I forwarding to ever star with yourside.
[ e v e n i n g s t a r . ]




 差し込む斜陽が、ロレントの街並みを鮮やかに染め上げる。
 朱金あかがねの光に長く影落ちる夕暮れ時。自室へと戻ったヨシュアは、その中で珍しい人物と出くわした。


「レン?」

 呼びかけに、新たに家族となった少女は顔を上げる。
 踏み台代わりに使ったのか、机の椅子は引き出され本棚の前に移動していた。そこにちょこんと腰かけて、厚めの本を開く姿は、服装とも相まって良く出来たアンティークドールのようにも見える。

「あらヨシュア、おかえりなさい。お邪魔してるわ」

 もっともその少女が、口を開けば人形などより遥かに扱いが難しく、そして繊細であるのは言うまでもないが。

 悪戯っぽく笑う少女にただいまと返し、視線だけで室内を見渡す。本棚に並んだかなりの数の本を除けば、私物らしい私物もない簡素な部屋。椅子と本が数冊以外は特に動かされた形跡もないのを確認したところで、もう、とレンが呆れたようにため息を吐いた。

「失礼しちゃうわねヨシュアったら。レン、悪戯なんかしてないわ」
「あぁ、ごめん。別にそういうつもりじゃなかったんだけど」

 つい癖で、というヤツである。
 それも≪執行者≫時代に培われた性癖というより、もっぱらこの家に引き取られた後────勝手に人の部屋に入って来て勝手にものを借りて行く(そしてそのまま借りたことを忘れる)、自称姉のおかげだったりするのだが。まぁ、さすがに今はそんなことはないだろうけど。

「それよりもレン、どうかした? 君が僕の部屋にいるのは珍しいね」

 今のところブライト家では、レンはエステルと相部屋である。もちろん彼を呼びに来たりで普通に部屋には来るのだが、こうして中に留まることは少なかった。
 そう言うとレンは、んー、と口許に指を当てて、

「そうでもないわよ? レン、エステルの部屋の方が好きだけど、ヨシュアの部屋の方が落ち着くもの」
「ふぅん……?」

 わかるようなわからないような。

「うふふ、どうしてかしらね? まぁどっちにしろ、ヨシュアが戻って来たならレンは出て行くけど」
 はぐらかすように笑って、レンは膝の上の本を閉じる。少し色褪せた表紙には見覚えがあった。ぴょん、と椅子から飛び降りるレンの動作に合わせて、スカートの裾がふわりと広がる。
「レン? 別に気にせずにいてくれてもいいよ?」
「だーめ。ヨシュアが部屋にいるのにヨシュアの椅子には座れないわ。それにせっかく同じ部屋にいるのに、ご本を読んでるだけなんてイヤだもの」
 瞼を閉じて、少し不機嫌そうに言うレン。ヨシュアにとっては気にするようなことでもないが、少女のそういうところは微笑ましいと素直に思う。苦笑を浮かべて椅子の方に近寄ると、レンは彼の方へ持っていた本を見せた。
「ね、ヨシュア。このご本借りていってもいいかしら?」
「もちろん構わないけど。……レン、そういうのに興味があったっけ?」
 やや日に焼けて色の落ちた表紙には、七耀教会の奉じる女神の言葉を記した書───聖書であることを示す文字が書かれている。
 少なくとも≪結社≫時代、レンが空の女神エイドスへの信仰を見せたことは一度もない。むしろ自身の運命を呪い、その采配を決定した女神を憎んでいた節さえある。そのあたりはヨシュアも似たようなものなのだが、レンがそういったことに興味を示すのはやはり意外だった。

「んー、別に女神には興味ないけど。今日ね、キョークチョーがレンにお話を聞かせてくれたのよ」
「教区長……、デバイン神父が?」

 思わず聞き返すヨシュアに、えぇ、とレンは頷く。
 基本的に天才肌のレンは、興味を持たないことに対しては見向きもしない。その彼女に聖書を開かせるほど、デバインの話は印象深かったということだろうか。
 ……わからなくもない。事実ヨシュアにも、彼の話には考えさせられることが多かった。
 デバインは神父の鑑と言ってもいいほどの立派な人物だったが、決して陽の部分しか感じさせないわけではない。どこか他者の心を見透かしたような言葉を口にすることも少なくはなかった。厳しくも穏やかな人格者でありながら、光によって生まれる陰の濃さも知っている。そしてそれを知りながらなお、あの人柄を保っているのだ。
 そのデバインがレンに語った言葉。女神の試練と言うにはあまりにも過酷な日々を送ってきた、拭い去れない闇を持つ少女に彼は何を諭したのだろう。

 わかるような気もするし、わからないような気もする。

「……すっごく難しいお話だったわ。でも何だかモヤモヤしちゃって気になったから、少し調べてみようと思って」

 言ってレンは手にした聖書を胸元に抱える。その表情はどこか平坦なものだったが、デバインの言葉を不快に思っているふうではない。
 無論、いかに教区長の言葉が重みのあるものであったとしても、以前のレンであれば聞く耳など持たなかっただろう。それが今はこうして、他者の言葉に耳を傾け、その意味を自分自身で考えるようになっている。そんな少女の変化がヨシュアには喜ばしく思えた。

「……そうだね。たくさん悩んで、たくさん考えるといいよ。きっと、それは今のレンに必要なことだと思う」

 微笑み、ヨシュアはレンの頭を軽く撫でる。
 心地よさそうに目を細めながらも、レンは少し拗ねたような目で彼を見上げた。

「もう。ヨシュアまで難しいこと言うのね」
「そうかな? でも、僕も昔はそうだったよ」
「ヨシュアも? ……ふぅん。だからヨシュアの部屋に聖書があったのね」

 納得したように聖書の表紙を眺めるレン。5年以上前からあるものとは言え少々傷みが激しいのは、彼が教会で古くなったものを譲り受けたからだった。
 レンの言葉に苦笑を浮かべ、ヨシュアは小さくかぶりを振る。
「ちょっと違うかな。僕が聖書を持ってるのは……と言うより女神を信じてるのは、もっと簡単な理由からだよ」
 その言葉に、レンは「え?」と金耀石の大きな瞳を瞬かせた。
「じゃあ、どうして? ≪結社≫にいたころは、ヨシュアだって女神になんか興味なかったじゃない」
「まぁ、ね。大したことじゃないんだけど……、レンは奇跡って信じるかな」
 今一つわかりにくいヨシュアの言に、訝しげに首を傾げるレン。『奇跡』という言葉から連想するもの───真っ先に思い浮かんだのは、あの浮遊都市の存在だった。
「えっと……≪輝く環オーリオール≫みたいな?」
 アーティファクト≪七の至宝セプトテリオン≫、早すぎた女神の贈り物。人智を超えた力を秘め、それゆえに喪われた聖遺物。
 かつて目の当たりにしたそれは、確かに『奇跡』と呼ぶに相応しいものではあったけれど。事実として“在った”ものである以上、それは信じるとか信じないとかではない気がする。
「それは『奇蹟』だね。僕が言ってるのはそんな凄いものじゃなくて……もっと身近で、誰にでも起こり得るような、他人からすればどうでもいい……けどとても大切なことだよ」
 椅子を片付けながら、ヨシュアはひどく優しい笑みを浮かべてそんなことを言う。ほんとうに大切な何かを想うように。

 その眼差しはどこか見覚えがあった。
 彼が、きっとこの世界で唯一人だけに向ける瞳────


「僕はこの家で『奇跡』に出逢えた……僕が女神を信じるのは、たったそれだけの理由なんだ」


────そう、今でも信じている。


「…………ヨシュア」


────あの出会いは、奇跡だったと。


「……ふぅん。ヨシュアってもっと現実主義だと思ってたけど、意外とロマンチストなのね」
「はは、そうかもね。参考にならなくてごめん」
 苦笑するヨシュアに、レンは悪戯っぽく───けれど嬉しそうな、満面の笑みを返した。

「うふふ、別にいいわ。レン、そういうところもキライじゃないもの。
 でもその『奇跡』はヨシュアだけの奇跡だから、レンはレンの奇跡を見つけないとダメね」

 穏やかに笑う少女が何を想っているのか、ヨシュアは少しだけ考えて、けれどすぐにやめた。
 彼のこの想いが、彼だけのものであるように。レンにはレンだけの、抱く思いがあるはずだ。
 ヨシュアとレンは、確かによく似ているけれど────それでも、決してこころまでは共有できない。してもいけない。それは誰とも分かち合えないからこそ、誰にも穢されずに在り続けられる宝石だ。


「───あ、いけない。レン、今日はお夕飯の当番だったわ」

 不意に思い出し、レンは時計を確認する。
 ブライト家に迎えられたことで、当然のようにレンも食事当番のローテーションに組み込まれていた。料理など今までほとんど経験のない少女だったが、レシピを見ながらなんとか「はじめてのお料理」をこなし───無難だな、というカシウスの言葉に対抗意識を燃やしまくり、色んな人から料理を教わってめきめきと腕を伸ばしているのである。
 まだ日が傾き始めたばかりの時刻だが、カシウスが自宅で夕食を食べるのは今日が最後なのだ。万全の態勢で迎え撃たねばならない。
「そっか。がんばってね、レン」
 ほどほどに、と苦笑と共に付け加えるヨシュアに、しかし少女は「それじゃあダメ!」と力強く断言。……別に嫌い合っているわけでもないのに、なんでこんなに火花を散らしているんだろう。
「今日こそカシウスに目にモノ見せてやるんだからっ!」
 ぐっと握り固めた拳を天井に向かって突き出すレン。
 気まぐれでおしゃまで、悪戯好きの仔猫のような少女だったのだが、なんだかこのごろ急速にキャラが変わりつつある気がする。やっぱり同性の親に似るものなんだろうか…、としみじみと思っていると、レンが彼の方を向いてにっこりと笑った。
「うふふ、ヨシュアも楽しみにしててね」
「あ、うん。それはもちろん」
 頷くヨシュアに満足そうに笑って、少女は本を抱えてドアへと向かう。
 けれど扉に手をかけたところで肩越しに振り返って、どこか、懐かしいものを見るような目で彼を見た。

「それとね、────ヨシュアの手、レーヴェに似てきたわ」

 ────────────。

「…………レン……」
「どうしてかしらね。レーヴェの手はもっと大きくて、ヨシュアの手とはぜんぜん違うわ。
 でもさっき頭を撫でてもらった時ね、レーヴェに撫でてもらったのとおんなじだって思ったの」

 口にする少女の口調は、ひどく穏やかに聴こえた。

 言葉を返せずにいるヨシュアに笑みを残し、レンは廊下へ出て行く。ぱたん、と扉が閉まり、彼はゆっくりとした動作で片手を持ち上げ、そのてのひらを見つめた。


────とおい面影。いつか、届くべきその背中。


 目に見える繋がりはないけれど、彼が遺してくれたものは、こんな近くにもあったのだ。彼を憶えていてくれる人が自分たち以外にもいることが、いまさらなのにひどく嬉しい。
 その背を追い駆けて、そして、追い越してしまっても。
 彼が生きた証は、その誇りも過ちさえも、確かに刻み込まれている──────


「……うん。だからレーヴェ、僕は」


────迷いなく、その背中を越えて行こう。

 たとえもう振り返ることもないとしても。この胸に残っているなら、前だけを見ていられるはずだ。


 そう。
 隣を歩く、彼女と同じ場所で。












【postscript.】
「departure.」で削った部分の再編集版。拍手に収納するにはちょっと長いので本数稼ぎに
デバイン神父に関してはFC序章で光が強ければ影も〜とか語ってたのが(ヨシュアの反応も含めて)妙に印象に残っていたので妄想込みで渡貫のイメージを書いてみました。実際レンにどういうことを言ったのかは、カシウスとの話に絡めて書こうと思っていたのですが上手く纏まらずに断念orz 筆力のなさが恨めしい……
でもそのうち何かで使うかもしれません。リベール出国後の話あたりで。(いつになるんだか)
個人的に気に入ってるのはなでなでレンたんのあたり。レンかわいいよレン。

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