There is not you.
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+ サ ク ラ は 終 る 、 セ カ イ は 廻 る 。 |
W(-1)/ その後 まばらな星が浮かぶ濃紺の空に、青白い月が冴え冴えと弧を描く。 剣皇領南部に位置する閑静な山間。人里離れたこの地に、刹那、不協和な悲鳴が木霊した。 「──────……」 その光景を前に、黎子=美亜=綺恋は思わず言葉を失った。 山中に潜んだ武装盗賊団の残党狩り────その任を受けてから僅かに半日、この一帯を拠点としていた盗賊団は一人残らず駆逐された。 パチパチと燻る炎の残滓を纏い、両断され鉄屑と成り果てた魔法獣機の群れ。盗賊団が所持していたと思われるその残骸の中心に、巨大な鎌を携えて佇む一人の少女がいる。 火の朱を撥ねる金の髪。幼いながらも整った可憐な顔立ち。薄っすらと微笑みすら浮かべる少女の名は、翼=翔=天空院────齢僅か13にして、剣皇騎士団天駆派を束ねる筆頭騎士である。 30人以上の武装盗賊をほぼすべて一人で殲滅していながら、その身にかすり傷一つ負ってはいない。凄惨な戦場跡とその出で立ちはあまりにも不釣合いで、声をかけることすら躊躇わせた。 見れば黎子が引き連れていた騎士たちも、一様に言葉を失っている。 背筋を凍らせるほどの畏れと共に、触れれば壊れてしまいそうな脆弱性を内包した美しさ────それは、一言で表すならば“壮絶”だ。相反する矛盾を抱え、ともすれば内側から破裂しかねない危うさ。それこそが翼を翼たらしめているものであり、黎子を始めとした多くの人間を惹き付けてやまないモノだろう。 「───黎子さん」 昏い瞳が緩やかに正気の色を取り戻す。こちらを振り向く翼の声に、黎子ははたと我に返った。 「こちらの戦闘は終わりました。皆さんの首尾はどうですか?」 「あ……ああ、こっちもほぼ片付いた。今は奴らが潜んでいた廃屋の確認と、負傷者の手当てを行っている」 報告に、翼はフム、と口許に手を当て思案の表情を浮かべる。……こういう時、彼女が口にするのはたいていロクなことではない。 「負傷者は何名ですか? 怪我の具合も報告して下さい」 「全部で四人、いずれも軽傷だ。三日もすれば完治する程度だな」 「それは何よりです。この程度の任務で怪我をするようなだらしない方たちには、特別に厳しい訓練を考えておかなければいけませんから」 にっこり。 台詞の内容さえ気にしなければ誰もが見惚れるような笑みを浮かべて、予想通りロクでもないことを言ってのける翼。本当に、これさえなければ非の打ち所のない完璧な騎士なのだが。 「お前なぁ……もう少し配下の人間を労わる気持ちは持ってないのか」 「労わっているじゃないですか。大切な部下である皆さんが、今後の戦いで不要な怪我を負うことがないように」 微笑む翼の言うところは、要約すると『一分一秒でも長く戦ってから死ね』ということなのだが。 いったいどこの世界の言葉ならそれを「労わっている」と言えるのか、小一時間ほど問い詰めたいのはやまやまなのだが、黎子はそれを寸でのところで飲み込んだ。理由は断じて翼の言い分に納得したわけではなく、単に言っても無駄だと悟ったためである。 「それに……労わることで強くなれるなら、私だってそうしますよ」 「は?」 不意にこぼれた呟きに、黎子は再び少女の方を見る。そこにあったのは変わらぬ笑顔。そう、思えばどんな時でも変わらない、美しい彫刻めいた──── 「それで生じるのは“甘え”です。そんな中途半端で何が守れると言うんですか?」 言葉のうちには断罪の響き。けれどその刃は、まるで自分自身に向けられているかのようにも聴こえた。 「……翼……?」 眉をひそめる黎子に、少女はただ微笑みを返す。……果たしてそれは、誰に向けられた笑顔なのか。 「それなら、お前は……そこまでして、いったい何を守ろうというんだ」 「決まっているじゃないですか」 ────なんでもできる神さまなんだと、ずっと思っていた。 誰より強く、尊いひとなのだと、疑うこともなく信じていた。 けれども違った。神さまなんかじゃなかった。傷付けば血を流し、悲しければ涙も零す……自分と同じ人間なのだと。 その強さが虚勢でしかないと知った時、わたしの信じていたものは音を立てて崩れていったのだ…… 『えーんえんえん……』 わたしが信じていたひとは、自分と同じよわい人間。 それに気づいた時、わたしはようやく知ったのです。 わたしがどれほど彼に甘え、陰で血を流させてきたのか。どんなに一方的に、痛みを強いてきたのか。あんなにも大切なひとだったのに、そんなことにも気付けなかった。 それは幼い日の終わり。 そして、決意の始まり。 彼が弱い人間に過ぎないのなら……わたしが、守らなくちゃいけない。 今まで傷付けてきた罪が取り戻せないなら、これより先わたしの人生のすべてをあなたのために使いましょう。わたしに許されたあらゆる努力を、わたしが持ち得るあらゆる力を。それでも届かないというのなら、この命をかけてでも。 それはつまり、あなたこそがわたしの「すべて」。とおく届かない神さまではなく、わたしが生きる世界そのもの。 ──────そう、わたしはあなたの騎士になる。 黎子の問いに、翼は迷いなく答える。 けれどその迷いのなさは、騎士としての誇りや信念からではなかった。ただ翼にとって息をするより当たり前のことだったから、迷う余地などなかっただけ。 息をするより前のことなら────つまりはそれこそが、彼女にとっての生存理由に他ならない。 「私は、“世界”を守るんです」 |
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