#6 大暗黒祭二日目W/カタナ




────遠い昔の話である。
彼には家族と呼べる人もいたし、友と呼べる誰かもいた。

だがそれは結局よくわからない理由で壊れてしまったし、よくわからない理由で壊してしまった。
彼は強者である。強者に弱者の苦しみは理解できない。例えば象が歩くときに、踏み潰される蟻のことなど気にかけては生きていけないように。だが同時に、彼は蟻が象を呪う権利を否定するつもりもない。
誰かを背負うとはそういうことだ。踏み付けにする他者の重さを誰よりも理解し、その上でなお潰れぬ絶対の自我。それこそが彼の彼たる所以であり、また矜持でもある。

そんな彼にもそれなりに大切だと思えるものはあった。
それは例えば己の野望であったり、血を分けた肉親であったり、同じ夢を持った友人であったり。
とりわけ彼はその友人だった少年を気に入っていて、叶うならばもう一度、共に肩を並べることが出来たならと望んでいるほどだ。

……けれど。同時に彼は、その少年を畏れてもいた。

少年の秘めた強大な力も、確かにその一因ではある。けれどことの本質はそうではなかった。
彼は強者だ。他者を顧みることなどしない。

だからきっとどうでもいい誰かの為に、時として自覚なくその身さえ投げ打ってしまえる少年が、度し難いほど愚かしく────


───そして、正視し難いほどに、眩しかったのだ。


彼は自分のためにしか生きられない。それは人として間違ったことではないし、誰かの為などという行動理念は唾棄すべき偽善であることも知っている。まして真実自らを顧みぬ献身など、人間としての欠陥でしかありえない。
……だが、それでも。

それでももし、そんなふうに誰かの為になれたなら────……


少年は彼の在り方にひびを入れる。ゆえに彼は少年を畏れ、ゆえに彼は少年を好ましく思っていた。矛盾した感情は時と共に膨れ上がり、やがて抱えきれずに“殺意”へ挿げ替わる。彼自身にさえわからぬままに。
終わりは速やかだった。
目に見えた『理由』を与えられたことで、彼の殺意はあっけなく発露した。
引鉄を引く。鼓膜を破る音。硝煙と血の匂い。


……そう、思い返せば。
ジャッジ=アンダクルスターが後悔したのは、後にも先にも、あの時だけだったかもしれない。


* * *


白刃が奔る。
斬撃はとうに千を超え、当初の鋭さはすでにない。
今にも死にそうな足を支え、クロラットは剣を繰り出す。一撃は凡庸、流麗だった剣捌きはもはや見る影もなくなっていた。……当然だ、これほどまでに傷付いた身体で何が出来よう。立っていることさえ奇跡に等しいのだ、一度でも倒れればもはや二度と起き上がれまい。

────何を、莫迦な。

浮かんだ思考を、ジャッジは即座に否定する。先程もそう思い、だが現に彼は倒れてなお立ち上がった。ならば何度やっても同じことだ。クロラット=ジオ=クロックスは、ここでジャッジ=アンダクルスターを打倒する。

「────は」

それがおかしい。
不可能だから、ではない。こんなお遊戯じみた殺し合いを続けている自分が、おかしくて仕方なかった。

刃を受け死を覆す。撃ち出される右手を掻い潜り、さらに迫る剣戟。迎撃を避けられ、追撃を捌かれ、打ち合う拳と剣。
左腕からほとぼしる炎熱を剣の一閃で薙ぎ散らし、クロラットの黒いコートがばさりと翻った。視界を遮られ生じた一瞬の隙に、ドン、とコートの向こうから刃が突き立てられる。

「は────ぁ、はは」

すぐさま剣を引き抜き距離を取る黒い痩躯。一秒後に死に絶えても不思議はないと言うのに、そんな事実の方がよほどありえないと思わせる気迫を以ってクロラットは駆ける。
だからだろうか。その一撃が、

「……は、は、───はは、は」

────その一撃が、こんなにも重いのは。

脳天から垂直に、クロラットの剣がジャッジを両断する。
非凡ならざる一撃、されどそれは、今までのどれよりも剛い一閃であった。

だから、おかしくて仕方がない。
とうに死に体でありがなら、一撃ごとに重さを増していくクロラットの剣戟も。
黙って立っているだけで良かったのに、こうして迎え撃っている自分自身も────

「く───は、はははははははははは!!」

ボッ!!
即座に蘇生し、右腕を振るう。クロラットが『支配者の右腕』との接触を避ける以上、おそらく彼は左に避けるだろう。それを『烈火の左腕』で追撃する───そう定めた瞬間。

「なに────?」

避けず。
彼はそのまま身を沈め、さらにジャッジへと肉薄する────!


  『────灰色の聖書 終の章 第8節』


ザン、という肉を断つ音。クロラットの放った一閃は、ジャッジ=アンダクルスターの右腕を斬り飛ばす。
「ぐ───っ!
 しかし今更ぼくの右腕を切断したところで何の意味もないだろう!?」
「───さて、それはどうでしょう?」
ぱしん、と。クロラットは、切り離された彼の右腕を手に取った。
───まさか、と目を見開くジャッジの顔へと、彼は『支配者の右腕』を押し当てる……!

「───『支配者の右腕』、最大出力!!」


  『降りしきる灰塵 打ち払う剣』


放たれたREIが圧縮された風となって吹き荒れる。崩れ落ちる『エイデン』の瓦礫を照らし、見守るもののいない座席を光が疾り抜けて行った。
「ジャッジ=アンダクルスターの運動神経を制御!」
火花が弾ける。
その名の通り触れたものを支配する強制介入REI波『支配者の右腕』は、本来ジャッジ固有の能力ではない。REIソーサー・クインス=レイシードによって与えられた、後天的な特殊能力である。先天的な───即ち、正当な───保有者ではない以上、その力を奪われることもありうる・・・・・・・・・・・ということだ。
それがよもや、このような形で仇になろうとは────

「もらいます───『黄金の夜ドリムゴード』……!」

REIの腕が市長の身体を絡め取りその自由を奪っていく。
吹き荒ぶ風と荒れ狂う光の中、彼の口から漏れたのは、愉快さを堪え切れないような嗤い声だった。
「ク───ククク……!」
なお足りぬとばかりに『支配者の右腕』へ注ぎ込まれるREI。暴風の如く溢れ出す力の波が彼らのシルエットを焦がし、閃光となって『エイデン』の中心を突き抜けていった。

「そして、暗黒シティ市長ジャッジ=アンダクルスターを秘宝調査機関ナイツから強制離脱───!」

巻き起こるスパークが激しく弾けながら、端末の表示を変えていく……!!


* * *


「!?」

打開は劇的であった。
突如回路が焼け切れるような音と共に、キィの背後にあった魔導コンピューター───DGシステムが放電を始めたのだ。

「な……何……!?」

───まさか、DGシステムが逆探知されていると言うのか。

無論それ自体は、システムの運用に支障をきたすほどのものではない。だがモニターに映し出された状況から、N0.250が『支配者の右腕』を用いNKプログラムへ直接介入を仕掛けていることは推測できた。下手をすればそれは、シナリオの妨げとなる危険性も考えられる。
突然の事態にうろたえるキィ────それが、カタナの待っていた隙だった。

「『はいらっと』、再起動リブート!」

パァッ、と、再びグレイドルゴードナインの起動ランプが点灯する。キィがはっとして振り向く間にも、白い指は軽やかにキーボードの上を踊り、次々と操作を進めていく。
「む、無駄だと言ったでしょう……! あなたにDGシステムにハッキングすることが出来るほどのREIは───」
「それは、どうかな」
くすりと笑って、カタナはパン、とエンターキーを叩いた。
モニターに表示されたのは、REIDOLL『ドリムゴードシリーズ』サポートプログラム。設計者であるケン=シラバノが自ら作成した、ドリムゴードシリーズへの外部干渉を可能とする唯一のシステムである。
現在グレイドルゴードナインが認識しているドリムゴードシリーズの機体は一機のみ。ゆえにその一体・・・・こそが、起死回生の切り札エースとなる……!


  『しろがねの王国は砂礫へ還り 語り部は此処に本を閉じる』


「識別ナンバー確認、回線接続完了アクセスコンプリート
 対象コード『GRAYNINE』────!」


* * *


DGコアのたもと、体の中心を光が駆け抜けるような感覚に、グレイナインははっとして顔を上げた。
柱の中央で渦巻く光源が火花を撒き散らす。この『祭壇』と唯一繋がる場所とは、即ち神域。運命を決定付け織り上げる巫女───キィ=ヒストウォーリーの空間に他ならない。

────天の果てと地の底。
方向性は真逆であれど、行き着く先はどちらも同じだ。

「マスタ────!!」


* * *


繋がった……!

応答を示す表示がモニターに映されるやいなや、カタナの指がさらに早く音を刻む。
「な……何をするつもりですか───!」
キィの言葉に、カタナは不敵な笑みを返した。
何をするつもりかなんて、そんなもの決まっている。足りなければ補えばいい・・・・・・・・・・・、ただそれだけの話だ。


* * *


意図はプログラムを介しグレイナインへと伝わる。それと同時に、彼女はクロラットが自分をここに来させた意味も理解した。

「───ほんとう、つくづくひとが悪いです……!」

カタナ=シラバノが浚われたこと、彼女が9番機としての記憶を取り戻したこと、すべてこのために敷かれていた布石とすら思える。グレイナインはまだ知る由もないが、それこそが彼の秘められた能力ちから、運命や因果すら改変しうる事象特異点『SASH』と呼ばれるものだった。

グレイナインの包帯が淡く輝く。
コアの壁面に走る回路へ指を合わせ、彼女はメモリーからDGコアとの直通回線を開いた。本来それはナインの思考に干渉し、DG再構成計画のサポートを行わせるためのものであるが───


逆に言うならば。

彼女からDGコアへ干渉することも・・・・・・・・・・・・・・・・、また可能なのではないのだろうか?


無論グレイナインには、それによってDGシステムを制御するほどの出力も高速演算力も備わっていない。だがそれは彼女ではなくそれに相応しい人物が行えばいいだけの話。グレイナインの役割は、彼女がその力を存分に振るうための舞台を整えること────
「帯REIナノマシンエンジン、DGコア同調開始。誤差修正、3、2、1───同調、完了」
瞬間、グレイナインの中へと逆流する膨大なデータ。
だが恐れることはない。メモリを一瞬でパンクさせるほどの情報量は、しかし彼女に干渉する主人マスターのサポートによって必要なもの以外は全て遮断される……!


  『英雄たちは道標を失い しかし再び歩き出すだろう』


DGコアとは文字通り、今や暗黒シティ中に根のように張り巡らされたDGシステム端末の核。コアとリンクしたグレイナインにとって、それはもはや彼女の触覚も同然だ。
流れ込む広域信号。身体はここにありながら、グレイナインは街のあらゆる場所へと意識を延ばすことが出来る。
「DGシステム端末、全208機確認。───導線リードフルオープン、エネルギー誘導コード発令」
リミッターが強く輝き、少女を中心として放射状に放たれる光。
カタナが持ち得る才能を如何なく発揮するためには、相応の「力」が必要だ。───ならば自分の役割は、それを用意すること。DGシステムそのものからエネルギーを奪うことは出来ないが、街に溢れたDGシステムの端末がグレイナインの一部となった今なら───


───100101100011101111010001110101001000110001010010010110010111011110100001110───


端末と交戦の最中にある、暗黒シティ中の英雄たちからそれを誘導することが可能になる────!

接続アクセス充填チャージ零送信開始スタート・R E Iトランスポート

いつかの列車での戦いのように、一時的に内へ溜められた「力」が彼女を介しグレイドルゴードナインへと送られていく。
────彼らとはじめて出逢った、あの闇色の空の下。
ここにグレイナインは、暗黒シティ中からREIを汲み上げる導線となったのだ。


* * *


「────来た!」
モニターに表示される誘導コード。同時に、目に見える「力」の奔流となってREIが満ちる。
それに応えるように、グレイドルゴードナインが力強く瞬いた。
「……そん、な……」
愕然としたキィの呟きも今は聞こえない。かつてない一体感が彼女のうちを駆け巡る。
グレイナインから汲み上げられたREIが、身体の隅々まで行き渡る感覚。今なら自分の手足を動かすように、これを操ることが出来る確信があった。
「───『はいらっと』、レディ───」
言葉とともに、カタナの指先がキーボードの上を滑る。
まるで鍵盤を弾く奏者ピアニストのようだ。奏でられる音は心地良く、果たされるべき勝利を響かせる……!

「────GO!」

タン、と、白い指がキーを叩く。
再び具現化するM言語の帯は、さながら楽譜の五線譜のよう。グレイドルゴードナインから紡がれた旋律は弧を描き乱舞しながら、今一度DGシステムへと侵入を開始する────!
「さ、させません……!」
唸りを上げて迫るM言語の帯。それを止めるべく、キィはDGシステムのプロテクトを作動させ自らも侵入ルートを潰しにかかる。


  『鐘の音は永久とこしえの彼方に』


「……え?」

────しかし、それすらも彼女を止めることは出来なかった。

呆けたように、うそ、とキィは間の抜けた呟きを漏らす。
DGシステムに施された何重ものプロテクト、管理者たるストーリーテラー自らによる侵入妨害。破られることなどまずありえないはずの防壁は、だが、足止めにすらなっていなかった。

カタナはまるで、最初からそうくることがわかっていたかのように、キィの妨害を打ち崩していく────!

「なん───で……」
その答えは、しごく単純な話だ。
一度目のMハッキングは無意味ではない。それによって得たデータから、カタナはあること・・・・に気付いたのだ。
「キィ=ヒストウォーリー。───このプロテクトを作ったのは、誰?」
「──────?」
突然の問いかけの意図が掴めずに、キィは訝しげに眉を顰める。
「何を……言ってるんですか。そんなの私に、」
───決まっているじゃないですか、と言おうとして。
彼女はようやく、その答えに思い至った。
「だろうね、それじゃあもう一つ。───君は、誰だったのかな」
そう。キィ=ヒストウォーリーとは、かつてのカタナ=シラバノそのものだ。プロテクトを組んだのも、ハッキングを阻止せんと立ちはだかっているのも、即ち自分自身に他ならない。
ならば突破など容易いこと。あの頃の自分の考えることなんて、手に取るようにわかる。
出来ないはずがない。難しいこともない。わたしがわたしに負ける道理なんて、万に一つもないのだから……!


  『たかき誓いは黎明の空に』


「……そん、な……」

愕然として呟くキィの前で、DGシステムのプロテクトが瞬く間に破られていく。
「や……、やだ、やだやだやだやだ……!! そんなのない、そんなのひどい、どうしてアナタが私の邪魔をするんですか……!?」
もはや無駄だと判りきっている妨害を繰り返すキィ。その姿は、まるで駄々をこねる子供と同じだ。
「────────」
目を逸らさず。
……それこそが、私の罪なのだと己に刻むように。
悉くを打ち破り、ついにカタナはDGシステムへと到達する────!


* * *


  『黄金たる熾天の祈り
   ここに輝ける星と為さん!!』


* * *


────バチバチバチバチ───!!!

大気を焼きスパークを撒き散らしながら、端末の表示が変わっていく。
激動する『エイデン』を包んでいた旋風は徐々に収まり始め、濛々たる砂埃と死闘の決着を告げる電子音だけが彼らを取り巻いていた。

「……まさか、こんな“手”で来るとはな」

先に口を開いたのは、ジャッジの方だった。
潔さなどない、あくまでも不遜な口調で、最後までクロラット=ジオ=クロックスの前に立ち塞がる不倶戴天の仇敵として。
だがその言葉のうちに、隠し切れない愉色が含まれていたことを、果たして彼は気付いただろうか?
無論カタナ=シラバノのパートナーであることを、彼が貫いたからではない。そもジャッジ=アンダクルスターは、彼らの間にあるものに興味などありはしない。彼にとって、クロラットの決意は最後まで頷けるものではないだろう。
ゆえに彼が感じている快さは、己自身のために他ならず。

……共に肩を並べることは、もはや叶わなくとも。
全力を以って互いの夢を賭けたと言うのなら、それは────


「勝負あり───ですね」
火花の残滓を纏いながら、端末の表示がNo.250の勝利とNo.100の敗北を刻む。
ナイツシステムが市長を死亡として認識した以上、当人の生死に関わらず『黄金の夜ドリムゴード』を手にする資格はなくなった。シナリオ修正プログラムによる自動蘇生リレイズも、これではもはや意味を為すまい。
そう、彼らを絶対的優位に立たせていたはずのDGシステムこそが、彼らにとっての死角となったのだ。

────見事だ、クロラット……!

賞賛は胸のうちに留めたまま、ジャッジは自分の右手の指の合間からクロラットを覗き見る。ボロボロの風体、今にも切れそうな呼吸。それを繋ぎ止めたものはなんだったのか。

「クク───そして貴様が最後のナイツか」

裏切りに対する宿怨でも、復讐のための執念でもなく。
最後の最後に彼を支えたのは、ちっぽけな────その胸で揺れる、鉤十字のペンダントであった。
わかっていながら、ジャッジは決してそれを認めはしない。ゆえに彼が残すのは、敗者の恨み言だけだ。

「ならばせいぜい後悔するがいい、クロラット=ジオ=クロックス───!」


────No.100、脱落────


* * *


───ばちぃッッ!!!

「ッ……! マスタ────!?」
火花を放ち、グレイナインが触れていたDGコアの回路が焼け切れる。
おそらくはカタナがMハッキングを行ったことで、本体の防衛機能が作動したのだろう。制御用端末を含む他とのあらゆる回線が、一時的にすべて遮断されたのだ。
それによってグレイナインのリンクは断たれ、同時に、グレイドルゴードナインとの接続も切られてしまった。

「……マスタ───」

地の底から天の果てを見上げる。
DGコアの中央部、深淵を照らし上げる光の渦はいまや呻きとも哭き声ともつかぬ音を発しながら鳴動していた。
明滅を繰り返す光源によって、伸びた影が無数に揺らめく。
彼女はしばしその場で留まっていたが、やがてくるりと身を翻し、もと来た道を駆け戻って行った。

……広間を出る前に、足を止めて振り返る。

目を閉じ、彼女は一度だけ祈りを捧げた。瞼の裏にあるイメージは、昏い空と8つの十字架。
すでに道を別った自分に、カレらを悼む資格などありはしないだろう。戻らないもの、失われたものはきっとある。けれどだからこそ、その哀しみに迷うことは許されない。選んだ道に、失くした意義を見失わないためにも。

────ゆえに、この感傷は一度きり。
グレイナイン=K=ドリムゴードは、そうしておしまいの祭壇を後にした。


* * *


空間が、軋みを上げて慟哭する。
規則正しい秒針の音はすでになく、空に走った亀裂からは白い光が漏れ出していた。

「…………な……ん、で……?」

文字通りかすれた声で、放心したようにもう一人の自分を見つめるキィ。その姿に時折、ひび割れるようにノイズが混じる。
瞑目したまま、カタナはゆっくりとグレイドルゴードナインを閉じた。
「……わからない、わからないよカタナ……!
 だってそれじゃあ私はずっと間違えたまま、ずっと苦しんでいくっていうことじゃないですか……! 私……自分わたしさえ消えれば、もう傷付かなくていいのに。もう誰も傷付けなくていいのに……!」
息をしてても苦しいだけで、楽しいことなんてなんにもなかった。そんな余分を持つことなんて許されなかった。
毎日は寒くて痛くて、だけど心はガランドウだから、なんにもないまま削げ落ちていく。
自分のためにさえなれない人形が、誰かから何かを奪っていく。そんな傲慢がどこにあろう。───ほんとうは。わたしは誰も、傷付けたくなんてなかったのに。

少女の声は、もはや悲鳴に近い。
現に。
彼女の目には、大粒の涙が浮かんでいた。


……なんだ。
あのころのわたしでも、ちゃんと、泣くコトだってできたんだ。


そんなことに、もっと早く気が付けば、よかったのに。

「───そうだよ。君も私も、こうしてずっと苦しみながら生きていく」

はっきりと告げるカタナに、キィは愕然と目を見開く。
不鮮明さを増していくそのカタチは、まるで、カゲロウのように儚い。

「……ど……して……
 だって、忘れたわけではないでしょう……!? 冷たい部屋で仕事の日々、与えられた仕事はすべてが汚れ役! 自分を利用することしかない肉親、政略結婚と離婚の繰り返し……!!
 その中で、いったい誰があなたを助けてくれましたか!?
 誰が……あなたに優しくしてくれましたか……!!!!」

……それは、利用されるためだけに生み出され、誰にも顧みられなかった少女の精一杯の叫びだった。
聴いているのは自分だけ。だからぶつけられる言葉は、ただ自分自身を傷付けていく。
あんまりにも滑稽で、……そして、なんて孤独な在り方だろう。

「……そうだね」

短く息を吐くように、カタナはキィの言葉を肯定する。
忘れているはずがない。忘れられるはずがない。それは彼女がカタナ=シラバノである限り、薄れることなく記憶に在り続ける無彩色の鳥籠。
────それが、色を得たのはどうしてだったか。

「やだ……私はまだ果たしてない、このまま何も果たせないなんてやだぁ……!! なんで、どうしてあなたまで私を否定するの……!?」
藻掻いている。無意味な自分が耐えられなくて、少女は必死に藻掻いている。
だから意味もなく他者を犠牲にしていく自分自身を消したかった。たとえそれが悪夢でも、彼女にとってはたったひとつのかけがえない夢。どんなに虚しいものでしかなくても、どんなに無意味であったとしても。



───────その悲痛な声を。どうしてわたしが、振り払うことが出来るのだろう……?



「──――――――」
誰もわかってはくれないだろう。誰も許してはくれないだろう。
消えない咎跡、癒えぬ傷痕───されどそれでも、確かなものがこの胸にはある。何があろうとも、たとえその先が、過酷な破滅に閉ざされていたとしても。

“もし私がどうしてもシラバノを継がざるえないなら……
 せめて……自分以外の人間には、こんな感情のない笑顔はさせたくないって───”

出来るかどうかはわからない。結果は無残なものかもしれない。
けれどそう決めた。誰にも理解されなくても、みんなに嫌われることになっても……もう二度と、こんな淋しい存在わたしを生み出させないために。

「……わからないよ……カタナ……
 あなたは……いずれ、この街に滅ぼされるのに……!」
「うん。……そうかもしれないね」
それはきっとどうしようもない、どこかにあった一つの結末おわり
でもそんなもの、つらいことでもなんでもない。いつか訪れるかもしれない未確定の破滅より、今ここで、あの日の誓いを───彼との盟約を裏切ってしまうことのほうが、もっとずっとつらいから。

「けど。
 ────私が夢を見たのも、この街だから」

キィの姿は融けるようにその輪郭を失いながら、光の渦に飲み込まれていく。それでもなお拒絶するように首を横に振る少女に、カタナはそっと手を伸ばした。

「――――が―─―いるよ」

差し出されたてのひらの真意が掴めず小さく肩を震わせるキィに、彼女は安心させるように笑いかけた。乾いた笑みだなんて言わせない、セカイで彼女だけしか浮かべることの出来ない笑顔。

「君には───わたしが、いるよ」

この街は、きっと君にもわたしにもやさしくはないけれど。
この街は、きっとわたしも君も許してはくれないだろうけど。
ならせめて、自分くらいは自分を赦そう。
誰もわかってくれないけど、わたしだったら君をわかってあげられる。あるいはそれは───わたしにだけしか、わかってはいけないものなのかもしれない。


あの痛みも。
あの苦しみも。
心の檻に閉ざされた、あの現実の冷たさも────


けれどそれなら、きっと彼女にもわかるはずだ。
わたしが得たもの。わたしが失ったもの。わたしが見つけた、黄金のユメ。

「君は、人形でも部品でもない」

カタナの指先が伸ばされる。消えていくキィの指を求めて。
「そう思い込まなくちゃ苦しすぎただけ。───でも、それでも君は何も諦めることなんか出来なかった。
 少しでも自分を好きになりたくて、誰かから認められるようになりたくて───……そのためにずっと考えてたじゃない。私は何を間違えてしまったんだろう、って。
 君は、ただその順番を勘違いしてしまっただけ」
「──────……」
火花が弾ける。亀裂から溢れる光が、周囲を皓く塗り替えていく。
その中で、とうとうカタナの手がキィの腕を捕まえた。
「ッ……!」
びくり、と肩を震わせる少女を、彼女は────そのまま、そのかいなに抱き寄せた。

「……君は、今まで苦しんできた。きっとこれからも苦しんでいく。
 でも、それは決して無価値じゃないよ。それを誰よりも、君自身が認めてあげなくてどうするの────?」

あ、と呟くキィの身体を、カタナはきつく抱きしめる。
消えゆく少女に少しでも、この想いが届くように。

「……生まれてきたことさえ間違いなんて、言わないでよ。
 それじゃあ君が苦しんできたは何のため? 君が消えたら、それは本当に、何の意味もなくなっちゃうじゃない……!」

孤独はなくならない。傷は、きっとこれからも増え続けていく。
けれどそれすら否定してしまったら、今ここにある想いは、いったいどこへ行ってしまうのだろう。悲しみも歓びも、強さも弱さも────すべてを抱いて、愛せばいい。

最後まで胸を張って。どんな罪を背負っても、どんな罰を受けたとしても。



 ……その日々が。

    いつか、眩い奇跡に出逢えるように。



「わ、たし────……」
震える声で、キィは彼女の肩越しに、その向こうの何かへと手を伸ばす。
少女が光の中に何を見ているかは、もう、カタナにはわからないけれど。

────ぱきん、と。
空間の亀裂が広がって、砕けていく。
それはもうどこにも、ストーリーテラーなんていう存在がいないことの証。ここにはただ、自分を傷付けながらぬくもりを求めて泣きじゃくる少女がいるだけだ。


「……すぐ気が付くよ。───君の願いは、ただ、目が覚めているだけでも叶うんだって」


たとえその先に。

求めたものが、何もなくても。












/"brilliant tales" Episode #6「世界の終わりで待ってる」Closed.
 and to be Continued Next Story.

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