A promised lie.

+ カ ノ ン





「お花見……ですか?」

 首周りの汗をタオルで軽く拭っていた翼さんが、怪訝な表情で振り返る。
 一方のぼくはと言うと、地面にへたり込んだまま疲れて立ち上がることも出来そうにない。翼さんに剣の稽古をつけてもらうようになってから一週間……いまだに彼女の訓練について行くだけで精一杯なのであった。
「は、はい、まぁ……ちょっとした思い付きなんですけど」
 翼さんが稽古場として指定してきた、剣皇城内にある小さな空中庭園。別にこれといって目を引くようなものは何もないけれど、真ん中には一本だけ桜の樹が立っていた。もちろん花はとっくに散ってしまっているんだけど、それを見ての思い付きだ。我ながら単純ではある。
「それはまぁ……皇爵がお望みでしたら、それこそ大陸中から著名人を集めての盛大なパーティを開くことも出来ますが」
「あー、いえ、そういうのではなく……内輪だけの親睦会みたいな感じで……」
 ぼくが剣皇の皇爵という肩書きを付けられて、かれこれ2ヶ月が経った。
 始めは何が何だかわからなかったし、それは今も同じだけれど、いろいろあって自分なりに覚悟は決めたつもりである。だと言うのによく考えたら、騎士団の人たちとも信頼関係を築けているとは言い難い。
 ……まぁ、学園での事件の時といい、冥さん───敵対していた嗣矩真の生き残りを庇護していることといい、ぼくの方もたいがい無茶を言っているのは確かなので、ある意味お互い様と言えなくもないのだけれど……それでも皇爵をやっていくと決めた以上、打ち解けられるならそれに越したことはない。
「親睦会ですか……」
「まぁ、そんな感じで。クラスのみんなとも毎年やってましたし……」
 と言ってももちろん、あの・・みんなが桜の美しさを楽しむなんて殊勝なことをするわけもないけど。花見会場全体を巻き込む大騒ぎに発展するなんていつものことで、一昨年あたりは最終的に逃走中の銀行強盗をぶちのめすところまで行ったんだっけ? いや、誘拐事件の解決だったかもしれない。
 ……なんか、親睦会とはだいぶ違うよーな気もする。でも、楽しかったことに間違いはないし。
「クスッ。でも、ずいぶんと気の早いお話ですね?」
 ゔ……確かに。
 小さく微笑う翼さんに、思わず言葉を詰まらせる。もうすぐ夏を迎えようという今この季節、お花見の話題もないもんだ。来年の話をすれば鬼が笑うってレベルじゃないよなぁ……
「そ、そうですよね……すいません、バカな話をしてしまって」
「いいえ、とんでもありません。お気遣いありがとうございます」
「……お気遣い?」
 別に気を遣った覚えはないんだけど。微妙なニュアンスに思わず眉をひそめるぼくに、翼さんは苦笑を浮かべて、
「ええ、……あなたからすれば、私どもなど疫病神も同然でしょう。それでもご学友と同じく扱って下さったこと、とても嬉しく思います」
 ……………………ム。
 なんか、よくわからないけどカチンときたぞ、今の。

「────わかりました。
 じゃあ、お花見は来年ですね。えぇもう決めましたから」

「えっ……?」
 きょとん、として目を瞬かせる翼さん。……別に、そんな顔をするようなことは言ってないでしょうが。今年はもう出来ないから来年。意外なことなんて何にもない論法じゃないか。
「別に問題はないでしょう。それとも、何か不満なことでもあるんですか?」
「い、いえ、決して不満などはないんですが……あの、皇爵? 私、お気に障ることでもしてしまったでしょうか……? 何か怒っていらっしゃるような」
「怒ってないですし、何もしてないんじゃないですか。……ま、不満が無いなら決まりですね。命令ですから、聞けないとは言わせません」
 そう言い切ったぼくを、翼さんは何やら呆然と見つめる。
 ……ふん、自分だってよくわからないのだから、そんな目で見ても無駄なのだ。翼さんの言葉の何に苛立ったのか、心当たりはいくつかあるけど、どれもはっきりとはしない。けど、ああ言われたら引き下がれないと思ってしまったんだから仕方ないじゃないか。

「ご命令でしたら……従わなければなりませんね」
「……いいじゃないですか、お花見くらい。派閥を超えて交流するのも必要でしょう。翼さんだって、たまには息抜きした方がいいと思いますし」

 剣皇騎士団の人たちとお花見。そんな光景をボンヤリと頭に描いてみる。
 ……うん、1-Bに負けず劣らず賑やかとゆーか、とんでもないことになりそうだけど────まぁそれはそれで悪くない。どうせ騒ぐなら徹底的に、とことんぶちまけてしまえばいい。この人たちの場合、そっちの方が上手くいきそうだ。

「……………………」
 一瞬、翼さんが遠い目をした────ような気がした。
 けれども彼女は次の瞬間には何事もなかったように、いつも通りの笑顔を浮かべて、
「ええ───でしたら来年、皇爵にまだそのおつもりがあったなら……ぜひ。
 ですがそうなると、即時性のないご命令は確約が難しいですね。命令ではなく、約束でしたらどうでしょう?」
「…………? それ、どういう意味ですか。約束だって、破ったらダメでしょう」
 不思議な言い回しに眉をひそめるぼくに、翼さんはクスリと悪戯っぽく微笑んで、
「あれ、そうなんですか? 約束は破るためにあるのかと思ってました」
 小さくぺろりと舌を出し、シャレになってないことを仰る翼さん。……さすが、勝てば官軍を地で行く剣皇騎士団の筆頭だ。大陸最強の称号は、こういう他人様にはあんまり自慢できない地道な努力によって守られているのである。
 ………………騎士道精神って何だっけ?
「まぁ、約束でもいいですけど……これはちゃんと守って下さいよ、まったく」
「そうですね。善処させて頂きます」
 言って彼女は穏やかに微笑む。
 見慣れたもののはずなのに、驚くほど優しい表情かおで。

 ……だから、その────正直に言えば、ちょっとドキリとしてしまった。
 うんあくまでも不意打ちだったからびっくりしただけで深い意味はないんだけど!

「っ……、ぜ、善処じゃなくて断言してもらいたいんですけど」
「先のことは誰にもわかりませんから。……でも、あなたがお望みならそうします。
 来年になってしまいますけど、皆さんでぱーっとお花見しましょう。それでよろしいんですね?」
 えぇ、と頷くぼくに、翼さんは柔らかな笑みを返す。

 季節が巡って、また春になったら。
 他愛無い約束を日々の糧に、剣太郎=吏亜=剣皇として、何とかやっていこうかなどと呑気なことを考えてみる。


* * *



────10 years old.


「花見ぃ?」

 怪訝な顔で鸚鵡返しに聞き返す剣太郎に、目の前の少女はこくんと小さく頷いた。
 少女の名は翼=翔=天空院───剣太郎の第一騎士である彼女だが、その実力は残念ながら完全に肩書き負けしている。もともと要領が悪く失敗の多い少女ではあるが、目下それを克服すべく日々剣太郎にスパルタで鍛えられている最中だ。
 泣き虫だが努力家な少女は、地道に進歩を重ねていっている。少なくとも半年前とは雲泥の差だ。そんなわけで、たまには剣太郎も、翼を労おうかなどと考えてみたりしたのだが。
「あのな、せっかく俺様じきじきに褒美を出してやろうって言ってんだぞ? そんなんでいいのかよ?」
「欲しいモノとか、特にありませんし……
 ただ皇爵や心ちゃんと一緒にお花見とか出来たら……楽しいかなって……」
 何とも翼らしい控えめな要求である。その程度のことで良ければ、何も褒賞などとは言わず普通にやってもいいくらいだ。せっかくの機会なのだからもっと派手なことを言ってくれた方が、こちらとしても褒美の出し甲斐があるというものなのだが。
「だ、だめでしょうか?」
「ダメっつーわけじゃねーけど……もっと他にはねーのかよ? 多少の無茶なら聞いてやろうって言ってんだぞ?」
「………………」
 剣太郎の言葉に、うーん、と考え込む翼。それでもやはり特には思い付かないのか、困ったように眉を八の字に下げておろおろし始める。
「あ、あの……もしかして、ご迷惑だったでしょうか……」
「……そーいうことじゃねぇよ。ったく、翼はもうちょっと欲があってもいいくらいだぞ」
 ハァ、と嘆息をついて、剣太郎はわしわしと翼の頭を撫でる。
 謙虚なのは本来であれば美点だが、彼女の場合は度が過ぎている。貪欲さは向上心にも通じるものだ。現状に満足する、と言えば聞こえはいいが、翼のそれは現状を受け入れ肯定することで、少しでも苦しみを和らげようとする処世術なのだろう。
「……………………」
 背後にある桜の樹を一瞥する剣太郎。枯葉混じりのその姿が、今の季節を物語っている。
 ……実はそのあたりも、剣太郎が翼の希望に渋っている原因ではあった。すぐに叶えられるものであれば、反故にしてしまう心配もなかったのに。

「……ま、確かに楽しそうだよな。俺と翼と、ついでに心の三人で花見ってのも」

 どこか────手を伸ばしても届かない、遠く眩しいモノを見つめるように。

 けれど翼の方へと振り向いた剣太郎は、いつも通り不遜に笑って、
「おっし! じゃあ来年になっちまうけど、ぱーっと花見でもするか! それでいーんだな、翼」
「は、はい! ありがとうございます、皇爵っ」
 嬉しそうに笑い返す翼に、少年もまた満足そうな笑みを浮かべる。この秋が過ぎ、冬が明けて春になったら────咲き誇る春の花を三人で見上げよう。そう、今だけは強く信じて。


 新世暦2042年10月。
 後に輝狂城事件と呼ばれる悲劇まで、あと2ヶ月余り。


* * *





────────叶わない約束をしましょう。

 あなたがそうしたように、例え欺瞞でしかなくても、きっと意味はあると信じて……優しい未来を、今このときだけは夢に見る。
 いつか新しい春が来たら。満開の桜の下で、もう一度笑い合えますように。









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