X'mas Roman.

+ 悪魔のメリークリスマス



 夜を彩るネオンサインが、さながら星空のごとく地上に瞬く。
 きらめく街並みはまさに聖夜の真っ只中。それを見下ろすこのホテル・グランシャリエ56Fの一室も、クリスマスらしい雰囲気を醸し出している。
 クラシカルな蓄音機からはムード溢れるクリスマスソングが流れ、小さめのツリーはもちろん本物。そして百万ドルの夜景を眺める窓際には、丸いテーブルを挟んで一組の男女が向かい合っていた。

「メリー・クリスマス、アルセウス。君と聖夜を過ごせて嬉しいよ」

 グラスに注がれたシャンパンを掲げ、微笑む彼女の名はイザナミ・アメノムラクモ。齢僅か17にして国際天使対策機関の所長という肩書きを持つ少女だが、今その身体を包むのは機関の制服ではなく真っ白なイブニングドレスだ。年齢のわりには小柄でスレンダーな彼女ではあるが、その美貌は群を抜いている。上等なドレスにアクセサリー、ついでに髪型もアップに纏めていれば、どこぞの貴族のお嬢様と言っても通じるだろう。
 で、その向かいに座っているのは言うまでもなく、俺ことアルセウス・エクスカリバー。愛しい恋人と甘い聖夜を満喫中、……と、言いたいところなのだが。

「ほれはほはっは。ほへほ」

 その男の方が全身包帯でぐるぐる巻きのミイラ状態では、全てを帳消しにして余りあるってもんだろう。

 が、彼女の笑顔は崩れない。と言うか満面の笑み。そりゃそーだ、そもそも俺をこーしたのは彼女なんだし。
 ……うん、さすがに掛け持ちで18人とデート、というのは無理があった。5分でバレてボロ雑巾のように殴り倒され、車椅子に括り付けられてこの部屋に連行───もとい、招待されたのがおよそ30分前。ミイラ男と笑顔で向き合う美少女の絵面は、はたから見たらさぞ薄ら寒いものがあるに違いない。
 ちなみに上のほうでつらつらと描写されている情景は、9割がた俺の想像である。だって俺、包帯で目も口も塞がれてるもん。辛うじて覆われていない耳だけが、不気味なほど上機嫌な彼女の声とレコードの音を拾ってくれる。
「フフフ……ほんとうに、君と過ごせて嬉しいよ?」
 なぜ繰り返す。
 大事なことだから2回言ったのか。
「だって私は信じていたんだから。君がクリスマスという一大イベントの日に、まさか命よりも大切な恋人を放ったらかしにして別な人間と逢っているなんて、そんな薄情なことをするはずがないだろう?
 ねぇアル、聞いているかい? 聞こえないはずはないだろう? だってそのために耳は空けておいたんだから。これで私の声が聴こえないような耳なら、削ぎ落としてしまっても支障はないと思うんだがどうだろう?」
 声音だけなら超キュート、しかし内容は超ホラー。サンタクロースの赤い服は子供の返り血で赤くなった、などという面白くもないギャグがふと脳裏を過ぎる。
「……ま、いいか。
 夜はまだまだこれからだからね、アルセウス。ふふっ、あまり意地悪はしないで欲しいな」
 華やぐ声、塞がれた視界の向こうで鮮明に映る極上の笑顔。言葉だけ聞けば甘い甘いクリスマス────


 その実、悪夢の一夜はこんこんと更けていくのであった。まる。



アルセウスの冒険 バッドエンドNo.96430『メリー・バッド・クリスマス』


+ 空模様、曇りのち雪。



 12月25日クリスマス。
 世間一般では家族で団欒したり、恋人同士で睦み合ったり、友達同士ではしゃいだり、はたまたぼっちでチキンを食べたりする日だが、ここ都内某所の対侵食者ミネラリアン防衛基地ではそんなイベントも関係ない。今日はクリスマスだから大人しくしていよう、などと考える空気の読める侵食者はいない以上、年中無休24時間の営業体制である。
 と言っても俺こと紅明石にとっても、そんな浮かれたモノはここ何年も縁が無かった。いちおう協力しているだけの民間人扱いなので基地内にいなければいけないわけでもないのだが、出かけたとしても行くところもなし。だいたい都内は相変わらず侵食者であふれている。呑気にクリスマス気分を満喫しているのは、侵食者かれらの脅威に晒されていない地域くらいのものだろう。
 そんなわけで俺は今日もいつもと変わらず、基地内を適当にぶらついていたわけだが、

「ああ、明石くん。こんなところにいたのか」

 ……面倒なのに見つかった。
 しかも口振りからして俺のことを捜してたっぽいし。
 通路前方からおーい、とばかりに片手を振って近付いてくるのは、我が国の誇る英雄にして救国のアイドル、藍澤葵女史である。軍人でありエースパイロットである彼女はもちろん今日だって絶賛勤務時間中だ。パイロットスーツの上にグレーの制服を羽織った姿は彼女の基地内お馴染みスタイルだが、しかし今日はそこに一点異なる箇所があった。
「何ですか葵さん。俺に何か用でも?」
「いや、大した用ではないんだけどね。ただほら、今日はクリスマスだろう? 明石くんも一緒にケーキでも食べないかい?」
 言って、彼女はその異なる点───手に持った小さな白い箱を掲げる。
 四角い箱に取っ手の付いたそれは、街の洋菓子店などではよく見かけるアレである。鉄とコンクリート、そして機動歩兵に囲まれた軍事基地で見るにはあまりにもミスマッチだ。蓋の部分に貼られたX'masのシールが、逆に違和感バリバリである。
「ハァ? いきなり何を言い出すんですか貴女は。いつ侵食者が襲って来てもおかしくないって言うのにクリスマスだのケーキだのって……」
「まぁまぁ、いいじゃないか。こういう口実でもないと、なかなか口に入らないからね」
 ケーキの嫌いな女の子はいないからね、なんぞとしれっと言い、彼女は俺の手を取る。……ちょっと待て!?
「あ、葵さん!? ちょっ……!」
「こんな通路で立ち話もなんだろう? 文句なら、あっちの休憩室でケーキを食べながら聞くから」
「何言ってんですかアンタ!」
 もはや俺が彼女とケーキを食べることは決定事項になのか。
 抗議してみるも聞く耳持たず、葵さんはグイグイと俺の手を引っ張って一方的に休憩室に連れて行く。てゆーか意味わかんないんですけど!?
「明石くんは何か飲むかい? コーヒー? それとも紅茶?」
「……緑茶で」
 で、休憩室の椅子に座らされて、英雄手ずから───ただし販売機から出るインスタント───のお茶をいただいたりする。
 何故俺が彼女と一緒にケーキを食べなければならないのか。なんで彼女はそんな発想に到ったのか。彼女の思考はサッパリ理解できないし、なんか拒否権もなかったし。
 せめてもの抗議の意志を訴えるべくジト目で睨んだりしてみるが、葵さんはどこ吹く風、自分のぶんの紅茶を淹れてにっこりいつものように笑うばかりだ。
「さ、生ものなんだから早く食べないと。ショートケーキしかないけど、明石くん、生クリームとか食べられるかい?」
「食べる段階になってから訊きますか、貴女は……」
 もはやどこからツッコめばいいのやら。隣に腰掛けてテーブルの上に箱を置き、中からシンプルな白と赤のケーキを取り出しつつ言う葵さんに、俺はぐったりとしてそう答える。紙皿の上にプラスチックのフォーク。ケーキに刺さったモミの葉と赤い実の飾りが、辛うじてクリスマスっぽさを演出している。
「と言うか、そもそも俺、甘いものが好きなわけではないんですが」
「そうなのかい? 明石くんは頭脳労働派だから、糖分も摂取した方がいいんじゃないかなって思ったんだけど」
「必要な量は摂ってますよ。まぁ、嫌いってほどでもないんで頂きますけど……」
 ここまで来ては仕方ない。紙皿に乗ったケーキを受け取りつつ、わざとらしく大きくため息などついてみる。葵さんはアハハ、と笑いながら、自分のぶんのケーキを取り出した。
 箱の大きさからすると、ケーキはこの二つしかない。……この人、まさか俺とケーキを食べるためにわざわざ外へ出かけて買ってきたんだろうか?
「………………」
 葵さんが自分のケーキにフォークを入れるのを横目に見つつ、一口ぶん切ったケーキを口に運ぶ。……当たり前だが甘い。ふんわりとしたスポンジ生地、ミルク感たっぷりの生クリーム、新鮮で甘酸っぱいイチゴ。これでもかと言うほどのショートケーキである。決して不味いわけではないが、驚嘆するほど美味しいかと言うとそうでもない。要するにごく普通。あと男の俺にはちょっと甘過ぎ。
「うん。やっぱりショートケーキが一番美味しいと思うんだ」
 一方、もむもむとご満悦の表情でケーキを頬張る葵女史。そんな彼女の横で緑茶を啜る俺。クリスマス感はもはやどこかに吹っ飛んでいる。
「明石くんは、例えばどんなケーキが好きなんだい?」
「……なんでそんなことを訊くんですか」
「いや、今後の参考にね」
 いったい何の参考にすると言うのか。謎の返答を寄越す葵さんの考えを察するのは諦めて、ぼんやりと記憶を手繰ってみる。
 どんなケーキが好きか、という以前に、ケーキというもの自体それほど食べた記憶がない。ここ数年にいたっては一度も口にしたことがないだろう。もとより特に好きなわけでもなかったし、コンビニに並んでいるのを見たことくらいはあるが、自分から進んで買うことなどなかったのだ。だってもう、そんなモノを食べようなんて言ってくる人は、誰もいやしなかったんだから。
「───明石くん?」
 フォークを手にしたまま黙り込む俺を、葵さんは不思議そうな目で見る。
 ……そう、クリスマスなんて、俺にはもう縁の無い行事だ。どれだけ想定出来ない偶然が重なったとしても、どんな裏があったとしても、俺が大罪人の息子である事実は変わらない。逆賊として会う人すべてが敵になって、クリスマスを楽しむ余裕なんてあるはずもなかった。だけど、それでも……こんなふうに誰かと一緒にクリスマスケーキを食べるとか、そんな人並みの幸福が、かつては俺にだってあったのだ。
 最後のひとかけらを口に放り込み、咀嚼。戻らない思い出に浸っても仕方ない。───ただまぁ、たまには甘いケーキも悪くはないだろう。

「ご馳走様でした。俺も、ショートケーキが一番好きですよ」







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