#END-B' "everlasting brilliant tales."
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……くらやみの中に、星を見つけた。 |
:Fine Day [good moring, brand-new me.] ────目覚めは、いつになく穏やかだった。 響き渡る鐘のおと。カーテンのすきまから射し込むしろい日差し。 いつもと何も変わらない朝、いつもと何も変わらない一日がまたはじまる。今日も変わらずおしごとをして、夜になったらねむるだけ。 まるでこわれたビデオみたい。ずっと同じところばかりを繰り返している。 ────でも。どうしてなのかは、ほんとうにわからないのだけど。 今日にかぎって、いつもよりもすこし朝がやさしい。 朝にやさしいも何もないはずなのに。きのうも今日も、何ひとつ変わらない一日なのに。 理由もなく、わたしのしんぞうがどきどきとしている。ほんとうにわけがわからない。 でも、ちっともいやな気持ちじゃなかった。重さなんてないはずの体が、うそみたいに軽くて。今ならなんだか、おそらだってとべそうな気がした。 そのとき、こんこん、と、ドアをたたく音がする。 「おはようございますカタナ様。着替えを持って参りましたので、こちらにお召し替え下さい」 わたしについているメイドさんだった。彼女はしずしずとおへやに入ってきて、しずしずとテーブルの上に着替えを置いた。 「────……?」 いつもならそのまま出て行ってしまうはずのメイドさんが、今日はすこし首をかしげて、ふしぎそうにわたしをみる。わたしもふしぎだから首をかしげると、彼女はくすりとすこしわらった。 「申し訳ありません。いつもよりカタナ様のご機嫌がよろしいようでしたので……良い夢でも見られたのですか?」 ゆめ。 そのことばは、すとんと胸のなかに落ちた。 わたしは「しらばの」のぶひんだからゆめなんて見たことはないけれど、ひょっとしたらほんとうに、こんな気持ちになるくらいすてきなゆめを見たのかもしれない。 『────きみのちからを ぼくにかしてほしいんだ』 ……そんな、しらない声が頭のおくで響いた。 思い出せない。それがだれであったのか、どこで聞いたことばなのか、そもそもそんなことがあったのか。よくわからないから、ゆめという表現はてきせつだと思った。 「───はい。そうみたいです」 わたしがそう答えたことが、そんなにも意外だったのだろうか。 メイドさんはきょとんと目をまるくして、そのあと、いつものむひょうじょうがうそみたいにはがんした。 「そうですか。それならきっと、今日はいいことがありますね」 いいことなんてない。きっと今日も、変わらない一日。 わかっていたけれど、今日くらいはそんなことばも、信じてもいいかもしれないと思った。だってゆめを見るなんて、わたしにはぜったいないと思っていたことが起きたんだから。 しつれいしますね、と、メイドさんはさいごまでえがおで去って行った。 服をとって着替えようと思ったとき、ひらりと、みおぼえのないものがテーブルの上から落ちる。 メイドさんは、こんなものは置いていったりしないから、これはわたしのもちものということになる。でも、ぜんぜんきおくにない。今朝はなんだか、そんなことばかりだ。 床に落ちたものをひろいあげる。────カラスみたいな、まっくろな羽根。 しらないはずのものなのに、どうしてか、とてもなつかしいような気がした。 |
DREAMGOLD -Chapter if "brilliant tales"- an Epilogue [ The Ending with Blue Sky. ] |
:Fine Day [good-bye, see you again.] 青く晴れ渡った空に、白い紙吹雪が舞い上がる。 柔らかく光降る春の日。ざわざわとした人の声と靴音が満ちる中に、ぺらり、と紙を捲る音がひとつ溶けた。 文字を辿る細い指先。どこからか舞い込んだ櫻の花びらが、一枚、本の上に落ちる。 ────宝暦2052年4月2日。大暗黒祭最終日、聖クローディア駅構内。 列車を待つ人々に混じり、ベンチに座った一人の女性が本を捲っている。 翡翠の糸を束ねた髪がかかる、端正な横顔。白魚の指先が綴られた文字を辿っていく。淡い光の中でページを捲るその姿は、ただそれだけでも宗教画めいて神秘的だった。 「……おもしろい、ですか?」 女性の横に立っていた少女が、思わず声をかける。 白と青を半分ずつ合わせた外套。頭を覆うフードからは、ショートボブの黒髪が覗いている。幼さを残した面立ちには、不釣合いなサングラスが乗っていた。 「はい、とても。これだけ大切に使っていただけたなら、私もお渡しした甲斐があるというものです」 本から顔を上げると、女性───エト=アイルは少女に向かい柔らかく微笑んだ。ぱたん、と膝の上の本が閉じられる。 ……一冊のノート。いつか彼女が目の前の少女、グレイナインに手渡した日記帳だった。 「う、でも……初めの方とか字も汚いし、内容だってひどいですよ? 支離滅裂だし、くだらないことばっかりで……」 言いながらその拙い中身を思い出したのか、うぅ、と肩を落とすグレイナイン。いくら感情が行動にストレートに反映される彼女とは言え、自分の日記を人に見せるというのはやはり多少なりとも恥ずかしいものがあった。 いや、確かに中には胸を張って見せてもいいと思っているものもあるのだが。それでも大部分は他愛の無い、ありふれた日々の切り貼りである。 「そんなことはありません。どんな内容だったとしても、それがグレイナインさんにとって大切なものだったからこうして記されているのでしょう? くだらないことなんかありませんでしたよ」 しかしエトは眩しそうに微笑み、そっとノートの表紙を撫でる。 渡したその日から欠かさず重ねられてきた日記。必ずしもその内容は快いものだけではないけれど、それでも少女の純粋な ───それが、素晴らしいものでないはずがないと。 そう笑みを浮かべて語るエトに、グレイナインはえへへ、と照れたようにフードを引っ張る。 「そんな……お、おおげさですよエトさん」 「ふふ、そうですか? ───ですが、とても幸せな日記だと思いますよ」 すっ、とベンチから腰を上げ、エトはノートをグレイナインに差し出す。使われたページはまだ半分ほど、まだしばらくはこのノートには、日記がつけ続けられてくはずだ。 きっとこれからも変わらない、彼女らしいまっすぐな軌跡を残して。 「……幸せ……ですか」 ノートを受け取りながら、グレイナインは僅かにサングラスの下の瞳を曇らせる。この中にはあのドリムゴード事件の最中で起きた、つらい思い出も記されているというのに。 けれどそれでもエトは、穏やかな微笑を湛えたまま、 「はい、とても。 この日記を読んでいると、グレイナインさんは本当にクロラくんとカタナさんがお好きなんだなって伝わってくるんです。グレイナインさんのお二人に対する一生懸命な気持ちとか、彼らと共に過ごした日々をどれだけ大切に想っているかとか。そういうものが、このノートには詰まっているんです。 ───それは、幸せなことではありませんか?」 グレイナインを見つめ、彼女はあたたかな口調で───しかしどこか切なげに問いかける。それにどんな願いが込められていたのかは理解るはずもなかったけれど、だからこそ少女は、女性の言葉に力強く頷いた。 「……っはい! 自分も───本当に幸せ者だと思いますっ」 答える言葉に迷いはない。 この春の空のように、どこまでも澄み渡った宣誓。 ……だから、その曇りない答えが。 エト=アイルにとっては、少しだけ哀しかった。 * * * 『間もなく 発車15分前を告げるベルと、乗車を促すアナウンスが駅構内に響き渡る。 暗黒シティを覆う『三つの壁』を越え 「────よし」 日記帳を荷物の中に仕舞い直して、グレイナインはすくっ、と立ち上がる。ふわりと翻る外套。この日彼女もまた、外へ旅立つつもりだった。 ────そう。少女、ただ一人で。 「淋しくなりますね……グレイナインさんとは、もうしばらくお会いできないかと思うと」 ホームへ向かうグレイナインに続きながら、エトは言葉通り残念そうな笑みを浮かべる。その表情に僅かに覗く含みのいろに、先を行くグレイナインは気付かない。 「自分も少し淋しいです。でも、そんなことは言ってられませんし」 長いホームに出ると、陽光に鈍くその身を照らす ────本当に。自分はこれから、暗黒シティを出るのだと。 そんな実感が、改めて足下から広がってくる。 「──────……」 どくん、と大きく鼓動する 足の震えが止まらない。今すぐにでも駆け出したい。────それは、抑え切れない昂揚だった。 「グレイナインさん、どうかしましたか?」 「あ……えぇと」 はた、と我に返り、エトの方に振り返る。穏やかな微笑みは、まるで何もかも理解っていると言うかのように優しげだった。 「……すみません、やっぱり前言撤回で」 淋しいなんて言ったばかりで、一人暗黒シティを出ることに多少なりとも不安だってあったのに。こうしていざ旅立ちを目の前にしたら、そんなものはどこか遠くに飛んで行ってしまった。 ……だって、わくわくしないわけがない。 この街を出る寂しさも、見知らぬ地への不安も────新しい世界を歩く、その輝きに敵うはずがなかったのだ。 淋しがったり不安に立ち竦んだりする暇なんて、どうしてあると言うのだろう。すべきこともやりたいことも多過ぎて、とてもじゃないけれど、そんなことに割り振る時間はありそうにもない。 「───今は、ただ楽しみです。きっと世界は広いだろうから」 偽らざる気持ちを、はっきりと告げる。 ……そう、例え。柔らかに目を細める聖女が、その瞳の先に、 「お、いたいた。おーい」 列車に乗り込み、開けた窓越しに二人が話していると、一人の青年がこちらに向かいホームを走って来た。 端正な顔立ちに眼鏡をかけた、金髪の青年───ユニックス=F=オディセウス。市長軍の四獣王第二位であり、グレイナインとも親しい知人である。 「あれ、ユニ夫さん。どーしてここに……」 窓から身を乗り出し、目を瞬かせるグレイナイン。小さく会釈するエトに手で応え、彼は少女の前で足を止める。 「どーしてってそりゃ、お前の見送りだよ、見送り。他にないだろーが」 「え? でも市長軍は確か今───」 中央広場で行われている、式典の警備をしてるはずである。 首を傾げるグレイナインに、しかし彼ははいけしゃあしゃあと、 「俺一人くらい抜けても問題ないだろ。ほれ、市長公認」 そう言って、懐から一通の手紙を取り出した。白い封筒には紛れもなく暗黒シティ市長ジャッジ=アンダクルスターの印と、少女への宛名が見て取れる。 「ふふ、困った方ですね。またパーパロウ様に怒鳴られますよ?」 「あー、そのへんは見逃してくれるとマジでありがたい。 ……と、ほれグレイナイン。市長からの餞別だ」 がりがりと頭を掻きつつ、ユニックスはぽかんとしたままのグレイナインにその封筒を渡す。手の上に落ちるささやかな重み。一見すれば、何の変哲もないただの手紙ではあるが─── 「……な、なんのつもりなんでしょう。あの あまりの不審さに縦にしたり横にしたり日に透かしてみたりとしてみるが、やはりこれと言って怪しいところは見当たらなかった。封筒の表をしげしげと見つめて疑問符を浮かべるグレイナインに、エトは思わずくすくすと笑う。 「案外、グレイナインさんへのラブレターかもしれませんよ?」 『はぁ!?』 思わず同時に素っ頓狂な声を上げ、グレイナインとユニックスはエトを見る。揃って心底イヤそうな表情を浮かべる二人に、彼女は悪戯っぽく微笑んで、 「まぁ、それは冗談ですけれど。……大切なお手紙でしょうから、捨てたりせずに、後でちゃんと読んであげて下さいね」 子供に言い聞かせるような口調で諭すエトに、少女はなんとなく微妙な表情で、改めて封筒を見る。万年筆で綴られたグレイナイン=K=ドリムゴードの名。……ほんとうに、いったいどういうつもりなんだか。 「…………えぇと、……はい」 少女らしからぬ歯切れの悪い返事で、グレイナインは手紙を外套のポケットにしまった。こういう時の仕草と言うか雰囲気がどことなくクロラットに似ていて、ユニックスは思わず苦笑する。 「むむ。ユニ夫さん、なに笑ってるんですか」 「いやー、なんと言うか。……しかし残念だよな、……クロックスもカタナも、見送りにも来られなくなっちまって」 「────────」 どこか遠い目をして呟くユニックスに、グレイナインは口を噤む。 かつて───もう一年半も前になるのか、暗黒シティを出て旅することを夢だと語ったクロラット=ジオ=クロックスと、彼のパートナーであり、少女のマスターでもあるカタナ=シラバノ。この場にいるべきはずの二人は、けれどその姿を現すことはない。 あのドリムゴード事件の後、彼らは────── 「……それは……仕方ないです。だって────お二人とも、何かと忙しい身ですから」 寂しそうな表情から一転、えっへん、と自分のことでもないのに妙に得意げに胸を張るグレイナイン。 カタナ=シラバノは、今まさにシラバノの総帥として就任記念式典の真っ最中だった。クロラットもその裏方として、手が放せるような状況ではないだろう。 ちなみにユニックスが警備から抜けてきた式典というのもこれである。 「……ったく、なんだかんだで遅れに遅れたからなぁ。さっさと継いでくれりゃー 「ふふ、でも仕方ありませんね。お産はデリケートなものなんですから」 やってられねー、と言わんばかりにぼやくユニックスと、口許に手をあててにこにこと微笑むエト。そして、一部始終の経緯を知っているがために苦笑を浮かべるグレイナイン。 昨年の今日───ドリムゴード事件最後の日。 発覚したカタナ=シラバノ懐妊の事実は、局所的に大騒ぎを起こした。主に大変だったのはクロラットだが。 はじめのうちはもうしばらく隠しておこうということになったのだが、どこからともなくすっぱ抜かれ、瞬く間に暗黒シティ中に知れ渡る一大スキャンダルになったのである。カタナは頑なに父親の名前を言わなかったため事態はさらにややこしいことになり、一時は彼女の総帥就任辞退まで囁かれたほどだった。……ちなみに父親の名前に関しては、現在では半ば公然の秘密状態である。 しかし世間の風評などどこ吹く風とばかりに、事件終結から半年後、カタナは無事に出産を果たした。子供の名前はクロブレイド。───もう少し捻れ、と、一部関係者を辟易させたとかなんとか。 一方お父さんの方はと言うとさすがに覚悟を決めたらしく、出産後はわりと落ち着いていた。カタナの退院以降は何かと表舞台に立たなければならない彼女に代わり、半同棲状態で子供や彼女の身の回りの世話に奔走している。と言っても、そのあたりはグレイナインも同様だったが。 不慣れな人間ばかりだったためてんやわんやの日々ではあったが、彼らにとっては間違いなく幸せな毎日だっただろう。そうしていろんなことも何とか落ち着いた半年後────つまりは今日、カタナはようやくシラバノの総帥に就任したというわけである。 そのセレモニーが今、シラバノ本社ビル前の中央通りで行われているのだった。市長もそちらに参加しているはずである。 「残念じゃないって言えば嘘になっちゃいますけど……そのぶん昨日の送別会ではたくさん励ましてもらいましたし、ましてや今生のお別れっていうわけじゃありませんから。きっとすぐまたお会いできますよ!」 「……えぇ、そうですね」 元気よくそう言うグレイナインに、どこまでも柔和な仕草で首肯するエト。ユニックスもまた軽く笑みを浮かべて、 「ま、それもそうだな。……そういやグレイナイン、そのサングラスどうしたんだよ? ひょっとしてクロックスからの餞別か?」 と、ふと少女の顔に乗る、不恰好なサングラスを指差した。 「これですか? はい、先生から頂いたものなんですよー。他にもマスタからほら、前にマスタが帽子に着けてた飾りも頂きました。なんだかすごい石らしいです」 似合いますか?と、自分の顔とフードに細い紐で結ばれた透明な石を指し示すグレイナイン。石の方はともかく、クロラットが着けていても似合わなかったサングラスを少女が着けて似合うわけもないのだが。なんとなく本人は満足そうなので黙っておく。あと何かエトの笑顔が怖い。 「……あれ? エトさん、何か急に……」 「いえいえ、そんなことはありませんよ? でもクロラくんもひとが悪いです、言って下さればグレイナインさん用のものを別にご用意しましたのに」 困ったように微笑むエトだが、何も言ってないのに「そんなことはありません」とか言うあたり実に不気味だ。理由がわからずほけっと首を傾げるグレイナインと、額に汗を浮かべつつ視線を逸らすユニックス。 ────その時、高らかな汽笛が鳴り響く。 大暗黒祭最終日、正午。いよいよクローディア号が、出発の時を迎えたのだ。 「あ…………」 止まっていた列車が発進準備に入る。ごとごとと震動を始める機体。……とうとう……暗黒シティを出るのだ。 「お気を付けて、グレイナインさん。またお会いできる日を楽しみにしています」 「お前は可能性だけならクロックスに負けてないからな。外で充分に見聞を広めて来るといいさ」 小さく手を振るエトと、フードの上からわしわしと乱暴に頭を撫でるユニックス。 ずれたフードを軽く直し、グレイナインは強く頷く。 「────はいっ……! 先生とマスタにも、どうかよろしくお伝え下さい!」 ごとんっ!という、ひときわ大きな震動音。 ゆっくりと────クローディア号が、その巨体を前進させていく。 湧き起こる歓声と紙吹雪が青空へ吹き上がった。外へと旅立つ多くの人たちを送り出す盛大な拍手の渦。 ごとん、ごとんと揺れながら、クローディア号は徐々にそのスピードを上げていく。窓から身を乗り出し、グレイナインは大きく手を振った。 「お元気で───ぜったいにまた帰ってきますから……!!」 見送る二つの人影は、少しずつ小さくなっていく。吹きつける風が少女のフードを飛ばし、短めの髪を上空へと攫った。 歓声はやむことなく、拍手は途絶えることなく。 白い紙吹雪と、薄く色づく櫻の花弁が、抜けるほど蒼い空へと舞い上がる。 * * * 「………………行ったか」 遠く、その歓声を耳にしながら、彼は小さく呟いた。嘲るような響きと共に、狂おしいほどの親愛が込められた声で。 眼下の、中央通りに詰めかけた人波も歓声に気付いたのか、俄かにざわめき始めている。それを視界の端に捉えつつ、彼は懐から一通の手紙を取り出した。 封を綴じる、円の中に白と黒の鉤十字をあしらった印。 開けられた形跡はない。これを受け取ったのは、もう、一年半も前の雨の日のことだ。彼のもとに届けられた『遺書』───差出人の名は、──────…… 皮肉げな笑みを浮かべ、彼はちらりと視線を移す。その先にいた人物の姿に肩をすくめ、躊躇わず、彼はそれを引き裂いた。 破られた小さな紙片は、風に乗って空に消える。 まるではじめから存在しなかったように、蒼穹へと吸い込まれて。 * * * 「───あ。この音……」 広場に設けられた特設ステージから舞台裏へと戻る途中、暗幕の影で彼女は思わず顔を上げた。 耳朶を微かに震わせた汽笛の声。そして遠くから響く歓声。この日、この時間に聞こえるそれには、一つしか心当たりがない。 「行ったみたいだね」 「……うん」 隣に並ぶ青年の言葉に、彼女は小さく頷いた。その声音に混じるどこか申し訳なさそうな響き。 彼は軽く嘆息を吐き、そっと彼女の手を取った。 「やれやれ、君も相変わらずだね。そんなことを君が気に病む必要はないでしょうに」 「それは……そうかもしれないけど」 「そりゃ、ぼくだって未練がないって言えば嘘になるけどね。……まぁでも、この街でやりたいこともいろいろ出来たし、後悔はしてないんじゃないかな」 仕方なさそうに肩を竦めて言う青年。けれどそれが彼なりの、精一杯に前向きな意思の顕れであることは、彼女にだって伝わった。 「……そっか。うん、そうだね」 幸せそうに微笑んで、彼女は青年の手を柔らかく握り返す。この一年、ときおり彼女はこんなふうに、それまでにない笑顔を浮かべることがあった。それが彼にとってはなんだか落ち着かないと言うか、変化した関係の証のようで、ひどく照れくさいのだとは知るよしもない。 「……まぁ、その。こっちはこっちで、お互い頑張りましょうということで」 思わず顔を背けつつ、こほん、と一つ咳払いする。彼女の首を傾げさせつつ、青年は遠い蒼穹を仰ぐ。 ────天は高く、空は蒼い。 舞い上がる紙吹雪と櫻の花のひとひらが、春の つられるように、傍らの彼女も天を見上げた。 透き通るような大空を飾る白い雪。……かつて憧れた色の中を、真っ白な鳥が羽ばたいていく。 「────────……」 汽笛の声は遠く遥かに。 いつかもう一度巡り会う時を約束して、続く同じ空のもと、夢を繋ぎ駆け抜ける。 どんなに距離が離れても。どんなに時が流れても。この空がある限りは────それだけは、決して失われはしない絆。 時には雨も降るだろうけど、やがては青く晴れやかに広がる。 ……人生なんてそんなもの。意味もなく出会って、意味もなく別れていく。つかの間に得た幸福さえ、はじけて消える泡に過ぎない。 それでも人は、人と出会い、そして夢を見るのだ。 うたかたと知りつつ、けれどその彼方に、求める何かがあると信じて。 それはなんて無意味で。 ────そして、なんてまばゆい、輝ける物語。 だからせめて、願わくば。 どうか最後は、しあわせな夢を。 その果てに。──────ありがとうを、言うために。 |
/"brilliant tales" Episode #Fin「天使は自転車に乗って」Closed. Their dreams do not end. However, this story close curtain once here. so I say ... "Thanks for you!". |