#4 大暗黒祭二日目U/クロラット
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「……まったく……そう何度も、走らせないでもらいたいよ……!」 息を切らせながら、クロラットはカタナを捜し雪の街並みを走り回っていた。 すでに多くの人が『エイデン』へ───『 走りやすくなったのはいいのだが、今度はアテがまったくない。カタナを連れ去った以上『彼女』も実世界へ干渉していることは間違いないだろうが、いったいこの広い暗黒シティのどこを探せばいいのか。 「まいったな、このまま君を消えさせるわけにはいかないんだけど」 ……十年前に聞いたことが事実なら、彼らの計画はすでに最終段階へ入っていると見ていい。DG再構成計画───遥か過去に失われた伝説を此度に再現するための大儀式。その根幹たる『彼女』にとって、カタナ=シラバノは最も重要な登場人物だ。 「悪いんだけど、君にカタナは渡せないな……このままじゃぼくもたいがい格好がつかないし」 走る速度は緩めることなく、心中で密かに嘆息をつく。本当はこんなの、ぼくのキャラじゃないんだけど。 とりあえずシラバノの本社ビルにでも向かってみようか。あわよくば、『彼女』の方から姿を現してくれるかもしれない。今なら四獣王を始めとする市長軍も大半が『エイデン』の警備に回っているだろうし、侵入も不可能ではないはずだ。 酸素を求めて暴れる心臓に、大きく息を吸い込んで冷たい空気を満たしてやる。差し当たっての行き先を決め、顔を上げたその矢先、 ────彼の行く手を塞ぐように佇む、黒装束の人影があった。 「────────」 例えるならば、烏のような青年だった。 どこかで見覚えがあるはずなのに、それがどこであったのか思い出せない。誰かに似ているはずなのに、それがダレであったのかわからない。 ───クロバード=ルル=クロデイズ。雪景色の中、No.001のナイツが立っていた。 「9番機」 「!?────……」 「REIDOLLドリムゴードシリーズ9番機。あれは 挨拶も何もなく、簡潔に要件だけを告げる口調。 おかしいなぁ、もっと可愛げがあったはずなんだけどなぁ、などと胡乱なことを考える。 本当にそれ以上言うべきこともないのか、彼はすたすたとクロラットの横を通り過ぎて行った。この相手と談笑するような趣味は無論クロラットにもないのだが、2〜3確認しておきたいことがある。 「───あなたは『彼女』を捜している?」 「ああ」 「なら、カタナを任せても構わない?」 「ああ」 俺に保証できるのは身体の無事だけだけれど、と付け足すクロバードに、クロラットはひとまず安堵の息を吐いた。 「じゃあ最後に。───あなただったら、カタナ=シラバノを救うことが出来た?」 ぴたり、と、クロバードの足が止まる。 ……それは、もう意味のない質問だ。その返答がイエスであってもノーであっても、 「────────」 わかっていながらあえて訊ねるクロラットに、彼は果たしてどう思ったのか。 クロバードはしばし口を噤んだ後、顔だけをこちらに振り向かせて、きっぱりと告げた。 「救えない。そもそも誰かを救うなんてコトは、他の誰にも出来ない」 ……そう。自分を救うことが出来るのは、結局のところ自分だけ。 救いなんてモノは他者から与えられるものではなく、いつだって自分自身で見出すものなのだから。 「……あぁ、確かに───言われてみれば、その通りだ」 ひどく朴訥とした口調で、クロラットは頷いた。 だってそれなら話は簡単。『彼女』───キィ=ヒストウォーリーは、■■■自身によって救われるということ。 無意味な自問自答はこれで終わりだ。彼らはそうして互いに背を向け、反対方向へと歩いて行く。 ────最後の クロラット=ジオ=クロックスにとっての原風景を取り戻す。 ……いつか見た、いずれ辿り着く黄金の夜に、交わされた一つの誓い。決して消えることのない、はじまりの約束──── それを取り戻すことが出来たなら、迷うことなどもはやない。 カタナの戦いはカタナに任せて、ぼくはぼくの役割を果たすとしよう──── * * * 轟音を上げて、天井の一部が崩れ落ちていく。 崩壊を始めた中枢巨大劇場『エイデン』で、クロラット=ジオ=クロックスとジャッジ=アンダクルスターは対峙していた。 グレイナインはクロラットの言葉に従い、動ける程度に直った身体を引きずって、すでに何処かへと去って行った。 だが追いかける必要はない。ジャッジが待ち望んでいたもの、戦うべき相手は目の前にいる。存分に、心ゆくまでこの幕切れを楽しもうじゃないか。 「フ───ハハハハハハハハハ!!! よくぞ来てくれた、待っていたよクロラット!! そうだ、どんなに派手なパーティも君がいなくては盛り上がりに欠けるからなぁ……!」 絢爛たる『エイデン』のステージはもはや見る影もない。『 「来ますよ、呼ばれるまでもなく……ね。いい加減、あなたとも決着を付けないといけませんし」 サングラスを外し、グレイナインから引き継いだ霊剣を構えるクロラット。 彼が使用したところで、負荷によるダメージは避けられない。ジャッジのあの 「あなたとの決着もずいぶん先延ばしにされましたからね…… 『 傾いた刃に映り込む、深く暗い闇色の目。 「あなたを倒して、───俺は『 切っ先を突き付けられ、しかしなお市長は低く忍び笑いを漏らした。満足げに口許を歪ませ、クロラットを挑発するかのような言葉を投げつける。 「ほぉう? ───『 「────────」 ……ぴくりと、クロラットの眉が跳ねる。それを見て、ジャッジはクク、と愉快げに笑った。 「君の考えそうなことだ、クロバ……いや、クロラット。大方 あぁもちろん忘れてなどいないさ、君はあの時の仕返しのためにここに来た!」 それは十年前、クロラットを───いや、クロバード=ルル=クロックスを襲った不運。DG再構成計画に近付き過ぎてしまった彼に、突き付けられた銃口。 『悪いが……この計画を知ってしまった以上、生かしてはおけない』 DG再構成計画は、暗黒シティを表裏で支配するものたちによって画策された最高機密である。神秘とは秘匿されなければならない。機密保持のため彼が殺されるのは、至極当然の流れだった。 だがらクロバードにとっての不運とは、DG再構成計画を知ってしまったこと以上に。 隠蔽のために銃口を向け、その引金を引いた人物こそが───当時行動を共にしていた、ジャッジ=アンダクルスターに他ならないことであった。 「まぁ、君がぼくを恨むのは不思議なことでもない。……だが君の復讐は、ぼく一人をどうにかすればいいというものでもないからなぁ。 この計画に関わった者すべてに確実に復讐を果たす方法。それはこの計画の根幹を潰すことだ。───なら、どうすればいいか。最も簡単な結論は、そうだ。『 芝居がかった大仰な身振りで、ジャッジは佇む『 「ククク───だがクロラット、以前にも言っただろう? 君は一つ大きな間違いを犯していると」 彼の低い笑い声が、轟音の中にあってなおクロラットの耳に届く。 耳障りな嘲笑。聞く耳など持つ必要もない。自分はあれと殺し合いに来たのだから、奴のお喋りに付き合う義理など微塵もないのだ。 霊剣を携え、クロラットは地面を蹴った。市長の言葉は変わらず続いている。 「だってそうだろう? ────君が誰よりも復讐を果たすべき相手こそが、君のパートナーを名乗っているのだから」 * * * 「……ん……あれ、ここは……?」 気が付くと、そこは知らない場所だった。 いや、そもそも『場所』なんて言葉が適当なのかどうかもわからない。何しろ彼女は空中にいて、背後には巨大な古めかしい柱時計が浮かんでいる。 周りには何もなく、さっきまで夜だったはずなのに、ここでは青空が広がっているのも不可思議だ。カタナ=シラバノが目を覚ましたのは、そんな次元の狭間だった。 「え……!? な、何ここ、どうして……」 混濁している記憶を遡る。確か自分は、クロラットとグレイナインと共に大暗黒祭に出ていたはず。3月31日、クロラット=ジオ=クロックスとカタナ=シラバノがパートナーとして手を結んだ日であり、同時に結んだ手を離す日でもある。その取決め通り、自分はクロラットと別れた。中央地区の空中庭園でだ。 そして───そして、そう。その後、シラバノビルに帰ろうとして踏ん切りが付かずにいた彼女のところに、クロラットがやって来たのだった。ありえない、彼女にとっては夢そのものの言葉と共に。 そこまでは覚えている。問題はそこから先。 「わたし……私は、そうだ……」 クロくんにペンダントを渡した直後に、────誰かに、連れ去られた……? ……その時、カタカタカタ、というキーボードを叩くような音がカタナの耳に届いた。 「………………?」 音のした方へと振り向く。四方を空に囲まれた空間で、こちらに背を向け、ありもしない椅子に腰掛けた少女がそこにいた。 少女は事実キーボードを叩いているようだった。ここからではよく見えないが、彼女の前には何かの装置らしきものが据えられて幾つかのモニターが映し出されている。 「……あなたは……?」 一見して、10に届くか届かないかほどの幼い少女。人間ではないのは明らかだ。奇妙な飾りを付けた帽子と揃いの服を着た姿は、おとぎ話の妖精を思わせる。獣のような耳と淡く輝く背中の羽が、よりその印象を際立たせていた。 少女は答えず、カタカタとキーボードに指を滑らすだけ。訝しげに眉をひそめ、カタナは少女の背後に立った。 そうして気付く。宙に映し出された映像の中に、見知った姿があることに。 「───グレイナイン……!?」 それは、『 「な……どうしてグレイナインが……」 考えるまでもない。クロラットが自分の元へと来ていた時、彼女がその代役を果たしたのだ。 けれどそれでも不可解だった。こうして見る限り、グレイナインの戦闘力は市長を圧倒しているように見える。だが現に傷付いているのは彼女であり、ジャッジはまるでダメージを受けていない。 カタナには見覚えのない剣を振るうグレイナイン。渾身の一刀は息を呑むほどの鋭さをもって、ジャッジ=アンダクルスターの身体を両断する……! 「………………え?」 一瞬。 彼女には、何が起こったのかわからなかった。 間違いなく、グレイナインの剣はジャッジを捉えたはずだった。だがその瞬間、目の前の少女がなんらかの操作を行い───モニターに映る市長はなんら傷を負うことなく、平然と立っていたのだ。 「そんな、どういうこと……!?」 まさかと思い、少女の手元を見る。彼女の目の前のモニターには、シナリオ修正プログラムと題された画面が表示されていた。そのうちの『損壊物の修復(修理魔法)』という項目にカーソルが置かれている。 その時、カタナが見ていたモニターからどさりという音が聞こえた。はっとしてそちらに視線を戻せば、もはや動くことさえ出来なくなったグレイナインが地面に倒れ込んだのだ。 「グレイ────」 言いかけた言葉が止まる。 グレイナインが投げた剣を、ジャッジの後ろに現れた誰かが拾った。振り向く市長の首を落とし、その隙にグレイナインを抱えて距離を取る黒いコート姿。スポットライトの下に踊り出るその人影を、彼女は呆然と見つめた。 「………………クロ……くん……」 ───ほんとうに、君は。 いつも、あたりまえのように現れる…… 大きく映し出された画面の中で、剣を構えるクロラット。 グレイナインは彼の言葉を受けてどこかへ去って行った。だが彼らはそのまま動かず、互いを見据えて対峙する。 ジャッジの口上を遮るようにクロラットが走った。閃く一刀。しかし結果は先ほどと同じ、確かに市長の身体を捉えたはずの刃は何事もなく通り過ぎただけだった。 ……カタカタカタ。 少女の指が、キーボードを叩く。 この少女が何らかの干渉を行い、ジャッジを蘇生させていることは明白だった。 「あなた……何者なの!? こんなことができるなんていったい……!」 カタナが少女の肩を掴む。それに彼女は、……クスクスと笑った。 「まだ……わかりませんか? ───私の、正体が……」 言って、少女は肩越しに振り向く。眼鏡を外し、にこりと、ひどく見覚えのある笑顔のカタチを浮かべた。 「………………?」 眉をひそめるカタナに、彼女はあれ、と目を瞬かせ、 「わ、わかりませんか? おかしいなぁ……あ、そうだ。そう言えば髪の色と耳の形を変えたんだっけ」 慌ててすっと自らの頬を指で撫でる。ブゥン、と、まるでテレビをつけた時のような音と共に少女の姿が一瞬ブレた。 彼女の言った通り、獣のような耳が消え黒い髪から色が抜ける。……嫌な既視感。まるで、古い鏡を見せられているみたいだ。 「────ぁ」 間の抜けた呟きが唇から漏れる。 少女はくすくすと微笑んで、これならわかりましたか、なんて訊いてきた。 「えぇと、はじめまして、は変ですね。 ごきげんようカタナ=シラバノ。ストーリーテラーのキィ=ヒストウォーリーと申します」 すました態度。礼儀正しい振る舞い。そして、笑顔。 ────それはまるで。 かつてのカタナ=シラバノ、そのものであったのだから。 「────────」 愕然として言葉を失うカタナに、少女───キィ=ヒストウォーリーはにこやかに笑いかける。 「別に、驚くほどのことはないでしょう? あなただって薄々は気付いていたはずです。一連の事件の裏にシラバノの存在があること、そしてシラバノが関わっているということは」 「嘘だ!!」 淡々と語るキィの言葉を、思わず叫んで遮るカタナ。悪い予感を振り払うように、激しく頭を左右に振る。 「嘘だよ嘘、嘘……! だって私はそんなの知らない、見たことなんてないし聞いたこともない! なのにそんな…… クスクスと、おかしそうに少女が笑う。キィは座った姿勢のまま、くるりと身体をカタナに向け、誰かの日記に良く似た本をぱらぱらと捲った。 「───今から、十年ほど前のことになりますか。シラバノビルの一室で、ある計画を立ち上げるための極秘会議が開かれました。市長を始めシラバノにヴァルハノ、秘密結社郡に聖議会。いずれも暗黒シティを裏表で支配する者達の代表です。 お世辞にも仲良しとは言えない彼らが集まった理由はたった一つ、かつての事件でこの地から失われてしまった秘宝を再び造り出すこと───」 ……地鳴りのような轟音が、映し出されたモニターのいくつかから聞こえてくる。 呆然とそれらを眺めるカタナに、キィはあくまでも笑顔のまま。冷たくもなければ温かさもない、温度を感じさせない声音で言葉を続ける。 「────それが、 だが無論、いざ実行に移すとなればことはそう容易なことではなかった。 失われた『 しかもこの計画には、一つ重要な欠陥があったのだ。計画の要とも言える超大型古代式魔導コンピューター『DGシステム』。これを扱うことが出来るのは暗黒シティでもある一族の血筋に限られており、その当主は高齢のためすでに力不足。彼の息子たちも才能のない者ばかりで、役割を果たせそうにもなかったのである。 「───そう。だから彼らは、造り上げたのです」 能力に恵まれ、命令には決して逆らわない。彼らに利用されるだけの存在でありながら、すべての罪と罰を引き受けてくれる都合のいい『お人形』を──── 「もう……いい」 ぽつりと。 絞り出すような声で、カタナはキィの言葉を遮った。 「?」 きょとん、と疑問符を浮かべるキィに、彼女はぐっと唇を噛み、 「……よくわかった……いや、ほんとは全然わからないんだけど…… つまりこの一年間、何か変だなーとか辻褄が合わないなーとか思ったことがあったけど……それは君の仕業だった……ってこと?」 「はい。まぁ、そういう言い方も出来なくはないですねー」 「……じゃあ、つまり君がこの事件の、黒幕だったってこと……?」 「はい。まぁ、そういう言い方も出来なくはないですねー」 にこやかに。 人形めいた笑顔を浮かべて、少女はカタナの言葉を肯定した。 ────吐き気がする。あたまがぐらぐらして沸騰しそうだ。 どうしてあんな───あんなキモチワルイ笑顔、浮かべていられるんだろう。 「……じゃあ、じゃあ……君は、ほんとうに私の───!」 クスクスと少女が笑う。キィはふわりと宙を舞うと、彼女の顔を覗き込むようにして告げた。 「────えぇ。私は、幼い頃のあなたから作られた半霊体。あなたがここに来ることを、ずっと待っていました」 この時になって。 カタナはようやく、目の前の少女が 「…………そんな……だって、それじゃあ……」 愕然と呟く彼女に、キィは無邪気に微笑む。まるで、想い続けた恋がようやく叶った無垢な少女のように。 ────だって、それじゃあ。 彼らが命を落としたのも、君が、ずっと苦しんできたのも。 すべて────私のせいということになってしまうんじゃないの──────……? * * * 一向に鳴り止まない地鳴りが、低く鼓膜を震わせる。 「ヒュゥ。……こりゃ、ある意味絶景だな」 もはや祭りの面影などどこにも見出せないほど様変わりした暗黒シティを、機動獣機フェルコーンの背から一望しユニックス=F=オディセウスは一人ごちた。 裂けた道路には瓦礫が積み重なり、倒壊したビルの谷間から巨大な機体が聳え立っている。四獣王第一位カーメン=フィーツタンが『 「ったく、嘘付けよな。じゃあこれが全部そうだとでも言うのか?」 『 「……チッ。再生してやがる」 目前の端末の様子に、思わず小さく舌打ちする。先ほどの戦闘で彼が破壊した部分が、早くも修復されつつあった。 空虎の機動戦艦の主砲を受けてなお再生を果たした強力な自己修復機能は、どうやら現出した機体すべてに備わっているようだった。単体でなら苦戦するほどの相手ではないが、何しろ数が数である。持久戦ではこちらが圧倒的に不利だった。 「くそ、このままじゃジリ貧か?」 端末から放たれたビームをかわしながら、思わず不満が口からこぼれる。───その時、不意に彼の目に、見覚えのないものが映り込んだ。 「──────? なんだありゃ……」 それは空中に浮かんだ、巨大な柱時計だった。 その程度のものならばあっても不思議ではないのがこの街だが、それにしても見覚えがなさ過ぎる。まさか中央地区にこれだけ目立つものがあって気付かないということはないだろうし、何より周囲の建物が軒並み変形されているのに 「あんなのあったっけ……」 しかしそれについて悠長に考えている暇はない。目前のDGシステム端末はまだ活動を続けているのだ。 コォ、と、再び端末の口に光が収束する。だがそれに構わず、ユニックスはフェルコーンをさらに加速させ機体へと迫る───! ギュバッッッ!!!! すり抜けざまに彼が振るった長槍は、狙い違わず、端末の頭部を貫通していた。 * * * ……秒針の音が、奇妙なほどゆっくりと聴こえる。 「何も、苦しむ必要なんてありませんよ」 茫然と立ち竦むカタナに、キィはにっこりと笑いかけた。……不純物がない、という意味でなら、それはこの上なく純粋な笑顔だと言えるだろう。 「だって、これは私のお仕事なんです。私はただ与えられたお仕事を片付けているだけ。 私はそのためだけにここにいるんですから、それが例え庭のお掃除であっても人を死なせることであっても、関係なんてないんですよ」 ……よくわかる。この少女は、真実カタナ=シラバノそのものだった。 自分を人間だなんて思い上がるなと、お前は歯車を上手く回すための部品の一つに過ぎないのだと。誰かから───そして誰よりも、自分自身に言い聞かせていたあのころのわたし。 だって、そうしなければ壊れてしまう。つらくて淋しくてこころが痛くて、気が触れそうになるくらいだった。生きててもいいことなんか何もなくて、だけどやっぱり死ぬのは怖くて、どうしたらいいのかわからなくて────そうして、ようやく気が付いたんだ。 こころがないモノになってしまえば、傷つかないくていいんだっていうことに。 ───そう、たとえばお人形。 笑っているだけの、空っぽの飾りもの。そうすれば、何も考えずにゼンマイ通りに動いていればいい。 誰にも顧みられないひとりぼっちの冷たい部屋。カタナ=シラバノの原風景に、この少女は閉じ込められたままなのだ。 「だから、私 私はただの部品だから、自分から動くってことが出来ないんです。目的とか生きている理由とかがないから、このくらいしか、やることがなくて」 キィの笑顔は崩れない。楽しいことなんて少しも話してはいないのに、その ……いや、そもそも。 この少女は、「楽しい」ことなんて、何一つ知らないんだ。 「けど……だからって───……」 許されるはずが、ない。 身近な知人も見知らぬ他人も、たくさんの人を死なせて多くのものを失わせて───どんな理由があったとしても、それは、決して許されてはいけないことだ。 「───えぇ、そうですね。きっと誰も私をわかってはくれないでしょうし、誰も私を許してはくれません。 だけど仕方ないじゃないですか。私にはお仕事をする以外のことは教えられなかったんですから。誰もワタシを許してくれないなら、ワタシが誰も許さなくっても、責められることはないでしょう?」 ね?と、屈託なくキィは笑う。 その言葉にはっとして彼女を見ると、キィはにこにこと微笑んだまま、すっと自分の頬に触れて元通りキィ=ヒストウォーリーとしての姿に戻った。 「それに、それはあなただって同じじゃないですか。私とあなたは同じ存在 ……ねぇカタナ、本当はもうわかってるはずですよね? カタナ=シラバノは救われない、って───」 「────────」 ────そう、許されるはずがない。 この身には、暗黒シティすべての罪と罰が刻み込まれている──── ……ふら、と、後ろへ一歩よろめくカタナ。 いつだったか、市長が言っていた言葉が脳裏をよぎる。カタナ=シラバノの存在が、彼らの───『 ────あぁ、そうか。君は、そのことを知ってたんだ…… 茫然自失としたまま、彼女は傍らに映し出されたモニターを見る。四角いパネルの向こうには、崩れゆく『エイデン』の映像が───彼女のパートナーの姿が映し出されていた。 * * * ───ゅんっ!! 空気を裂いて銀光が疾る。稲妻めいた一刀は先ほどのグレイナインにこそ及ばないものの、受けることも避けることも適わないのならば同じこと。───そう、横薙ぎにジャッジ=アンダクルスターの胴を両断するはずだった刃は、グレイナインのそれと変わらず無駄に終わった。 「なぜ、その間違いを認めようとしない?」 振るわれる『烈火の左腕』。ジャッジの持つ生来の才。叩き付けられる拳を左へ屈み込んでかわし、がら空きの足を払う。だが彼はそれを予測していたように、後ろへと跳んでかわした。 すぐさま追撃する。上段からの袈裟斬り、『支配者の右腕』を避け左からの一閃、返す刃で右下段から掬い上げるように一撃。体勢を立て直す暇など与えず、連続で斬りかかる……! 「いい加減にしろクロラット、人形の二の舞を踏むつもりか!? 貴様は何のためにそこまでする!」 ばづんっ! 腕の皮膚が裂け血飛沫が上がる。自らの流す血だけで赤く染まりながらも、クロラットの猛攻は止まらない。一撃、二撃、三撃、四撃───剣を振るうたび、市長の攻撃を避けるたび、身体を動かすたびに意識が弾け飛ぶ。 「───ハ」 断線する。内側から破壊される痛みに失神しそう。 「ハハ───ハははははハハははハはハはははハハハは!」 首を跳ね飛ばす。心臓を潰す。四肢を切り落とす。いずれもが必死の攻撃は、だがすべてが無意味だ。判り切っている結果をなお繰り返す様は愚か極まりない。 息を荒げ鮮血を噴き出しながら、クロラット=ジオ=クロックスは剣を振るう。 「あなたさっきから何を勘違いしてるんです!? 何のためも何もさっき自分で言ったでしょう、俺の目的は『 あの馬鹿女のことなんてどうだっていいんですよ、俺はただあなたたちに仕返ししたいだけだ───!」 ぎぢぃッッ!!! 刃と左手が激しく打ち鳴らされる。REIを通した『烈火の左腕』が霊剣を受け捌いたのだ。 ぢっ! ぢぃんッ!! 交錯する剣と拳。『支配者の右腕』には触れられない、打ち合えるのは左手だけだ。戦闘力はクロラットに分があろうと、そうしたこちらの動きを制限する能力、防御も回避も必要としない特性を持つ市長は決して戦いやすい相手ではない。 「──────ッ……!!!」 視界が白く切り刻まれる。 神経は次々と断線し、今にも身体がバラバラになりそうだ。 「っ、ハ──────」 何もかも白くなる。呼吸するのにも苦痛が伴う。 内側からの痛みに加え、徐々に鈍くなる動きにジャッジの戦闘力が追い付きつつあった。右手だけは何とか避けるが、それによって左手、足による攻撃を受ける。 「クロラット、その程度か貴様は───!」 ジャッジが吠える。けれどもう、聴覚はほとんど機能していなかった。 だがそんなものは関係ない。もとよりこの戦いは、外敵ではなく自分自身を賭ける戦いだ。 「く、ぁ────……!」 勝機はある。必ずある。それまで戦うべき相手とは、己自身に他ならない。 だと言うのに、この───ポンコツの身体は、どうしてこう動かないのか────! 「ぐッ────……!!?」 どん、と、脇腹を重い衝撃が貫く。右手を避け左に動いた瞬間、これ以上ないタイミングで拳を打ち込まれたのだ。 効いた。今のは効いた。麻痺しかけていた痛覚が目を覚まし悲鳴を上げる。 吹き飛ばされた身体は崩れた瓦礫にぶつかり、場外への落下を辛うじて免れた。 「ッ……、あ──────」 だが───立てない。 死に絶えそうな視覚には、薄ぼんやりと、こちらへ近付いて来るジャッジ=アンダクルスターを捉えている。 ───けれど立てない。 もう、指一本さえ動かない。 「───ここまでか、クロラット=ジオ=クロックス」 僅かに。 息を吐くようなジャッジの言葉。 敵は、コツコツと靴を鳴らして歩み寄ってくる。だって言うのにもう痛みで何も考えられない。 ───まだ、まだ動ける、もう動けない、これで───これで終、 “──────あ” 何を。 クロラット=ジオ=クロックスは、何を誓ったのか。 “────ああ、あ” やくそく。 確か、約束を、 “あ────、あぁ、あ” ……このまま目を閉じれば、そのまま眠ってしまえば、それは。 『────『 ────その、彼女が守ってくれた夢を、彼女が信じてくれた絆を、裏切ることに他ならない……!! “あ、あああ、ああ──────” 目の前のあの男ですら、自らの夢を賭けたのだ。 それなら──── 「ッ……、あ────!」 指先に力を篭める。 真っ白に削げ落ちていく視界の中、彼は、 ────────その、ありえない姿を幻視した。 |
/"brilliant tales" Episode #4「永遠よりも彼方から」Closed. and to be Continued Next Story. |