──Ending #B-2 "The endless sky to your side."
「生まれ変わって、もしもその時も出会えたら―─―今度は、きっと普通の恋をしよう」

+ 君 に 続 く こ の 空 の 果 て





灯りのない暗い部屋。
窓の外には、雨に煙る暗黒シティの夜景が見える。

───シラバノ・コーポレーション本社ビル、最上階。

すべてを見下ろすこの部屋は、そこに住まう主の役割を如実に表しているように思う。
シラバノグループ総帥カタナ=シラバノの、それは孤独な牢獄だった。


階下は詰めかけたマスコミとシラバノの元社員、無関係な野次馬でごった返していることだろう。だがそれも、もはや彼女には関係のないことだ。
静寂の支配する一室。まるで降りしきる雨が、世界の雑音を洗い流しているような錯覚すら覚える。

────下界のざわめきはとおく。
ここにあるのはただ、彼女とその傍らで眠る、幼な子の息遣いだけ。

カタナはそっと細い指を、眠る赤子の指に絡めた。
赤子の名は、クロブレイド=シラバノ。───1年前、彼女が産んだ子供である。
規則正しい寝息を漏らす我が子を見つめるカタナの目は、しかしそれでも、光を宿してはいなかった。貼り付いたまま剥がれない笑顔という無表情で、愛し子の指を記憶する。
このままこの子が『ここ』で───シラバノの下で育てばどうなってしまうのか、想像するのは難くない。何しろ自分が既に通った道だ。振り返れば、それだけで鮮明に判ってしまう。
ココロを潰され、自己を塗り替えられ、人であることすら否定され、あらゆる十字架を背負わされる道。

───そんなもの。
背負うのは、自分だけでじゅうぶんだ。

間もなく訪れるであろう夜明けと共に、シラバノグループは解体される。
半分は自分自身の復讐もあったかもしれない。けれどこれで、この子は『シラバノの後継者』として育てられることはなくなったはず。


……これが。

自分がしてやれる、たったひとつの『親らしいこと』。


雲がひととき切れたのか、雨は変わらず降り続いているというのに、月明かりが室内を照らした。
差し込む月光が赤ん坊の寝顔と、見つめるカタナの顔を映す。

「……ごめんね。こんなことしか、してあげられなくて」

再び静寂と闇に沈み込んだ部屋の中に、カタナの言葉が溶けていった。
確かにシラバノがなくなろうと、黒と白の名を持つこの子が、人並みの幸福なんて得られることはないのかもしれない。
だけどそれでも願わずにいられない。

ならば、せめて。

せめて───この子の見る夢が、幸せなものであってくれるようにと────……



彼女は首の後ろに手を回すと、服の下に付けていたペンダントを取り出した。
簡素で安っぽい出来の首飾りは、シラバノの総帥が身に付けるものとはとうてい思えない。それでもカタナにとって、これは『彼』から貰った最初で最後の贈り物だ。

……ほんとう。
こんなものしか、カタチに残るものはくれなかったんだね。

泣きたいくらいに、胸が痛い。
それでも顔の形が歪むばかりで、涙の一つも零れてはくれなかった。……あぁ、だから余計に、痛むのか。
白と黒の鉤十字を握り締め、胸に抱く。
祈るように目を閉じた後、彼女はそれをクロブレイドの手に握らせた。
彼がくれた唯一のものをこの子に託すことは、ひどく滑稽なようにも、これ以上なく相応しいようにも思える。いずれにせよ、……あまりにも報われないことでは、あるけれど。

そうしてカタナは立ち上がり、暗黒シティを一望するテラスへと向かった。
暦の上ではすでに春だと言うのに、『蒼陽の太鐘』を頂くシラバノビルの屋上は、吐息を白く煙らせるほどに冷えている。

……空は、すでに白み始めていた。

夜の空気が、朝の光に敗退していく。夜明けを告げる鐘の音が厳かに鳴り響き、遥かビルの谷間から、まばゆい太陽が顔を現す。

世界が死に、そして生まれ変わる一瞬の間隙。いつか見た幻想ユメの美しさを幻視する────

優しくはない。
それは、決して優しくはない望景だ。
君にもわたしにも、きっと誰にも。

だけど、それでも────この街セカイは、こんなにも綺麗だった。


報われないと知っていても、結果なんて残らないとわかっていても、それでも求めたものがある。
地上から見上げた星に似ている。手が届かないからこそ、美しく瞬くのだろう。


「あぁ───そっか……」

溢れる朝陽に霧雨がきらめく。これは───誰も知らない、黄金の夜明け。

そう。きっとこの街こそが、ほんとうの────……


「……私、この街が、好きだったんだ」


……そんなことに、本当にいまさら、気が付いた。

好きだから、自分を許してはくれないこの街を、憎むしかなかった。
けれど憎めば憎むほど、その愛しさを知っていく。だから結局、恨めるとしたら一人くらい。
「意地が悪いなぁ。君と私は似たもの同士だったんだから、そのくらい教えてくれればよかったのに」
本当に気が利かない。彼の間の悪さは、もう治しようのない病気みたいなものだ。

でも、まぁいいや。今は機嫌がいいから、どんなことでも許してあげよう。
最後にちゃんと、そのことに気が付けてよかった。そうでなければ、ただ後悔だけを抱えたまま、私は眠り続けなければいけなくなってしまっていたから。

けれどこんなに綺麗な世界なら、十字架になるのだって悪くない。


もうこの街に、わたしの居場所はないけれど。
わたしはずっと眠りの淵で、この街の夢を見よう。

それはきっと、なんの意味もないけれど────


「───それが。わたしたちの、黄金のゆめ」


救いになどなりはしまい。
言葉どおり、それはただの夢なのだから。
玉響のまぼろし。それでもきっと、その願いユメは、とても楽しいに違いない。




──────陽が昇り、夜が明ける。

瞼を閉じる前に、この景色を強く胸に刻み付けた。たとえこの身が失われても、決して忘れないように。
祈るようなその想いを、柔らかに朝陽が透かしていく。

「……ごめんね」

ふと、ひどく懐かしい気配を感じたからだろうか。
いつか言えなかった、伝えるべき言葉が唇からこぼれた。

「それから、ありがとう───君に、ずっと助けられてた」

もしも、二年前のあの時に。
この言葉が言えていたら────結末は、 変 わ っ た ?


……それは、もう意味のない仮定だ。
カタナ=シラバノはここで消え、暗黒シティはあと一年のうちにも再び大きな渦へと飲み込まれていくだろう。
だからこれはただのイフ。
けれどそんなユメみたいな幸福がありえたなら、どこかに、救いがあるような気がした。


白く透過していく自分セカイ
瞼を閉じる。でも少しだけ気になって、ずるをして後ろを振り向いた。





すべてが消えゆくその間際。

願い続けた黒い姿が、夢の続きのまま、そこに────────











/Episode #SIDE:B -after「もういない誰かとあたし」Closed.
 From the last dawn,last rain,last tears... and to be continued "brilliant tales".

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