げに叫ぶ。それに、彼女はくすりと苦笑を浮かべて帽子を脱いだ。 「わかりませんか市長? あなたごときの相手は自分で充分、先生が出るまでもないっていうことです」 言って、グレイナインはすらりと手にした刀を抜く。 鞘から覗いた刀身が、照明の光を撥ねて鋭利な輝きを放った。 「クク───まさか貴様、それでぼくと戦おうってハラじゃないだろうな? 図に乗るなよREIDOLL、暗黒シティ市長に貴様ごときが挑めると思うな───!!?」 迎え撃つ市長の口上が、驚愕に塗り替えられる。 対峙したグレイナインの姿が一瞬でかき消えたかと思うと、次に彼の目に映ったのは、自らに迫る剣閃であった。 視認さえ難しい一刀。事実、ジャッジはそれを視ただけである。反応するなどはるか先の話、一条の銀光は的確に適切に、ジャッジ=アンダクルスターの四肢を切断していた。 観衆にどよめきが起きる。 「────────な」 愕然と呟いたのは、───しかし、グレイナインの方であった。 「なかなかいい太刀筋だ。……だが惜しいかな、やはり君では役不足だ」 スポットライトの光の下、まるで何事もなかったかのように、ジャッジ=アンダクルスターが立っていた。 「そんな───なんで」 「ラストバトルがあっけなく終わってはつまらないだろう? そういうことだよナイン」 驚きに目を見開くグレイナインに、市長はあくまでも泰然自若とした態度を崩さず答える。 彼らの位置関係は反転しており、手には確かにその四肢を切り落とした感触が残っている。先ほどの一撃は、まぎれもなく現実にあったはずだ。時間逆行ではない。ならばなぜ、市長は傷一つ負うことなくそこにいるのか。 「おいなんだ、今何が起こったんだ?」 「あの人形が市長に斬りかかったように見えたぞ」 「───? でも市長生きてるじゃん」 「じゃあかわしたんだろ」 「そう言えばかわしたように見えたような」 ざわざわとどよめく観客の言葉が、まるで見えない糸に誘導されるかのように、都合のいい見解へと収束していく。 眉を顰めるユニックスの脳裏を、ふといつかの記憶が掠めた。……そう、確か以前にも、これと同じような違和感を覚えたことがあった気がする。 『───なぁクロックス、俺、嘘ついてなんかいねーよな───』 何も間違ってなどいない。おかしいことなど何もない。けれど何かがズレているような、どこかで辻褄が合わないような……それは本来ならば、登場人物が気付いてはいけない“綻び”だ。 「ラスボスって言うより、タチの悪いゾンビじゃないですか。潔く死んでおけば可愛げもあるでしょうに」 体勢を立て直し、再び剣を構えるグレイナイン。 一方ジャッジは自らの勝利を確信しているのだろう。一撃を放ち隙だらけのグレイナインに攻撃を加えるでもなく、彼女を迎え撃つでもなく、変わらずそこに立ったまま余裕の表情を浮かべていた。 「クク、威勢だけは一人前だな。だが何度やっても無駄だぞ、 「────────」 言葉を返すことなく、彼女はひたりと刃を向ける。 死亡時の自動 だがたとえこの暗黒シティであっても、死者の蘇生は奇跡の業だ。奇跡に代償が必要である以上、それは決して無限ではないはず。 ならば何度でもやってやろう。一撃では倒れないと言うのなら、倒れるまで殺し尽くす。 ……どこからか聞こえる轟音。大気を振動させる地鳴りが、祭囃子のように近付いて来ていた。 「───ハァァァァッッッ!!!」 裂帛の気合と共に剣閃が疾る。 牽制など皆無、ただ急所のみを狙った斬撃。殺すと決めたならば確実に、一撃で命を止めなければならない。 ゆえにその一刀は、狙い違わず市長の首を切り落とす───! 「────さて。君は気が付いているだろうか?」 ざん、と。 確かな手応えをもって、グレイナインの振るった刃は彼の首を通り───その後には、やはり当然のように、変わらぬジャッジの姿があった。 「こッ……の、本気で気色の悪いっ……!」 振るった刀をくるりと翻し、その両足を断ち切るグレイナイン。そのまま背後へと跳んで、再びジャッジとの距離を取る。スポットライトの下、対峙する市長は、依然として健在であった。 「く───」 「そう、 地面を蹴り、グレイナインは再び市長へと肉薄する。 狙いは人体の核たる心臓。迅速で振るわれた刀は、どん、とジャッジの胸に突き立ち、 「───すぐに元に戻されてしまう」 「──────!!」 その胸を貫かれたまま、彼は血を吐くことすらなく言葉を発した。 ブン!! 輝きを放つ右手が頭蓋を握り潰さんばかりの勢いで振り下ろされる。咄嗟にそれを紙一重でかわし、再度、グレイナインは大きく後ろに跳んだ。 地響きの音は、ますます大きくなっている。大地と大気の振動がビリビリと肌に伝わってきた。 「……大したものだ。その運動性能、伊達にドリムゴードシリーズの完成機であるわけではないということか」 シラバノきっての大天才、ケン=シラバノによって開発されたDG再構成計画サポート用REIDOLL『ドリムゴードシリーズ』。 その役割上機体には高いスペックが要求されるが、それを差し引いても今の彼女の戦闘力は異常だった。 そもそもナインが如何に優れた機体であろうと、REIDOLLドリムゴードシリーズ干渉プログラムのサポート無しにはその能力を引き出す術がない。……あの高速道路上の一戦により失われた、本来の彼女の在り方。 だと言うのに、今の彼女の力は圧倒的である。仮にも暗黒シティ市長にしてNo.100ナイツたるジャッジが反応さえ出来ないとはどういうことなのか。REIDOLLとは基本的にヒトよりも優れたモノであるが、ここに現れてからグレイナインが見せた力は、戦闘用REIDOLLのそれさえ凌駕している。 これほどの人形、いくらケン=シラバノと言えど作り得るはずが──── 「……そうか、その剣。どこかで見た覚えがあると思ったら、 グレイナインの手に握られた一振りの刀。ジャッジは小さく舌打ちし、鍔に刻まれた“源”の一文字を睨み付ける。 ─── だがそれは文字通りの諸刃の剣である。潜在能力を引き出すとは即ち、所有者の持ち得る最高のポテンシャルをはじき出すということだ。そこに、肉体の限界は考慮されない。 本来ヒトの身体は常に100%の力を発揮できるようには設計されていない。それはもちろん、ヒトを模したREIDOLLとて同じことである。 それをこの剣は、120%にまで引き上げるのだ。正しい剣の担い手であればそれを御することも出来るだろうが、彼女は所詮一時的に借り受けただけの使用者。そのような過負荷に耐えられるはずがない。 事実、すでに彼女の回路の一部は、限界を超えた身体の酷使にオーバーヒートを起こし始めていた。 「───正気か? そんな 貴様が壊れるのが先か、ぼくが倒れるのが先か……そんな分の悪い賭けをするつもりか?」 「……………………」 はぁ、と、胸に溜まった熱を吐き出すように、息を整えるグレイナイン。 ……あたまのおくで、ばちばちと火花が散っている。戦うための機能を維持するために、必要のない部分はカットしていく。 「……さぁ。分が悪いかどうかは自分にはわかりませんし、正気なのかもわかりませんね」 本当は。 必要じゃないものなんて、自分には何一つない。 グレイナインはそのすべてで、彼らとの日々を過ごしてきたのだから。それは余分なものかもしれないけれど、少しも不要なんかじゃない。 だけど、それでも今は、負けられない。立ち止まるわけにはいかない。 「そんなの、些細な問題なんです。ただ単純に、自分はあなたには負けるわけにはいかない」 そう、ただ単純に。 まもりたいものがあるだけ。 「───自分は、先生とマスタが好きですから。あのひとたちが見た一度きりの夢を、守りたいんです」 つらいことも悲しいことも、後悔したことだってきっとたくさんあるだろう。それでも一度も振り返らずに、その夢を追い続けてきた。 ……だから、せめて最後には、その夢が輝けるものであるように。 それが、REIDOLLグレイナインの夢でもあるのだから。 「ク───ハッハッハッハ!! なるほど、それなら確かにぼくを倒すしかあるまい!」 「……えぇ、昔からよく言うでしょう? ───人の恋路を邪魔する人は、馬に蹴られてなんとやらって」 ひときわ大きな揺れが『エイデン』を襲う。 明らかな異変に、すでに観客の大部分は避難を始めていた。 四獣王の緊急招集を報せる携帯のコール音がけたたましく鳴り響く中、ユニックスだけがその場に留まったまま、彼らの演舞を見つめていた。 ユニックスにとって、この戦いはおよそ尊いと思えるようなものではなかった。彼には『 報われるかどうかも知らぬユメのため、互いに互いを否定しあう。それすら人形の剣は市長に届くことなく、市長の右手は空を切る。そんなもの、もはや殺し合いとも呼べはしまい。 児戯に等しい滑稽さ。 だが、それを────自分は、知っているのではなかったか。 ────いつか、守りたいと思ったものが、あった。 無様でも、見返りなんてなくても。なおがむしゃらに進んで行くその姿を────ユニックス=F=オディセウスは、笑うことなどできはしない。 「───あぁ、そうだったなクロックス。 お前のそばには、そういう奴がいるのがいいよ」 くくっ、と小さく笑いを漏らし、ユニックスはしつこく鳴り続けている携帯電話を取った。 「はいはいこちらユニックス=F=オディセウス、市長軍所属階級は───」 『もう、何を呑気なことを言ってるんですか!!』 出た途端、トモエの怒鳴り声が受話器の向こうから鼓膜を叩く。背後からは地鳴りと何かが崩れ落ちる轟音が聞こえた。 『今街は大変なことに───く、このッ……!』 じゃぎぃっ!!と、耳障りな音が撒き散らされる。間近に破砕音。何かと交戦中であることは、容易に想像が出来た。 『トモエ将軍、ぼさっとしていると危険ですよ』 『わかってる……! とにかくユニックス将軍も早く来て下さい! もう中央地区───いえ、暗黒シティ中に───』 「わかったわかった、すぐ俺も出る。けどいったい何なんだ? ホムロか?」 切迫したトモエの声を遮り、『エイデン』の出口へと向かいながら口早に訊ねる。 この状況で四獣王がスクランブルを受けるような相手と言えば、ホムロ率いる『空虎』が真っ先に思い浮かんだ。だが、それにしては妙である。それに先ほどからずっと続いている、この地鳴りはいったい─── 『いえ、空虎ではないんですが……その、私にもよくわからないんですけど……』 歯切れの悪い声。彼女はしばし口ごもった後、やがて意を決したように、ぽつりと受話器の向こうで呟いた。 『……『 * * * 誰もいなくなった『エイデン』で、死闘はなおも続いていた。 グレイナインの剣は幾度となく市長を捉えているものの、彼は一向に倒れる気配がない。対してグレイナインは霊剣の使用による負荷で内側から破壊されていく。 勝敗は、すでに決していた。いやそもそも、これは勝負にすらなっていない。 ジャッジが一切手を触れずとも、このまま彼女は勝手に自滅するだろう。もはやいたるところで回路が焼き切れ、自動修復機能すらまともに働いてはいまい。 その彼女に、ジャッジの言葉が追い討ちをかける。 「────間違いなのだよナイン。あれらは、出会ってはいけなかった」 冷淡な言葉は、彼女という存在意義すらぐらつかせる。 彼らの出会いが間違いであったと言うならば、それは即ち、自分と彼らの出会いも間違いであるということだった。 「では問おう“グレイナイン”。───貴様に、カタナ=シラバノが救えるか?」 刃が疾る。 一息の間にジャッジ=アンダクルスターの身体を三度切断するはずの剣戟は、しかし彼にかすり傷一つ与えることなくその身を通り過ぎた。 「答えは否だ、あの女にはもとより救われる余地がない。 カタナ=シラバノは初手からして詰手だ。どれほど足掻こうと、あの女がカタナ=シラバノである限り、あの女は救われない」 踏み込んでくるジャッジ。回避を必要としないがゆえの突進に、反応が一瞬遅れる。 「く───!」 刀を振り抜いたままの体勢から強引にそれを避けた。鼻先を掠めていく『支配者の右腕』。無茶な回避行動に彼女の身体は悲鳴を上げ、 ────がん、と横殴りに走った衝撃に、今度こそ目の奥に火花がはじけた。 「ぁぐっ────!?」 右手での攻撃を避けられたジャッジが、勢い任せにグレイナインを蹴り上げたのだ。 たまらず吹き飛ばされるグレイナイン。なんとか着地に受身を取ろうとするのだが、理不尽な命令を送る人工知能にとうとう神経回路の一部が根を上げた。 「ッ────!!」 転げるように地面に倒れ込む身体。────それを、彼女は気合で持ちこたえた。 ざしゃあぁぁぁぁぁっっ!!! 派手に床を擦りながら、それでも辛うじて足で着地する。それでさらに幾つかの回路がショートを起こしたが、倒れてしまうよりはマシだった。 「はッ……───ぁ……!」 結んだ髪の片方が、解けてばらりと肩に落ちる。 ジャッジからの追撃はない。彼は相変わらず悠然と構えたまま、哀れみと蔑みの混じった目を彼女に送っていた。 「たいした忠誠心だ。……だがもう一度言おうナイン、アレらの出会いは間違いだった。 カタナ=シラバノは暗黒シティのあらゆる罪と罰を背負わされた十字架だ。そんなモノと関わればどうなるか───今の貴様自身が、何よりも証明しているだろう」 構わずすぐに攻撃へ。 今なお初撃と変わらぬ速度で撃ち出される斬撃は、しかし初撃と変わらず無意味に終わる。それでも彼女の猛攻は止まらない。さらなる斬撃を繰り出しながら、ジャッジの右手をギリギリでかわし、そして霊剣の負荷によって自ら傷付いていく。 「────……う……!」 ───けれど、少女は止まらなかった。 呼吸さえままならないほどボロボロになった身体で、無意味だと判り切っている攻撃を繰り返す。 「愚かな……! たとえぼくを倒したとしても、アレの宿命は変えられん! その先にあるのは貴様たちの、抗えん破滅だけだぞ───!」 そんなものが、間違いでなくてなんなのかと。 叩き付けられる言葉は、けれどそれでも、グレイナインの心を折ることは出来なかった。 「────ちが、う……!」 振るわれる一刀の鋭さはまるで衰えを見せず、それどころかますます苛烈さを増していく。 グレイナインの目は、もはや市長を捉えてはいない。硝子玉に過ぎない眼に映るのは、ただ彼女が夢見たもの。 ───カタナ=シラバノに関わった者の末路を、少女自身が体現していると市長は言った。 ならば迷うことなどない。だって自分は、少しも悔いてなどいないのだから。 「まちがいじゃない───」 ……そうしてようやく、ジャッジ=アンダクルスターは確信した。 この少女は止まらない。彼からすれば取り返しのつかない過ちを、きっと最後まで誇っていくのだろうと。 たとえ彼女が倒れても、彼女の心は倒れまい。ジャッジ=アンダクルスターでは、少女が信じるものを打ち負かすことは不可能だ。 ……おそらくは。 その 「間違いなんかじゃ、ないっ……!」 あの日触れた絆を、今でも憶えている。 冷たい雨が降りしきる中、互いに傷付きあいながら、それでも顔を上げて夢を追い駆ける姿。その尊さに涙した。 ……だから負けられない。あんなにも綺麗だった想いが、間違いなんて思えない。 行き着く先が破滅でも、結果が無残に終わっても、出逢った意味すら残らなくても。 それでも、ひとと出会うことが。 他者と触れ合うことが。 誰かを好きになることが。 ────そんな夢のような奇跡が、間違いであるはずがない……! 「ぜったいに……間違ってなんか、いないんだ――――!!」 叫びと共に繰り出された一刀が、全力でもってジャッジの身体を両断する───! ……だが、やはりそれも無駄に終わった。渾身の一撃は届くことなく、もはやグレイナインはガラクタも同然。力を使い果たし、動くことも出来まい。 放っておけば自動修復機能が働き、そのうちには回復もするだろう。だが無論、それを見過ごすジャッジではない。 憐れむようにグレイナインを一瞥し、彼は右手にREIを灯す。 所詮は無為なことだった。 彼女の戦いも、彼らの見た夢も。 ならばせめてその決意さえ喜劇の終焉によって貶められることのないよう、ここで砕け散るがいい。それが救罪の人柱として生み落とされた女と、悲願の代償となった者らへの手向けと知れ。 ────どうか、祈りを。願わくば消えゆかんとするその焔が、新たな光明へと繋がるように。 ジャッジの右手が、死神の鎌の如く振り下ろされる。 だが直前───ぐらりと、グレイナインの身体が傾いだ。 「────な」 自ら倒れ込むことで、彼女は市長の右手をかわしたのだ。 しかしそれも次はない。倒れてしまえば、もはやその身体では立ち上がれまい。冷静にそう考え、ジャッジはその手を再び彼女へと、 「───に?」 仰向けに倒れながら、グレイナインは残る最後の力で手にしていた剣を放り投げたのだ。 ジャッジの横をすり抜けて背後へと。一瞬、ジャッジの動きが停止する。彼を見上げるグレイナインの目は、しかし少しも死んでいない。今なお 地面に落ちるはずの剣。だがその音は聞こえない。代わりに、彼の耳へと届いたのは。 「───ありがとうグレイナイン。後はぼくが引き受けるよ」 ────そして、確かな希望へと生まれ変わるように────! そのままグレイナインを破壊してしまえば、あるいはジャッジ=アンダクルスターは勝利し得ただろう。 だが、そう頭では理解していながらも、それでも彼は振り向いた。 実際には一秒にも満たない時間の中、視界の端に黒いコートが翻る。閃く銀光が自らの首に迫るのを視認してなお、ジャッジは目を逸らせないでいた。 音もなく刃は命を絶つ。再生までの一瞬の暗転、断ち切られた意識の中、ふと彼は思った。 『彼』はいつも、当たり前のように現れる。その登場を予期していながら、なぜ自分は間際まで、その存在に気が付かなかったのか。 意識が浮上すれば消えてしまう疑問に解答は得られまい。ただ『彼』の登場を待ち焦がれていながら、それに悲嘆さえ覚えている自分をジャッジ=アンダクルスターは自覚した。 死がリセットされる。 駆け抜けていく黒い背中はグレイナインを抱えると、ジャッジから距離を取って対峙した。 ……ぼさぼさの黒い髪、似合わないサングラス、どれをとっても凡庸としか言いようがない青年が、照明の光の下に立っている。 「待たせましたねジャッジ。───さぁ、決着を付けましょうか」 ────No.250、クロラット=ジオ=クロックス──── |
/"brilliant tales" Episode #3「a half pure mind」Closed. and to be Continued Next Story. |