However, I will arrive at the point of this way by all means sometime.
[ d e p a r t u r e s . ]




「……正直言うと、ちょっと妬いてる」

 ぼそりと。
 父とレンが何やら話していると思しき書斎の一つ隣、リビングのテーブルにぺたりと頬を付けてエステルは言った。

「妬いてるって……、誰に、なんで?」
 隣に腰掛けているヨシュアが、エステルにしては珍しい感情だなぁ、などと内心大いなる勘違いをしていることはこの際どうでもいい。問い返され、エステルはこてん、と顔を反転させて、書斎の扉に向けていた視線を彼に移した。
「父さんに、レンのことでよ。
 ほら、レンって父さんの前だとすごく子供っぽくなるじゃない? なんか悔しいのよね」
 そう言うエステルの表情は、悔しそうであり嬉しそうでもあるというなんとも複雑なものだ。なるほど、と、ヨシュアは納得しつつも苦笑を浮かべた。
 カシウスとレンが思いの外ノリが合うこと、レンに年相応の子供っぽさや負けず嫌いな一面があったことは素直に嬉しい。だが自分たちの前ではそういう部分を見せてくれなかったことは、やっぱりなんとなく悔しい……そんなところだろう。さんざん悩まされた反動なのか、エステルの中ではレンに対するある種の執着心が芽生えつつあるようだった。
 ……まったく、むしろこっちの方が嬉しいと言うか悔しいと言うか。
「気にすることはないと思うけど。エステルと父さんは違うんだし、レンがエステルの前で無理してるってわけでもないんだから」
「それはそうなんだけど……」
 もそもそと身体を起こし、エステルは天井を仰ぐ。そして、はぁ…と大きくため息をついた。

「……あたし、やっぱり頼りないかなぁって」

 ぽつりと、当て所もなく漏れた呟き。
 ただ庇護されるだけの立場となるには、レンの性能は高すぎる。普段の少女が演技だとは思わないが、すべてにおいてレンを上回る能力を持ったカシウスに対して見せた幼さを考えると────やはり自分の力不足を、いまさらながらに痛感せざるを得なかった。

「エステル……」

 彼女にとってレンは、守るべき少女であり守らなければならない存在なのだ。
 だが意識的にか無意識的にか、レンはどこかでエステルに対し一線を敷き、むしろ自分こそが彼女を守ろうとしている節さえあった。一対一ではいまだエステルの実力がレンに劣るものである以上、そう思われるのも仕方ないのかもしれない。だからより情けない。
 けれどそんなことは、レンだってわかっていたはずだ。それでも少女はエステルたちに「パパとママになってほしい」と求めてきたのである。

────なら、レンの言う「パパとママ」と、自分の思う「家族」は違うものなのではないか。

 不意にエステルの脳裏に、そんな考えが浮かんだ。

「……考えすぎなのかもしれないけどね。ね、ヨシュアはどう思う?」
「僕? 僕は……そうだな」
 とうとつに話を振られ、ヨシュアは顎に手を当ててしばし黙考する。
 似ているとは言え彼とレンでは無論異なる部分も多い。置かれた状況、辿ってきた境遇、性差から生じる感じ方の違い。それでもあえて推測するのなら、

「───あくまでも予想だけど。
 たぶん、レンは戸惑ってるんだと思う」

 訥々とした声音で、彼はそんなことを口にした。


「……戸惑ってる?」
「そう。まずこれだけは信じて欲しいんだけど、レンは間違いなく君のことが好きだよ。
 ……でも、だからこそかな。複雑な内面の子だから、エステルを傷つけまいとして無意識に線引きをしてるんだと思う。他人だって割り切ってしまえば上手に距離を取ることも出来るだろうけど、君はレンにとって『ママ』なわけだし。そうでなくても踏み込んでくるのがエステルだからね」
 小さく笑って付け加えるヨシュアに、エステルは思わずむっと眉を顰める。
「何よ、それじゃあたしがすごく無神経みたいじゃない!」
「無神経と言うより、空気が読めてないって感じかな。悪い意味じゃなくてね」
「いい意味でもない気がするんですけど……」
 妙に刺を感じる言葉とは裏腹に、ヨシュアはなぜか嬉しそうな笑顔だ。釈然としないものを感じつつも、話がズレてきていることに気付いたのか、エステルはその若干の不服を飲み込んで続けた。

「えっと……つまりレンは、あたしがレンの深い部分に触れると傷つくと思ってるわけ?」
「憶測だけどね。でもだからって突き放したいわけじゃなくて、どうすればいいのかまだわからない状態なんだと思う。
 その点父さんはああいうひとだから、思いきりぶつかっても心配がないんじゃないかな」
 僕とレンの場合は摩擦が起きるような関係じゃあないし、と付け加えるヨシュアに、エステルは深々とため息をついた。
「……つまり結局、あたしの力不足ってことね……」
「そうとも限らないよ。そもそもレンがここにいるのは君の力なんだし、父さんとエステルで接し方が違うのは当然のことなんだから。
 経験則だけど、エステルが真剣にレンを想っていてくれるなら、時間が解決してくれると思う」

────逆に言うならば。どんなに一生懸命に接したとても、解決には時間がかかるということ。

 決して浅くはないレンの心象を考えるなら、それは仕方のないことかもしれない。でもどうしてか、エステルには良くない予感があったのだ。


 早くなんとかしないと。
 自分は、いつかレンをひどく傷つけてしまうことになるんじゃないか────と。


 嫌な予感を振り払うように、エステルはぶんぶんと勢いよく頭を振る。
 それから気合を入れ直すため、パン、と両の頬をはたいた。

「ま、あたしはあたしなりにやるしかないってことよね。レンを幸せにするのはあたしの義務だし」

 おし、と気持ちを切り換える彼女に、ヨシュアは傍らでこっそりとため息をつく。
「……なんで、そこで『たち』を付けてくれないかな」
「? ヨシュア、何か言った?」
「別に何も……」
 不思議そうに首を傾げるエステル。彼女が鈍いのは今に始まったことではない、とヨシュアは自分を励まそうとして、何の励ましにもなっていないことにちょっとだけ挫けそうになった。
 今度はヨシュアの方が凹みかけた時、がちゃり、と扉を開ける音が響く。

「あら。エステルにヨシュア、そんなところにいたの?」

 リビングの向こう、カシウスの書斎のドアを開けて、件の少女がひょっこりと姿を現したのである。

「レン!」
 呼ばれて少女は、とことこと彼らの方へ近付いて来た。

「父さんと話は終わったの?」
「ええ。カシウスってば人が悪いのよ、レンのこと試すんだもの!」
 聞いて聞いてと、身振り手振りであることないこと付け加えつつ語るレンの姿は愛らしい子供そのものだ。レンにこんな表情をさせるのがやっぱり父だと思うと、ついついエステルの中に嫉妬めいたものが湧き上がる。
「もう、エステルったら聞いてるの?」
「え、あ、ごめん」
 少し機嫌を損ねたように見上げてくる少女に、はた、と我に返る。その様子を見て、レンはやれやれとばかりに腕を後ろに組んだ。
「しょうがないわねぇ……ヨシュア、エステルってばどうかしたのかしら?」
 訊ねるレンに、ヨシュアは軽く笑って、
「エステルは今ちょっと子育てに悩み中なんだよ。こういうのも育児ノイローゼって言うのかな?」
「え!? ノイローゼって、エステルにいちばん縁遠い言葉よね?」
「ちょっと……、なんかアンタたち、ものすごく失礼なこと言ってない?」
 真剣に驚いたらしいレンと、こめかみのあたりを引き攣らせるエステル。
 レンはしばし二人の顔を交互に見返していたが、やがて申し訳なさそうに、しゅん、と俯いて言った。

「……ごめんなさい。よくわからないけど、レンがエステルの負担になっちゃったのね」

 その言葉に、エステルはがたんと椅子を蹴って立ち上がる。
「な、なにバカなこと言ってんのよ! そんなわけないでしょっ!」
「え? だ、だってヨシュアが」
「それはレンのせいじゃないわよ! あたしが勝手に父さんに嫉妬してるだけなんだからっ!」
 勢い任せに言わなくてもいいことまで暴露してしまい、きょとん、とレンが目を瞬かせる。はっ、と気付いた時にはもう遅い、隣ではヨシュアがくつくつと笑いを噛み殺していた。
「シットって、エステルが? カシウスに? どうして?」
「う〜……」
 別に隠すほどのことでもないのだが、改めて本人に言うのはちょっと恥ずかしい。赤面して唸るエステルに代わって、ヨシュアが笑いながら言った。
「レン。エステルはさ、父さんが羨ましいんだよ。レンは父さんと張り合ってるけど、そうやってムキになるくらい自分にもぶつかって欲しいって。エステルはレンが好きだからね」
「ぁ───あぅあぅあぅ。」
 さらりと言われたヨシュアの言葉に、エステルは真っ赤になってヘンテコな声を発する。
 それをぽかんと眺めた後、レンは思わずクスリと噴き出した。
「やぁねぇ……エステルったら、そんなこと気にする必要ないのに」
「い、いいでしょ別にっ。レンと家族になったのはあたしの方が先なんだからっ!」
 頬を膨らませて、半ばやけくそ気味に開き直るエステル。───けれどその言葉を聞いた途端に、レンの笑みが曖昧なものに変わった。

「……レン?」
「…………………………」

 そっと吐息を漏らすような、微かな沈黙。
 先ほどまでの悪戯な少女の表情は消え、レンはどこか不安そうにエステルを見た。……まるで、迷子になった子供のように。
 戸惑いに揺れる金耀石の瞳。それを見た瞬間、エステルの中で何かがかちりと合わさるような感覚があった。言葉では説明できないけれど、いつか琥珀の塔の屋上で、激昂したレンを見た時のような────

「……あのね、エステル。レン、よくわからないの」

 ぽつりと、聴いたことがないほど頼りなげな声で、レンは呟く。
 強く拒絶するような、それでいてどうしようもなく渇望するようなそれは、あの時とは真逆の様子でありながらひどく重なる。少女の内にわだかまる深い陰。────まだ届かない、その真実。

「わからないって、何が……?」
「その、カゾクっていうのが。カシウスにも言われたし、意味としてはもちろんわかるのよ? でもエステルたちが言うのは……レンにはよくわからないわ。
 羨ましいとか……家族だから信じる、とか。エステルたちのことは好きだし、パパとママになってほしいって思ったのもほんとう。だけどきっと……レンは、疑おうと思ったら簡単にエステルたちのことを疑えちゃうんだわ」

 ……だから、よく、わからないと。
 寂しげに告げられる言葉を、二人はじっと聞いていた。

 ヨシュアは静かに瞑目したまま、何も口を挟もうとはしない。きつく手を握り締め、エステルは俯いた。

 かつて両親に売られ、捨てられたこと。少女の心で今も痛み続ける、何よりも大きな傷痕。だからヨシュアや≪パテル=マテル≫に心を開いたのかもしれない。……だって、キカイは裏切らないから。
 少女の中に深く根付いた『家族』というモノへの不信は、容易く取り除けるものではないだろう。それこそヨシュアの言葉通り、時間をかけなければどうしたって克服することは出来ないものだ。
 けど、だからこそ。
 それでもレンが自分たちを好きだと言ってくれたなら、必ずその想いに応えたい。────『家族』なのだから。

「……そっか。ならしょうがないわね」
「…………………………」
「しょうがないからっ!」

 言って、エステルはレンの頬をむにゅ、と両手で挟む。
 突然のことに目を丸くする少女に、エステルはぐっと顔を近づけて、

「あたしが───ううん、あたしたちが、レンにたっぷりと『家族』がどういうものなのか教えてあげるんだから!
 レンがイヤだって言っても容赦しないから、覚悟しなさいよっ!」

────そう、お日様みたいに、晴れやかに笑うのだ。


「────────」

 呆気に取られたのはレンだけではなく、ヨシュアもだった。
 エステルと向かい合っているレンと、彼女の後ろで椅子に腰掛けているヨシュア。必然的に顔を見合わせるような形になり、揃って小さく吹き出す。

「ヨシュア……やっぱりエステルにノイローゼなんてないわ、絶対」
「うん、そうみたいだ。これほどエステルに似合わない言葉もないね」

 笑いを噛み殺しながら好き放題に言い合う二人に、がく、と大きく肩を落とすエステル。そして背後を振り返って、がぁーっ、と赤くなって怒り出した。

「あ、アンタたちねぇっ! あたしをなんだと思ってるのよー!?」
「何って、やっぱりママじゃないかしら?」
「そうだね。僕にとっては恋人かな?」
「───〜〜〜ッッ……!!」

 ツーと言えばカーと返しそうなほどの見事な連携攻撃チェインクラフト。一瞬で威勢を殺がれ、ぼん、とエステルの顔が真っ赤に染まる。
 口をぱくぱくさせるだけで二の句が継げずにいる彼女に、ヨシュアとレンは再び顔を見合わせて笑い合った。────ああ。ほんとうに、『家族』になってくれたのがこの少女で良かった。


────それは、まだ歩き始めたばかりの道。
 道のりは遠く、決して平坦なものではないだろう。
 躓き立ち止まることだってあるかもしれない。だけど歩き続けていれば、必ずどこかへ辿り着けるはずだ。

 願わくばその場所まで、ずっと、このひとたちと共に行けるように────今はこうして、同じ夢を重ね見よう。



あの日の答えが、間違いではなかったと信じるために。

きみと家族でいられることを、心から誇れるように。












【postscript.】
VSカシウス話[departure.]の余話……のつもりだった話。
はじめは単にパパンにやきもち焼くエステルさん、というネタだったんですが、膨らませていくうちに気付けばむしろこっちの方がロレント在住編におけるテーマをストレートに象った話になってました。いつもながら見積もり甘いぜわたし……!
レンの心の問題は、ブライト家に引き取られた段階で解決されたのではなくて、むしろここからが本番ですよとゆーことが言いたかったのでした。

ときによしゅえす+レンサイトを謳っておきながら、三人揃っての話が拍手含め5本目のSSにして初めてってのはなんかもう詐欺だと思うのだがどうよ?

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