#5 大暗黒祭二日目V/キィ




────────その、ありえない姿を幻視した。


「────ぁ」

ボロボロの身体を支え、クロラットは天を仰ぐ。
目前の敵も崩壊する『エイデン』の天井も視界にはない。もとより彼の眼球は、もはやほとんど機能してはいなかった。
ゆえにその目が捉えているのは、目に見えるものではなく───遥か天の果てより、確かに彼を見つめるパートナーの姿であった。

「あの女が……見てる」

「……クロラット?」
ジャッジの訝しげな声も耳には届かない。彼はただ、じっとこちらを見つめる彼女の姿を『視て』いた。
「……くそ。ひとの気も、知らないで……」
向けられる眼差しが、ふと、十年前の少女のそれに重なる。光を宿さない人形めいた双眸は、けれどずっと光を探していたのだ。
……ぎり、と奥歯を噛み締める。
消えかけていたはずの火が、再び胸の内に燻り始めるのを彼は感じた。
「アンタが……俺に何を期待してるのか知らないけど……!」
千切れた視界が、その鮮明さを取り戻し始める。
じんじんと身体中に熱が駆け巡っていく感覚。それによって死にかけていた痛覚が活性化し、息をするのにも痛みが伴った。だけど、それでも呼吸を繰り返す。脳に酸素を送り、血液を循環させ、心臓を動かしていく───!

「……俺は……そんなにカッコ良く、できてなんかないんだっての……!!」

撃鉄が落ちた。
彼女がどんなにつらい思いをしてきて、どんなに重いものを抱えているのだとしても、そんなのは知ったことじゃない。自分の前でだけ見せた年相応の少女らしさが、彼女に出来る精一杯の『たすけて』だったとしても───そんな勝手な期待には、どうしたって応えられない。
───彼は自分の分を弁えている。自分の力の限界も、その手に掴めるものの少なさも知っていた。
理解なんてしてやれないし、ましてや助けることなんか出来るはずもない。クロラット=ジオ=クロックスは自分のことだけで手一杯で、彼女のために振り分けてやれる余裕なんてないのだから。
だけど────

「───だから間違えていると言ったろう?」

対峙するジャッジの嘲るような哀れむような言葉にも、クロラットは俯いたまま顔を上げようとしなかった。

「カタナ=シラバノには関わるな───と」

……あぁ、確かにその通り。
後悔は山ほどあるし、大変な目に遭っても見返りなんか一つもない。


 『さぁクロくん、何かいつもみたく秘策をぶちかましてよ!』
────そんな無茶な話はない。
 『え? 大丈夫でしょ、だってきっと君が勝つんだから』
────そんなの理屈にもなってない。


……だけど、なぜだろうか。

今になって──────そんな日々が、この上もなく愛おしく思えるのは。


「……そう思いますよ、ぼく・・も」

そう。
だからこそ誓った。同じ夢を追い駆けることを決めた。

約束がある。
負けられない理由がある。
この身は、こんなところで呑気に死んでいいはずがない……!!


「でも。その間違いを、取り返したいとは思わない────!」
凍り付いた身体、ピクリとも動かない四肢に火をつけて跳ね起きる……!

「──────!?」

最初から間違いだったと言うのなら、振り返るものもありはしまい。
勝手に期待をかけて、勝手に期待に応えようとして───今思えば、そんなのだって悪くはなかった。どういうわけだか、クロラット=ジオ=クロックスは、彼女に期待されるとついカッコつけたくなってしまうのだから。
「あぁ───ほんとうに、自分のバカさ加減が頭にくる……!」
そんな簡単なことに。
どうして、もっと早く気付いてあげられなかったのか。

どうせ暗黒シティには、彼女の味方は一人もいない。
……ならせめて、自分一人くらいはカタナ=シラバノの味方になろう。わかってなんてやれないけれど、彼女が一人で泣かなくてもいいようにするくらいなら罰も当たらないと思う。


立ち上がり、彼は聳え立つDGシステムの端末を睨み上げる。

────強くはない。死に体を支え戦う様は無様で、決して強くなどはないけれど────


ちゃきり、と音を鳴らし、クロラットは再び剣を構える。
満身創痍、無事でない個所などどこにもないほどの身体で、それでもジャッジ=アンダクルスターを打倒すべく刃を向ける瞳。
死んでいない。
彼は、少しも死んでいない。
それを市長は静かに見据えた後───不敵な、だが満足げな笑みを浮かべて、敵を迎え撃つべく身構えた。

───そうだクロラット、君はそれでいい……!

ひとときだけ目を閉じるクロラットの瞼の裏に、最後の幻視が映りこむ。
カタナ=シラバノは溢れそうなほどの涙を瞳に湛えて、けれど零すことなくはっきりと、力強く頷く。
────それで、覚悟は決まった。
十年前のあの日から始まった、長い因縁を今ここで終わりにすると。


* * *


……カチ、カチ。
規則正しい秒針の音が、やけにはっきりと耳朶を打つ。

モニターに流れる『エイデン』の映像を見つめながら、カタナはぎゅっとてのひらを握り締めた。

『君が言わないっていうことは、自惚れかもしれないけど……なんとなく、私のためのような気がするんだ』

───君は、それに気付いていて。
それでもなお、私を受け入れてくれたんだ。

なら迷わない。わたしはこの誓いを守っていける。最後までこの夢を張り続けられる……!

「それが───どうしたって言うの?」

え、と目を見開くキィを、まっすぐに見返す。
カタナ=シラバノが救われないなんて、そんなこと最初から知っていた。誰も許してくれないなんて、とっくの昔に理解っていた。
……そう。どうせもともと、シラバノは暗黒シティ一の嫌われ者なのだ。だったらその声が100増えようが200増えようが、250増えようが───……恐るるに足るはずもない。

────それは詭弁だ。
ほんとうは、この孤独くるしみがなくなることはないとわかっている。

その重さは誰にも肩代わりすることは出来ない、彼女がひとりで抱えていかなければいけないものだ。カタナ=シラバノはこれから一生、その罪を背負って生きていく。
ここをキィは誤解してしまったんだ。確かにその苦悩は、決して他者と分かち合うことの出来ないモノだけれど───重さに倒れそうな身体くらいは、誰かと支え合うことだって出来るのだから。

「───だから、私はまだ立っていられる。
 キィ=ヒストウォーリー、君の言葉には頷けない。それは私の想いを裏切るということだから」

……誓いは胸に。
たとえ幾年月が逆行しようとも、この身が地獄に落ちたとしても、鮮やかに輝き続ける──────


はっきりと告げるカタナに、キィは困惑したような、どこか引き攣った笑みを返す。
「……な、何を言ってるのか理解りません。正気ですか? そんな理由であなたは、誰かから一方的に押し付けられただけの荷物を背負っていくとでも?」
「そうだよ。でも、そんなの今更でしょ?」
あっさりと。
何の躊躇いもなく即答するカタナに、キィはぐっと言葉を詰まらせ────


「…………なぁんだ。とうとう私、自分アナタにさえ見放されてしまったんですね」


糸の切れた操り人形みたいに、乾いた笑い声を漏らした。

「────────」
「そんな在り方、苦しいだけじゃないですか。感情ココロなんか失くしてしまえば痛むこともないのに。
 ……えぇ、私はただの部品ですから、そんなモノを持ったりしたら破綻するんです。ほんとうに───ただ、言われたお仕事だけを、していればよかったのに」
ひび割れた笑顔のままうつむくキィ。髪の隙間から覗く唇が、声には出さず、何言かを形作る。


────────痛い、と。


漏れ出した心の悲鳴を、カタナは自らに刻み込んだ。

「……あぁ、そっか。つまり、君の目的は」
「あは───勘がいいんですね。……ほんとう。あなたと彼を接触させたのは、失敗でした」
眼鏡の奥の虚ろな瞳がカタナに向けられる。俯いたまま、少女はくすくすとおかしそうに笑った。
「えぇ……そうですよ。私は誰かに言われるまま、お仕事を片付けるだけの存在です。だから基本的に、自分から生まれた目的とかってないんですけど───
 ……ひとつだけ。ずっと、不思議に思っていたことがあったんです」
カタナ=シラバノより分かたれる以前から持ち続け、キィ=ヒストウォーリーと成った後にも引き継いだ疑念。
続きを聞かずとも、カタナにはそれが理解った。……いや、理解らないはずが、なかった。
もとより十字架となるべく定められたこの身に、抱き得るモノなど僅かしかない。他者を蹴落とすこと、ではなく。他者によって利用されること、でもなく。

「───ただ、どうしてなのかなって。
 何か悪いことをした覚えもないし、何かを間違えたわけでもないのに、どうしてこんなに生きているのが厳しいのかわからなかった。
 でもきっと理由はあると思ったんです。自分に覚えがないだけで、きっとどこかでわたしは取り返しのつかない間違いをしてしまったに違いないと、それだけはずっと考えていました。だってその過ちを取り返すことが出来たら、わたしの重さは少しくらいは軽くなるはずなんですから」

……わからなかったから、苦しかった。
何か理由があったなら、まだ納得も出来るかもしれない。それを取り除くことが出来たなら、或いは救われたと錯覚することだって出来たかもしれない。
だから一つずつ遡って、そうしてようやく、最後にわたしは気が付くんだ。

「……でも、そんなものなんてありませんでした。何度思い返してもわたしに落ち度らしいものは見当たらなくて、じゃあ本当に、何がいけなかったのかなって考えて───
 そうしたらやっと思い当たったんです。わたしは、そもそも生まれてきたことが間違いだったんだって」

その、
致命的なまでの、
脆弱性。

誰かを恨むことも、自分以外の世界に責任を転嫁することさえ出来ない、ただひたすら内へと向かう自傷回路タナトス

「どうせ私はDG再構成計画が完了すれば消えるだけです。
 でも、それじゃあ意味がない。キィ=ヒストウォーリーだけが消えても仕方がない。カタナ=シラバノの最初の過ちは、カタナ=シラバノが消えなければ正されません。
 ……このお仕事を終わらせた時、あなたと一緒に消えること。その間違いに気付いた時から、それだけが、私の目的ユメになりました」

うたうように、どこかとおくを見つめるキィ。
楽しいという感情コトさえ識らず、ヒトの裏側ばかりを見せられ続けた少女は、


────とうとう、そんなことしか望めなくなったのだ。


「────ッ……」
……ギリ、と唇を噛む。
本当にそんなことが、自分にとっての唯一つの救いになるのだと信じているキィが、許せなかった。
「……でも、私は君に消されるつもりはないよ」
「そうでしょうね。ですがどうするつもりですか? ここは私の───ストーリーテラーの空間です。あなたを“帰す”つもりはありません」
自らの権限にそれだけの根拠があるのか、きっぱりと言い放つキィ。
だが裏返すならば、それはストーリーテラーとして彼女に権限があっての話。シナリオを司るDGシステムをこちらで掌握することが出来れば───この空間からの脱出はもとより、市長と戦うクロラットへのサポートにもなるはずだ。
……可能かどうかは定かではない。だが、やるしかないのだ。

「───魔法カルタ、展開」

その名の通り、カルタ状に畳まれた魔導コンピュータが彼女の周囲に踊るように広がる。魔導コンピュータ『グレイドルゴードナイン』、通称『はいらっと』。かつて彼女の兄、ケン=シラバノによって開発されたREIDOLLドリムゴードシリーズ制御端末。
「はいらっとセットアップ、Mハッキングモード! ───目標、DGシステム!」
キーボードの上をカタナの指が滑る。
侵入経路の算出、実現可能範囲の絞り込み、想定される妨害の突破プロセス。それらを瞬時に弾き出し、目に見える神秘と化した魔導プログラム言語がDGシステムへと迫る────!

「な……!」

───だが、届かない。
奔流となって迫るM言語は、そのすべてがシステム本体へと到る前に消滅した。
モニターに表示された結果は“失敗false”。計2048の侵入パターンを実行し、そのすべてがDGシステムのプロテクトによって阻まれたのだ。
「く……」
やはり、そう簡単には行かないか。
今の特攻によって判明した凡その防衛機能を把握しつつ、カタナは小さく呻く。
「……無駄です。今のあなた・・・・・には充分なREIを補填することは不可能でしょう。それではDGシステムのプロテクトを突破することは出来ませんよ」
冷静さを取り戻したのか、キィは元の笑みを浮かべて言う。魔導機器全般に通じ高い能力を有するカタナは、それゆえにコンピュータに対し特化したレイピアほどの才能は持ち得ない。何より帯REI者としての素質の低い彼女では、決して高スペックとは言えないグレイドルゴードナインでさえ満足にエネルギーを供給することが出来ないのだ。

────カタナ=シラバノ本来の才。多次元交信能力と呼ばれるそれは、今はまだ使えない。

せめて、何か隙があれば……
膝を折るわけにはいかなかった。歯噛みしつつ、懸命に逆転の一手を模索する。
「ふっ───……、は、っ……」
呼吸を整える。コンディションはむしろ良好。
先ほどのハッキングによって、残りのエネルギーは起動を維持するのがせいぜいだ。考えろ、考えろ……絶対にあるはずだ、この局面を覆す切り札エース……!

パートナーの姿を映すモニターを見る。彼は戦っていた、なら自分だって戦える。
もう一度深呼吸したとき───ふと、彼女の脳裏にいつかの記憶が閃いた。


* * *


頭上に架かる月が、間もなく天の頂へと届く。
眼下に広がる暗黒シティの変貌になど何の関心もないと言うように、皓々と輝く月は変わらず下界を睥睨していた。

断続的に強震を繰り返す街並みはもはや見る影もない。崩れ落ち、或いは奇形に変じられた超高層ビル群。そしてその合間から聳え立つDGシステムの端末。

「────何、これ……」

まるで物語の中で見た、滅びゆく王国のようだ。『エイデン』から出たグレイナインを出迎えたのは、その、あまりにも常軌を逸した光景だった。
「ともかく……先生に言われたものを探さないと」
ひとまずはそちらが先決だ。ほとんどの人はすでに避難を終えているのだろう、生きているものの気配のない街並みを駆け出す。市長との戦いによって傷付いた身体は本来の機動性を発揮するには至らないものの、走るくらいならなんとか動かせる。

だがややも走らぬうちに、彼女はその足を止めることになった。

「こんばんわ。どちらへ行かれるんですか、グレイナインさん」

「───エ、エトさん……!?」
キキー、と急停止をかける。瓦礫の中に佇む美貌の女性は、この場にはあまりにも似つかわしくない人物───エト=アイルに他ならなかった。
祭りに来ていたのだろうか、彼女はその神秘的なイメージを助長する白い衣装を身に纏っている。どことなく似たようなものを見た覚えがあるのだが、残念ながらすぐには思い出せなかった。
「どうしてエトさんがこんなところに……って言うか危ないですから避難して下さい!」
「えぇ、それはもちろんですけど……何かお困りのようでしたから」
くすくすと微笑みながら、エトは意味ありげな視線をグレイナインに投げる。確かに彼女は時折、まるでこちらの心を読んでいるかのような発言をすることがあったが……

「シラバノビル」

「え!?」
「お探しのものは、シラバノ・コーポレーション本社ビルの地下にありますよ」
くすり、と。
嫋々とした微笑を浮かべ、彼女はすっと手を上げる。

白い指の指し示す先には、不落のまま太鐘を掲げるシラバノ本社ビルの姿があった。

「……エト、さん……?」
思わず表情を強張らせるグレイナイン。
彼女がクロラットをも上回る観察眼や洞察力を持っているのは知っていたが、今この女性は、グレイナインが何を探しているのかまで察した上でその所在を教授したのである。
「お急ぎなのでしょう? 私に構わずどうぞ行って下さい」
……信用は出来ると思う。
何かと裏の多そうな女性ではあるが、この状況で彼女がグレイナインを謀る理由は何もないはず。
「……わかりました、ありがとうございます。エトさんもお気を付けて」
「はい、ご武運をお祈りしていますね」
微笑む彼女に背を向けて、指し示された先を目指す。

────シラバノ・コーポレーション本社ビル。物語の主人公たちが再会・・を果たした彼の地を。

駆け出して、ようやく彼女は思い出した。

エトの身に着けていたあの衣装。どこかで見覚えがあると思ったら、ユニックスやトモエが着ていた四獣王の正装とよく似ているのだった。



土埃を含んだ風が、女性の長い髪を浚う。
駆けていく少女の背中を見送り、エト=アイルはどこか遠くを見るような目で呟いた。

この・・カタナさんなら……私の出る幕はありませんね」

目を閉じる。瞼の裏には遠い春。
それはもう変えられない、或るひとつの終劇。ここではないどこかにはあったかもしれない、遥けし寂寥の日向───……


瞼を開けば、そこにあるのは変わらず歪んだ街並みだけだ。走り去る少女の後ろ姿もすでにない。
エトにとって、この事件はきたるべきゴードハードのための過程の一つに過ぎなかった。結末の差異は些細なこと。いずれにせよ『黄金の夜ドリムゴード』を巡る一連の事件において、彼女の目的はすでに果たされたのだから。
ゆえにこれ以上の干渉は無意味であり、大局には何ら影響を及ぼすものではない。だが────……


 ──────その尊い想いが。いつか、何者にも汚されぬ星の光と成るように。


眩月の下、エト=アイルは祈りを捧げる。それは届くことのない、何の意味もない祈りだ。───そう。何の意味もないからこそ、心からの祈り。

不意に月が翳る。
空を仰ぐ女性の頭上を、首刈り象と獅子聖女を模した機動獣騎が過ぎて行った。


* * *


───ドォン……、と、どこかで何かが崩れる音がする。

あの雨の夜に見上げたシラバノの本社ビルは、変わらずそこに黒々と佇んでいた。
「ッ……、この、地下に……」
クロラットから言われたもの。市長に献上され、今街の至るところに現出しているDGシステム端末の核────DGコアがある。
ここはまだ市長軍によって封鎖されていたはずだが、おそらくはこの騒ぎによって借り出されたのだろう、周囲に人の姿はない。グレイナインはごくりと唾を飲み込んで、ビルの入口を走り抜けた。
「ッッ───……!!」
ゴォォン……!と、地面が激しく揺れる。ビルの中に入れば、ぱらぱらと構造材の破片が降って来た。
びりびりと肌に伝わる震動。立つこともままならない揺れの中、いつだったかカタナに教えられた非常階段を目指す。このぶんでは、おそらくエレベーターは使えまい。
「はっ……ぁ、つ……」
……震動が身体に響く。損傷した部分が軋んで痛い。
けれど今、きっと先生も傷付きながら戦っているんだ。マスタだって、きっとどこかで戦っているはず。
クロラットの身体は自分のように自動修復機能なんてないし、カタナ=シラバノの戦いは心を傷付けるものだ。それなら自分がこんなところで根を上げるわけにはいかない。
歯を食いしばり、冗談みたいに激しく揺れるフロアを走る。
間違いなくここが震源。この下にDGコアはある。

「確か、この右……!」

広いロビーを駆け抜け、突き当りを右へ。────あった。上と下に分かれた非常階段……!
「っ……!」
覗き込む。悠長に一段ずつ駆け下りている暇はない。彼女はひょいと手摺を乗り越え、下の階の踊り場へと飛び降りる───!

───たんっ。
軽い音を立てて、グレイナインはなんとか着地した。本来ならどうということのない程度の高さなのだが、今は性能が落ちていることに加えてこの揺れだ。また、ずきん、と内側が痛む。

「ッ……、く、───……!」

しかし、立ち止まっている場合ではない。痛みを堪えて立ち上がり、同じようにして下を目指す。


────シラバノの最深部。彼女がいずれ辿り着くべきその場所へと。



終着は、あっけなく訪れた。

どれくらい降りたのか。いつからか、地面の揺れはなくなっていた。
階段がなくなり、足下を照らす青い照明を頼りに廊下を進んでいく。震動がなくなった代わりに、今度はひどい頭痛がグレイナインを苛んでいた。
「……つ、ぁ────」
眼球にノイズが走る。地上での騒乱が嘘のように、静謐な空間。
ぎちぎちと痛む額を押さえ、薄暗い通路を駆ける。5分ほど行っただろうか、やがて彼女は、その広大な空間に出た。


──────『祭壇』。

一番はじめに抱いたのは、そんな印象だった。


目測で、高さは10階建てのビルほどはあるだろうか。
暗闇のため広さはどの程度あるのか分からない。まるで『エイデン』に逆戻りしたかのような錯覚さえ覚える、深い闇の蹲るドーム状の空間。
そしてその中心には、天と地を繋げる一本の柱が立っていた。
柱、と言っても、実際それは正しく柱であるわけではない。直径はおよそ30m近くはあろうか、表面には淡く燐光を放つ幾筋もの回路が複雑に走っており、稼動状態であることを示している。
根元には巨大な何かの装置。天井に繋がる部分は幾本ものダクトが円状に広がり、それらがいずこかへ通じていた。

そして何よりも目を引くのは、柱の真中ほどの位置。本来ひとつに繋がっているべき円柱は、その途中の部分が途切れているのである。
天と地から伸びた柱と柱の間、空いた10mほどの空間には、黄金の光の渦がスパークを撒き散らしながら留まっていた。

「────────」

無明の空間を照らし出す巨大な光源。
ここを祭壇とするならば、祀られた御神体はあれに他なるまい。だがこの場所においてソラとは地の底、陽の光の届かぬ異界に求められるモノが正しきものであるはずがない。

事実その光の中には、まるで、天使になり損ねた怪物のようなモノの影が浮かび上がっていた。


────ドクン、と、心臓が大きく脈打つ。

「あ───、……は、づ……っ!」
頭蓋を叩き割らんばかりの痛みが彼女を襲った。倒れ込みそうになるのを必死で耐えて、ふらつく足で『それ』に向かう。

「アレが────DGコア────……」

超大型古代式魔導コンピューター『DGシステム』の本体にして中心核。
定められたシナリオにおいて、彼女が最後に辿り着くとされていた場所。

そしてREIDOLLドリムゴードシリーズの完成機として、彼女の本来の在りようを決定するもの────

「───あ、ぐ……!!」
到達まであと数メートルというところで、彼女はがくんと膝を付いた。
心臓は爆発寸前、身体中が激しく脈打ち呼吸さえ上手く出来ない。何よりもこの頭痛が、ほんとうに、頭が痛くて痛いいたいイたいイタいイタイイタイ……!!

「はっ、あ、ぁ……あ───ああああああッ……!!!」

頭を押さえて蹲る。
市長との戦いの中でさえ感じなかった苦痛に泣き叫びそう。

────そう、これは破壊による痛みじゃない。
これ以上近付くなと────近付けば戻れなくなるぞと、自らが打ち鳴らしている警鐘だった。

「……ぃ、───だ、め。先生と、マスタ、が」
止まれない。膝を付いたまま這うように進む。視覚はとうにノイズだらけで、まともに機能していたなかった。
あと一歩分の距離。頭痛はピークに達していて、もう、何も考えられない。───最後に。これで還れないのだと、この身を戒めるように。
「く、ぁ───……!」
辿り着く。
無数の回路が光を発する壁面に、手を────




────────瞬間。

        世界が崩壊した。




ずん、と、身体の中心を稲妻が貫いたような衝撃。

一瞬で気が狂う。熱く灼いた鉄の棒で串刺しにされたらきっとこんな感じだ。
眼球は、もう何も捉えられなかった。真っ白なのか真っ黒なのかもわからなくなって、ただ何も見えないことだけが確か。
末端から削ぎ落とされる。たいせつだったものが消されていく。
かわりに彼女を埋めていくのは、膨大な文字と数字の羅列。オセロがひっくり返るみたいに、知らないはずの情報が次々とメモリーを裏返す。

────やめて、とすら思えなかった。

初撃にしてすでに瀕死、ならばもう抵抗の意志さえ芽生えまい。あとはただ、間もなく訪れるであろう回帰・・を待つだけである。


『──────君は』


────なのに、声が聴こえた。
聴覚はすでに死んでいる。ゆえにこれは、彼女のうちから発せられた声だ。


『────君は、それでいいのかい』


懐かしい声だった。
無論、彼女にはすでにグレイナインとしての意識など欠片ほどしか残っていない。ゆえに懐かしい、と感じたのはただの錯覚だ。
だけど確かに、彼女はその声を“識っていた”。


『────君にとって、君の■はその程度かい』


声はただ平坦に問いかけてくる。
浮かぶのは見知らぬイメージ。朱紅い虚空ソラと並んだ8つの十字架。
カレらは残念そうに、しかし、どこか信じるように。


『────それなら、君はもう眠るといい。君の■はワタシたちが引き継ごう』


瞬間。

「──────ふざ、け」

声を、発していた。


「ふざ……けるな、この────!!!」


バラバラに千切れていた意識が収束する。
光が見えた。あるはずのない光を、この眼が捉えている。

それは頼りなく、ほんとうに小さな寄る辺だ。手に取ることも出来ない不確かな灯火。
だけれど、確かに。


「渡さない───アナタたちにだって、この夢は譲れない────!!」


眩しく瞼に焼き付いた、果て無き黄金の夢──────


「あ────あ、ああああああ……!!」


這い上がる。何の手助けにもならないけれど、その光だけを頼りに浮上する。
それは何者にも奪えない、遥か瞬くきぼう

壁に付いた手を握り締める。
ざぁ、と、風が吹き抜けるように、グレイナインを覆っていたデータが流されていく。身体が、熱い。指先までクリアに反応する回路。

カレらは微かに笑みを浮かべたようだった。
けれどもう、彼女にはカレらを知覚することが出来ない。光を目指し、少女は見知らぬ兄弟たちの横を駆け抜けていく。


──────さぁ。この光を越えて、君だけの夢を手に入れよう。


視界が白く染まり、そして開ける。
わだかまる黒い柱───DGシステムコアを見上げ、彼女ははっきりと言い放った。

「自分は────自分はグレイナインです。アナタの思い通りになる人形はもういない────!」

息吹を上げる。

後にあらゆる事件を解決し、世界にその名を知らぬ者なしと言わしめた大英雄。
────黄金探偵グレイナイン=K=ドリムゴードが、歴史にその名を刻んだ最初の瞬間である。












/"brilliant tales" Episode #5「Panance」Closed.
 and to be Continued Next Story.

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