The sequel of epilogue.
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重く沈んだ灰色の空から、止まない雪が降りしきる。 白く覆われた瓦礫の街。生命の息吹が途絶えた雪景色の中を、一人の少女が歩いていた。 金色の髪に青いリボン。今はもう喪われた、太陽と空の色。 しかし虚ろに彷徨う姿は、やはりこの情景と同様に昏く翳んでいる。 喪服めいた黒い衣装を身に纏い、かつては輝くように瞬いた碧い瞳にも生気はない。……いや、それどころかその瞳からは、とうに光が失われていた。 盲いた視界でありながら、奇妙なことに、少女はこの瓦礫の山と化した街並みで躓くことすらなく歩き続ける。その足取りは覚束ず、今にも倒れ込みそうなほど不確かなものであると言うのに、彼女は一度も休むことなく凍り付いた路を彷徨い歩く。 これほどの深い積雪でありながら、寒さはあまり感じなかった。黒い衣装の裾は煤に汚れることも、瓦礫で破れることもない。 ……それはそうだろう。 だって、此処は少女のための揺籃。ただ彼女のためだけに築き上げられたエリュシオン。 何処まで歩こうが、何処へ向かおうが、すべては“彼”の腕の中。寒さなど感じるわけもない。傷付くことなどあるはずもない。 少女はただ、ケージの中でカラカラと車輪を回す滑稽な愛玩動物のように、ずっと同じところを廻り続けるだけ。 そう知っていながら、少女はなお足を止めることはしなかった。無駄だと理解していながら、奇跡を願って捜し続けた。 ────この死に絶えた世界で、生きているかもしれない誰かを助けるために。 かつての自分がそうであったように……下された“天罰”の中で生き残った者がいるかもしれない。 希望と言うのもおこがましい未練を抱いて、朽ち果てた雪原を独り彷徨う。 決して絶望することは出来ない。 例え世界中を捜し尽くし、生存者などいはしないという現実を突き付けられたとしても。 何故なら彼女は教えられたから。どんなに苦しくても立ち向かう勇気を。何者にも屈しない気高さを。自分を貫く誇りを。誰かを思い遣る優しさを。諦めることはできない。心折れるわけにはいかない。それだけが、今の彼女と彼らを繋ぐ唯一つのもの。 この真白き世界の最果てで。 私は永遠に、かつての仲間たちを想い続ける。 | PARADOX BLUE T Ending ... "Aristia Himekawa" |
+ 名 残 雪 が 溶 け る ま でいずれにせよ、ひとまず物語はここでおしまい。 でも……現実では一つの事件が終わったところで、次の事件が待っている。天使がいなくても、この世は試練であふれている。 故にエンディングはもう少し先………… 私たちは歩み続ける。 |
────そう、賑やかに、輝かしく……冬の城を立ち去って行く彼女たちを、私は見送った。 けれど、 システム・パラドクスブルーはすでにない。運用のための基盤を失い、 新しい季節へと歩んで行けるのは、運命に打ち勝った彼女たちだけ。敗れ、すべてを失った私は、終わりゆく冬に取り残されるだけだ。 確かに、 当然だろう。過去をやり直すことなんて出来ない。幾度となく繰り返されてきた悲劇を取り戻すことなど、結局のところ出来はしないのだ。 あの雪の冷たさも、あの現実の無情さも、私が味わった無力さも。何一つ、なかったことになんてならなかった。私の……私が愛する仲間たちは、決して戻っては来ない。今ここにいる彼らは紛れもなく私の知っている仲間たちでありながら、私と同じ時間を共有し、私と共に戦ってくれた仲間たちではないんだ。 だけど、そんなことはとっくにわかっていたこと。私はそれを承知で、あの白い世界で祈った。 せめて────例え『私自身』には何も返るものがなくても、“私の”仲間たちが救われることはなくても。 永遠に終わらない物語に終止符を打ち、その先の未来に祝福されるA校生徒会の姿があるならば……私に力が無いばかりに死んでいった彼らへの、せめてもの手向けになればいい、と。私がこの『クリスティア』に協力することで運命を打ち破ったなら、彼らの死にも意味があったことになる。 きっと……そんなのは、私の独り善がりに過ぎないのだろうけれど。 「────いいえ。あなたはよく頑張りましたよ、会長」 明るい陽射しの中へと去って行く後ろ姿に目を細める私に、誰かが不意に言葉をかける。 クリスティアにしか知覚できないはずの私に話しかけるなんて、いったい誰が? ……なんて、考えるまでもないのだけれど。それにしてもやっぱりこのひとは相変わらずだ。そうやって私を甘やかすから私がつけ上がるんだって、あんな目に遭ってもまだ理解できてないのだろうか? 「……そうかしら。“私”は結局みんなに助けてもらってばかりで……おまけに一人だけズルをして勝ったようなもの。それを“頑張った”なんて言っていいのなら……世の中には私以上に頑張っている人なんて、いくらでもいるでしょう」 「ええ、それはその通り。ですがだからと言って、あなたが頑張っていないことにはなりません」 ……本当にずるいなぁ。 そんなことを言われてしまったら、ここまで張ってきた意地が、緩んでしまうじゃないか。 眩い光に背を向けて、私はゆっくりと振り返る。そこにいたのは 「お疲れ様。……クリスティア」 「……はい。蒼十郎先輩も、お疲れ様でした」 本当に最後の最後まで。 彼だって無念であったに違いないのに、私を励まし、私に力を貸してくれたひと。 そして今なお、私にこんな優しい言葉をかけてくれるひと。 聖蒼十郎先輩。 黒羽のガーネットに残された、あの時のままの彼の姿がそこにあった。 「相変わらず根が真面目だね、君は。そんな難しいことを考えなくても、素直にこの大団円を受け入れておけばいいでしょうに」 「ムム……水を差してしまって申し訳ないです。いろいろと感慨深かったもので、つい」 あくまでも穏やかに、でも少しだけ呆れたように、苦笑を浮かべる彼はどこまでもいつも通り。 それがあんまりにも私の見知った先輩のままだったから、ちょっとだけ泣きそうになる。だってあの時、私は不様にも鎖に繋がれ、彼の最期に立ち会うことも出来なかった。死の間際ですら私を気遣ってくれたこのひとにつまらない泣き言を言うばかりで、ありがとうの一言すら伝えられなかった。 私の無茶な要求にも応えてくれて、いつだって苦しみながらも試練に立ち向かっていった強くて優しい先輩。 それはひょっとしなくても“誰か”への代償行為だったのかもしれないけれど、私にとってはかけがえのない導きだった。 「蒼十郎先輩こそ、相変わらずです」 言うべきことは、きっとお互いにたくさんあったのだろう。 これは本当に奇跡のような邂逅。本来ならば叶うはずもない、届けられなかった言葉を届けられる機会。 私はこれまでの感謝と、一方的に重荷を背負わせてきた謝罪を。誰一人助けられなかった不甲斐無さを。 彼は、知らぬこととは言え自らが重ねてきた過ちを。たった一人の大切な少女を自分自身の手で殺めていたという残酷な事実を。 ────そしてそれらを、少しでも償うことが出来たのかという許しを。 例え自己満足にしかならなくても、その言葉を交わせたのなら、どれほどの救いとなるだろう? でも。 だからこそ。 「────さて。それでは先輩、デートの続きと参りましょう!」 そのすべてを振り切って、私は精一杯の虚勢を張る。 だって、人生はたった一度きり。やり直せる後悔なんてない。 私も彼も取り返しの付かない失敗をした。……ううん、私たちだけじゃない。神堂先輩も、鋼田先輩も、九条先輩もみんな間違えてしまった。だったら私たちだけがこんなところで勝手に許された気になってしまうのは、アンフェアが過ぎると思う。 だから言わない。 出来なかったことは出来ないまま、私は私の結末を受け入れよう。 苦しいことだけじゃなかった。悲しいことだけじゃなかった。終わりは報われないものだったけれど、私は私の歩んだ道を肯定しなければ、それこそ何も報われない。 クリスティアという無力で愚かな小娘だって、彼は「頑張った」と認めてくれたから。 「────……」 蒼十郎先輩はしばし、驚いたように息を呑む。 こんな考えは結局のところ私の都合で、やっぱり私は自分勝手だなぁ、と思うのだけど。……でも、こうも思うのだ。もしも私が逆の立場だったら。あなたが私の立場だったら。 やっぱり先輩も、同じようにしたんじゃないかな、と。 両手を広げて満面の笑みを浮かべる私に、蒼十郎先輩はハァ、と大きなため息を吐いて、ぐしゃぐしゃと頭を掻いた。 「……いや、また突然何を言い出すんですかあなたは。状況わかってます?」 「先輩こそ何を言っておられますか! 元はと言えば先輩がおっしゃったことでしょう。ほら、『機会があったらまた会おうクリスティア、その時はデートの続きでも……』と! 今こそまさにその機会です!」 「あのですねぇ!」 まだ何か言いたげな先輩ではあるが、こういう時に先輩が結局どうするかなんてそれこそ今さらだ。 なんだかんだ言ってこのひとは、最後には私の期待にちゃんと応えてくれるのである。 「……ハァ。会長の突拍子の無さも相変わらずですね……」 まったく本意ではありません、という態度を全面的にアピールしつつ、深々とため息を重ねる先輩。毎度お馴染みの先輩なりの承諾。まぁ、むしろ譲歩と言った方が正しいのかもしれないけれど。 思えば先輩と出会って僅かに半年余り。生徒会の仲間として関わったのはもっと短い期間になる。その間にこんな子供騙しじみたやり取りを、いったい何度交わしたっけ? ……ちぇ。それじゃあ結局、私と彼の関係は何も変化が無かったということか。誰かさんの面影を重ねられていたことは気付いていたけど、上書きするまでには到らなかった。悔しいなぁ、せめてあと半年……いや、あと三ヶ月もあれば落とせた自信があるのになぁ。 さしあたって呼び方が「会長」に戻ってしまっているのはいただけない。後々しっかりと矯正せねばなるまいて。 「さぁさぁ先輩、迷っている暇はありませんよ! 私、今度は先輩にデートというものがどんなものなのかお教えして頂こうと思っておりますから!」 ずずいと詰め寄り、先輩の顔を覗き込む。 先輩は私と目が合うと、ほんの少しだけ視線を逸らして、それから呆れ混じりに肩を竦めた。 「やれやれ……まぁ、言ってしまったものは仕方ありません。お付き合いさせて頂きますよ」 「そう来なくてはです!」 あの時のデートは蒼十郎先輩を元気付けるための方便だったが、今度ばかりはそれも関係無い。建前ナシ、逃げ道ナシ、ついでに言うとお邪魔虫もナシの、正真正銘のデートである。ただしタイムリミットはあるので、こんなところでモタモタしている場合じゃない。 「それでは、不肖ながら今度は自分がエスコートさせて頂きましょうか。────行きたいところはあるかい、クリスティア」 穏やかに微笑んで、先輩は私に手を差し出す。 ……彼だってきっとわかっている。それでもこんなふうに笑ってくれる蒼十郎先輩は、本当に素敵なひとだと思う。 「────……、お任せします。先輩と一緒なら、私はどこだって幸せだから」 そんな先輩に笑顔を返して、私は差し出された手を取った。華奢で細身だけれど、こうして触れ合うとやっぱり男の人で、大きなてのひらに何だか安心する。情けないことに少しばかり震えてしまっている私の手を、彼は強く握ってくれた。 いつだってそうだった。私が先に弱気になってしまうから、先輩は挫けることが出来ない。先輩だって人並みに……ううん、人並み以上に怖くて悲しいはずなのに。そして先輩のその強さは、本当は私ではなく別の誰かのためだったのに。最後まで私で代用させてしまうことにどちらにも申し訳なく感じるけれど、本音を言えばわりと嬉しい。 ごめんなさい、もう少しだけ蒼十郎先輩を独り占めにさせて下さい。……この冬が明けるまでの間だけ、私が強がっていられるように。 白く染まりゆく世界。 それは冷たく鎖す埋葬の雪ではなく、眩いばかりの春の 不意に、先輩が何事かを呟くように口を動かす。 けれどもうその声は大気を震わすこともなく、私と共鳴することもない。……わかったのは、その言葉がいつかのような、寂しげなものではないことだけ。 だから何を言ったのかはわからなかったけれど、私もまためいっぱい明るく返すことにしよう。 「はい! 我ら、A校生徒会の勝利です!!!!」 高らかに腕を振り上げる。 その言葉が果たして彼に届いたかどうかはわからないけれど、返された彼の笑みは、私の知る中のどれよりも誇らしげだった。 ────冬の城を抜ければ、頭上には澄み切った青空。 私は、かつて私の世界のすべてであった無彩色の鳥篭に別れを告げて外へと踏み出す。愛する者を失った哀しみから目を背け、真実を否定し、未来を拒んだある一人の科学者が造り出した永久凍土。それも、今はただ春を待つばかり。 過去からの祈りはもう届かない。私の役目もここまでだ。消えゆく真白き世界と共に、『私』の物語も終わりを告げる。 暖かな陽射しは薄暗い地下に慣れた目には眩しすぎて、隣にいるはずの先輩の姿さえよく見えなかった。確かなものは繋いだ手の感触だけ。今度こそその手を離さないように、しっかりと握り締める。 さて、これから先、どこまで行けるかは運次第。ついていれば学園近くの大橋あたりまでは二人っきりだ。 穏やかに晴れた空の下を二人で並んで歩き始める。 「いいお天気ですねぇ、蒼十郎先輩」 のんびりとした私の呟きに、先輩がちょっと呆れるのがわかった。 それ、花も恥らう15歳の女の子の台詞じゃないでしょう───みたいな。声は届かなくても、魂が繋がらなくても、そばにいさえすれば案外コミュニケーションというものは成立するものである。伊達に鋼田先輩に二人で一人前と評されたわけではありません。 あ、そう言えば、蒼十郎先輩には私が付き従って面倒を見てあげなければ────なんて嘯いたんだっけ。我ながら大見得切ったものである。結局こっちが面倒を見てもらうばかりで、そばにいることも支えてあげることも出来なかったけれど。 ……うん。だったら、今からでも履行しようか。 蒼十郎先輩には私じゃ物足りないかもしれないけど、……いやいや、そんな弱気は良くないな。時間は有限、ならばこそ先輩には、愛ちゃん先輩なんて目じゃないくらい私という女の子の存在を刻み込んでもらわなければ。 私と彼の時間は間もなく終わる。未来という続きは来ない。だったら遠慮などいらないだろう。これまでのご恩返しに、私が先輩をウルトラハッピーにしてみせましょう。 そんな決意を密かに胸に誓いつつ、学園前の坂道を下っていく。 暦の上ではむしろこれからが冬本番。しかし気分はほころび始めた桜並木。……永い冬の物語は幕を閉じ、春はもうすぐそこだ。 ─────この名残雪が溶けるまで。 私と先輩も、あの日の“続き”を謳歌する。 |