──Ending #C "Smile Again"
どこか遠い冷たい春に、せめてもの手向けのユメを捧げて。

+ ヒ ナ タ ノ ユ メ




―――――あの後。

 『ドリムゴード事件』最後の大爆発と共に、街に溢れていたDGシステムの端末はすべて消えてしまった。
 その後自分は先生と合流し、中央地区の瓦礫の下から気を失っていたマスタを発見した。
 幸いマスタには目立った外傷もなく、ユニックスさんに手伝ってもらい自分たちはマスタを病院へと運んだ。これと言った異常が見られないにも関わらず、彼女はこんこんと眠り続け───およそ二日後、無事に目を覚ました。
 その間自分と先生は事後処理やら何やらでいろんな人から詰め寄られて大変だったわけだが、まぁそんなことはどうでもいい。大事なのは、先生もマスタも助かった、ということ。
 ……けど、マスタは五体満足、というワケではなかった。

 マスタは無事だった。
 さっきも言ったように、細かい擦り傷を除けば怪我らしい怪我もほとんどない。その点で言えば、先生のほうがよっぽど重症なほどだ。

 けれど目を覚ましたマスタには────ある大きな欠落があった。



「グレイナイン」
「え───あ、お先にどうぞ。自分より先生が先に入ったほうがいいと思いますから」
 わかった、と答えて先生は病室のドアをノックする。
 どうぞ、という返事がして、自分たちは病室に入った。


* * *


――――病室にはマスタしかいない。

 彼女はベッドに横たわったまま上半身だけを起こして、先生と自分を見た。
「……………………」
 ……マスタに笑顔はない。
 不安そうな瞳が、入ってきた来客を見つめるだけ。

「えっと、あの……誰、だっけ?」

 その言葉に、先生の肩が少しだけ震えた。

「お見舞いにきたんだ。失礼するよ、カタナ」
 カタナ、と呼ばれてマスタは僅かに居心地悪そうな顔をして先生を見る。

 先生はマスタの傍らに座った。
 自分は邪魔だな、と思いつつ、目立たないように壁際の椅子に座る。
 マスタは相変わらず、元気のない顔をして先生と自分とを見比べた。

「あの……ごめんね。私、なんだかおかしいの。二人とも憶えはある気はするんだけど、それがどんな憶えだったのか思い出せななくて」
 申し訳なさそうにマスタは言う。
 それは冗談や何かの例えではなく、本当に、本心からの言葉だった。



―――――記憶に障害がある。

 そう聞かされたのは、たぶん自分の方が先だったと思う。

 マスタは以前のマスタではなくなっていた。
 ……いや、その言い方には語弊がある。
 なんでも脳のシステムというのは銘記、保存、再生、再認という四大のものに区別できて、マスタはそのうちの保存という機能が異状をきたしてしまったという。

 お医者さんの話ではこれから人並みに生活する事はできるが、過去……以前あった出来事の大半を思い出せなくなっている、とのことだった。
 ……それは思い出せない、というよりすでに失われてしまったもの。
 今まで保存されていたマスタの過去の記憶―――情報は失われてしまって、思い出すにもその記憶素が無い。
 だから、マスタは自分のことも先生のことも思い出せない。
 ……以前のマスタに戻れるなんていうことは、本当に、絶望的なまでにありえない。

 あの爆発のショックでそうなったのか、それともマスタ本人の意志で閉じてしまったのかはわからない。
 ただ、こうして目の前にいるマスタは、体も心もカタナ=シラバノのままで、ただ、自分や先生やみんなのコトを全て忘れてしまっているだけだった。


 それを聞いた夜のことだ。
 先生は自分だけを連れて、マスタを病院から連れ出した。……いや、それはむしろ攫った、という言い方のほうが正確かもしれない。
 誰にも知らせず、誰にも知られず────この、暗黒シティ東地区の外れの外れ、名前すらないスラムめいた通りへとやって来たのだ。
 先生はここをシラバノの名も市長軍の目も届かない暗黒シティの死角と言える場所だと教えてくれた。そして先生はマスタを無免許のお医者さん───いわゆる闇医者のところへ運び込んだのだった。
 その際、先生はマスタの印象を少しでも元のカタナ=シラバノと変えるため、彼女の髪を切ってしまった。
 その行為には多少思うところはあるものの、確かにそんなことを言っている場合ではない。いまごろ中央ではシラバノの次期総帥が行方不明になったことで、それなりの混乱が起こっているだろうことは容易に想像がつく。もしマスタの素性が露見してしまったら、自分や先生もただではすまないだろう。
───もちろん、いつかはここにも捜索の手が伸びるだろうけれど。

 そこまでして先生がなぜ搬送先の病院からマスタを連れ出したのか。───理由は、考えるまでもなかった。



「あの…………」
 上目遣いでマスタは先生を見つめる。
 なんだい? と答える先生に、マスタは遠慮がちに話しかける。
「君は、誰……なのかな。私とどういう関係だったっけ」
「―――――――――」
 先生の体は、凍りついたように停止する。
 けれどそれも一瞬。
 先生は小さく微笑んで、マスタの手を握った。

「ぼくは君の……パートナーだよ。クロラット=ジオ=クロックス、っていうんだけど」
「クロラット……クロ、くん?」
 はあ、とどこか間の抜けた返答をする。
 それは先生にとってひどく残酷な返答だったろう。
 なのに先生はさっきよりもっと優しく微笑んで、うん、と答えた。

「……ごめん。私、クロくんのこと思い出せないし、そこにいる子のことも思い出せないの。
 ……あは、ちょっと怖くなっちゃった。クロくんのことも分からないなんて、私、本当におかしくなっちゃったみたい」
 置いてけぼりにされた子供のようにマスタはうつむいた。
 その、不安しかない暗い顔は、マスタには遠すぎる。

―――それでも。
 先生は強く、マスタの手を握った。

「安心していいよカタナ。どんなに不安でも、ぼくがついてるから。
 ……ぼくたちはパートナーだからね。どんな時でも信じ合って協力するのが約束でしょう」
 きょとん、とした顔。
 マスタは呆としたまま先生を見たあと、ありがとう、と祈るように返答した。
「え――――あ、うん」
 照れたように下を向いて、先生はごにょごにょと言葉を紡ぐ。

「えっと、それで何か必要な物とかはあるかな? 食べたいものとか、欲しいものとか」
 照れ隠しの先生の言葉に、マスタはうん、とまっすぐな瞳でうなずく。

「……食べたいものはないけど、ほしいものがあるの。お願いしていいかな?」

 マスタは先生だけでなく、壁際に座っている自分にまで視線を向けてくる。

「ん、何? カタナ」
「……私、カタナ=シラバノって名前がずっと嫌いだったみたいなの。だから―――私、名前がほしくて」
「………………名前」
 どうしてだろう。
 そう言われて、一つの名前が頭に浮かんだ。
 これはまるでいつかの焼き直し。マスタが自分に名前をくれた、あの時の再現じみて────

「……………グレイナイン」
 先生が振りかえる。
 ……彼にも同じようなイメージがあったのか、同意を求めるように見つめてきた。
「……………はい」
 うなずいて答える。
 先生はマスタに振りかえって、

「キィ=ヒストウォーリーっていうのはどうかな」

 そう、伝えた。

「…………キィ、……ヒストウォーリー」

 吟味するようにマスタは呟く。
 そうした後、何かを思い出したように顔をあげた。

「―――うん。私、その響きは好きみたい。なんだか、すごく懐かしくて」

 そう言って、彼女は笑った。
 目覚めて初めて見せた、嬉しそうな笑顔。

―――それに、心が締め付けられる。
 だって自分も先生も、マスタがこんなふうに笑えるなんて知らなかったんだから。


* * *


―――いつしか、二人が話をする光景には違和感がなくなっていた。
 先生たちはそれが当然のように、パートナーとして穏やかに時間を重ねている。

 ……実は自分は、先生に言ってないことが一つある。先生のことだからもしかしたらもう気付いているかもしれないけれど、マスタがここに連れられて来た翌朝、お医者さんから聞いた話だ。

 マスタは、妊娠……していたらしかった。

 それが何を意味するのかはわからないし、もはや知る術もない。ただ間違いないのは、マスタが身篭っていたというその子供は、もう流れてしまったということだ。
 記憶を失うほどのショックを受けたのだから、それも当然と言えば当然だろう。だけど自分はそのことを、マスタにはもちろん先生にも伝えられないでいた。

 ……記憶を失ったことが良いことなのか悪いことなのか分からない。
 彼女を押し潰してきた重すぎる十字架がなくなってくれたのなら、それは喜ぶべきことだとは思う。
 だってそれなら、あとはもう幸福になるしかない。
 つらい記憶を忘れて、マスタはようやく人並みの幸福ユメを得られるのだろう。

「――――――――――」
 けど、こんなにも青い空を見つめていると、どうしても思い返してしまう。
 乾いた笑みで夢見ることすら叶わなかった幼い少女。誹られ、嫉まれ、暗黒シティすべての罪と罰を背負わされた人生。
 マスタにとってそんなシラバノの宿命は、忘れるべきことなんだってわかってる。
 でも、それでも――――できることなら、自分はあのカタナ=シラバノに幸せになってほしかった。

 ……それはもう叶わない望みだ。
 だからそんな願いはこれっきりにしよう、と。


――――憧れていた青空の下。
 屈託のない彼女の笑顔を、名残りの花のように、最後に一度だけ幻視した――――











/Episode #END"C" 「Crear Sky, Cold Blue」Closed.
 The end of dreamlike night and we will probably have next dream.





+++解説
この話は同人サークルTYPE-MOON様作のビジュアルノベルゲーム『月姫』の翡翠ルートグッドエンドを元に一部改変を行った二次創作です。
パクリと言われれば弁明の余地もありませんが、ネタだと思って広い心で見て下さるといと嬉し。もとはSIDE:Bで、もうこのカタナさんが救われるには*ぬか記憶を失うくらいしかないだろうなーと思ったことが始まりでした。

あと新カタナ改めキィ=ヒストウォーリー。
せっかくすべてを忘れたカタナに過去の罪そのものであるキィの名前付けるってそれ嫌がらせかよ!?って感じではあるのですが他に相応しい名前も思い付かず(他候補:シロブレイド。しかしこれもあんまりだ)、またキィは過去の罪そのものであるが故に最も救われるべきカタナの原点、という解釈に基づき(このへんはまた別の話でも書く予定)彼女の新しい名前としました。

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