Alice opens the parasol. #2
[ a l i c e p e k o e . ]



2/ fruity lemon

 都市間の移動に定期便を利用することが一般的となった現在でも、街道に向かう南街区は王都グランセルの玄関口として幾つもの露店や施設が軒を連ねている。
 その中で最も目立つのは、やはりリベールの国鳥たる白隼を戴いた噴水だった。キルシェ通りから続く門の正面に堂々と鎮座し、あふれる水流はきらきらと陽光を反射している。華やかな繁華街といった様相を呈する南街区において、待ち合わせをするのならこれ以上の目印はないだろう。事実噴水の周囲には、時計を眺める子供やお喋りに興じる少女らの姿がある。
 そしてヨシュアもまた、そんな人々の中にいた。手持ち無沙汰気味に噴水の縁に腰掛けて、行き交う人並みを眺めている。
 レンの計らいによってエステルとデートを、ということになったヨシュアだったが、これまたレンの言葉によりエステルに先んじて南街区へ向かい、こうして彼女を待つことになったのである。……同じ飛行船に乗ってきたのに。花束でも持ってという提案は、さすがにどうかと思ったので丁重に辞退しておいた。

 陽気のためか、グランセルの大通りは普段以上に人が多い。家族連れ、友人同士、カップルと思しき姿もちらほらと見受けられる。自分とエステルが並んでいる時は、そのどれに見られるのだろう。
 そんなことをぼんやりと考えていると、北街区の方から何やら悶々とした様子で歩いてくる少女が一人。見間違えるはずもない、エステル・ブライトそのひとである。

「エステル、こっち」
「あ……よ、ヨシュア。その、ちょっと遅くなったかも」

 声をかけると、彼女はやや緊張した面持ちでこちらに駆け寄って来た。どうも自分以上に『デート』というものを意識してしまっているらしいことはその様子からでも見て取れる。レンの言う通り、やっぱり女の子ってそういうものなんだろうか。
「エステル……その、もっと気楽にしてていいよ? 君に喜んでもらえないと意味がない」
「ふぇっ!? べ、別にそんなことないけど……!」
 おたおたと視線を彷徨わせた後、エステルはしばし頬を染めて沈黙する。疑問符を浮かべるヨシュアに、彼女は申し訳なさそうな笑みを浮かべ、
「……その……ヨシュアの方こそ、あんまり気に病むことないんだからね? お詫びを兼ねて、なんて言ってたけど……そりゃ、あたしだってたまに根に持ってるなんて言ってたから悪かったんだけど、本気じゃないって言うかっ……
 あのことは、引き止められなかったあたしも未熟だったと思う。ヨシュアにあんな選択肢を取らせちゃったことも含めて……だから、ヨシュアだけが悪かったわけじゃないんだから、その……もう、そんなことまで背負わなくったっていいんだよ?」
 ヨシュアの手を取り、エステルはじっと彼の瞳を見て伝える。あの出来事から一年余り、今思い返せば、きっと別離は必然だった。例え教授ワイスマンによる介入がなかったとしても────あのままの自分では、いずれ多くを零しただろう。
 無論、だからと言ってあれが正しかったことになるわけではない。でも、それでもきっと意味はあった。過ちは互いにあり、痛みを糧に成長できたというのなら、君だけが負い目を感じることはないのだと。
 朱玉の瞳を見つめ返し、ヨシュアはしばし言葉を失う。それから穏やかな笑みを浮かべ、そっと彼女の手を握り返した。
「……ありがとう、エステル。でも、そうだな……この件とエステルの心配は、本当はあんまり関係ないんだ」
 え?と瞳を瞬かせる少女に、ヨシュアは少しだけ照れくさそうに苦笑して、
「正直に言えば、たぶんそんなのは口実なんだ。僕にとって、君が喜んでくれるならそれがいちばん嬉しいよ」
 言って、彼は軽く少女の手を引いた。デートなんて気取ったものにはならないだろうけど、その方が自分たちらしいし、きっと楽しいに違いない。
 歩き出す少年に肩を並べ、エステルもやっと笑い返す。いつものように明るい笑顔で。

「……うん。それじゃあ行こっか、ヨシュア!」

 とりあえずは初めから、およそデートらしくない場所だけれど。
 賑やかに行き過ぎる人々の中、色とりどりの露店が並ぶ王都グランセルのメインストリート。何度も通った路なのに、二人でこんなふうに何気なく歩くのは、思えば初めてのことだった。


* * *


『────仲直りのシルシに、レンと一緒にかくれんぼしましょう?』

 その少女の提案を、シードは困惑しつつも承諾した。
 無論、彼とてレンがただ無邪気なだけの子供ではないことは理解している。あの脅迫状事件の折には、彼もまた当事者の一人だったと言えるのだ。A級を含む何人もの遊撃士や、王国軍、元情報部の人間すら欺き≪お茶会≫を画策した手口は巧妙と言うより他にない。レンの言葉に何の裏もないと思えるほど、シードも人がいいわけではなかった。
 しかし同時に、それは決して悪意あるものでもないはずだ。少女自身とは馴染みが薄くとも、彼にとって関わりの深い、信頼に足る人物たちが少女のことを受け入れている。ならばわだかまりを解く意味でも少女の「遊び」に付き合うのは悪くないはずだ。……何よりシードは、脚色なく本気でレンと交戦したことを気に病んでいるのだった。
 幸い本来彼がグランセルを訪れた用件───軍部予算に関する書類の受取は、その用意に時間がかかるらしく手も空いている。規定の待ち時間が経過したことを時計の鐘で確認し、レンに遅れることおよそ15分、シードはグランセルの城を出た。

「……しかし、範囲が王都すべてとは……これは骨が折れそうだ」

 軽く嘆息をついて、シードはレンから提示された『かくれんぼ』の条件を思い出す。
 まず、ステージはグランセルの街ほぼ全体。ただし発着場や、門より外になる周遊道などは含まれない。広範囲の捜索になるため情報収集は有り。また同じ理由で、レンは一箇所に隠れ続けるのではなく移動することになっている。姿を見つけるだけでは不可で、直接接触しなければならないなど。かくれんぼと言うより鬼ごっこである。
 制限時間はシードの書類が揃う夕方、午後4時まで。それまでに見つけられればシードの勝ち、見つけられなければレンの勝ちだ。もちろん勝ったからと言って、何か報酬があるわけではないが。
「さて、どこから行ったものかな」
 王城前の広場を抜けて、門の前に立つ兵士に目を留める。見張りの交代時間は一時間ほど前のことだ。彼ならレンの姿を見ているかもしれない。
「君、ちょっといいかな」
「はい───って、シード中佐!?」
 いきなり軍将校に話しかけられ、すわ何事かと焦る彼に、シードは軽く苦笑を浮かべ、
「いや、大した用件じゃないんだ。少し訊きたいことがあってね」
「は、はい、なんでしょう!?」
「12歳くらいの女の子を見なかったかな。黒いリボンをした、葡萄酒色の髪の子なんだが」
 口にしてみると、かなり怪しい質問だということに気付かされた。思わず頭を抱えたくなる。レンがこのことを見越して「他人に訊ねるのは可」という条件を提示したのであれば空恐ろしいと言わざるを得ない。不幸中の幸いだったのは、最初に訊ねた相手が自分のことをよく知っている軍兵士だったということか。
「葡萄酒色の────ああ」
 が、それ以上に兵士の彼には、心当たりがあったらしい。ぽん、と一つ手を打って、腰に提げたウェストバッグを探る。
「これ、その子から預かってますよ。シード中佐に渡してほしいって」
 そう言って彼が取り出したのは、一通の手紙と思しき封筒だった。いったいいつの間にこんなものを用意したのか……と思いながら受け取った封筒を裏返してみると、確かに差出人の記名欄にあの少女の名が書かれている。
 何のつもりなのかと首を傾げつつも、シードは封を開けて中身を検める。二つに綴じられた便箋には僅かに一行、

『おばけ戦車のびっくり箱はどこにお片付けしたの?』

 と、記されていた。

「………………?」
 それがいったい何の意図を持つメッセージなのか図りかね、シードは思わず眉をひそめる。便箋の裏や封筒の内側なども確かめてみるが、やはりあるのはその一文だけだった。
「どういうことだ……?」
 彼女のことだから、ただの気まぐれか悪戯という可能性も考えられる。軽く嘆息をついて、シードはひとまず手紙を内ポケットへと仕舞った。
「中佐?」
「ああ、いや……すまないが、その子がどこへ向かったかわかるかい?」
 手紙のことはいったん保留し、当初の考え通り兵士に少女の行方を訊ねる。彼ははい、と頷いて、南街区の方を指し示した。
「確か、この通りをまっすぐ歩いて行ったと思いますよ」
「そうか、ありがとう。助かったよ」
 そう頷き返すものの、まさかすぐさま見つけられるほど甘くはあるまい。堂々と南街区へ向かったというのがその証拠だ。すぐ道が折れる東街区や、この位置からでは建物に隠れて見えなくなる西街区へ向かったなら、シードは必ずしもその後を追うとは限らないだろう。しかし「通りをまっすぐに行った」というあからさまな足跡を残すことによって、追う側に自然とその道筋をなぞらせるという寸法である。
「……考えたな」
 その通りに行動すれば思う壺、かと言って無視するというわけにもいかない。感心したように呟くシードに、兵士の彼は思わず「は?」と口に出していた。
「あ、ああ、こちらの話だよ」
 どうも、彼はあの少女のことを知らないらしい。王都の事件の際にはグランセルにいなかったのか、それとも別の≪執行者≫に昏倒させられていたのかは分からないが。
「はぁ……そう言えば、あの子は中佐の姪御さんか何かで?」
「ん?」
 思いもよらない言葉に一瞬呆けてしまった。まぁ確かに知らない人間からすれば、そんなふうにも見えるのかもしれない。少女も「おじさま」などと言っていたことだし……
「……いや、残念だが違うよ。彼女はカシウス准将の────」
「は? ですが確か、准将の奥様はお亡くなりになっていると聞いて……」
 娘、と続くとでも思ったのか、兵士は僅かに眉をひそめる。自分でも何と言ったらいいのか今一つ判断が付かないまま、シードはやや躊躇しつつ、少女の公的な立場を口にした。

「───お孫さん、かな?」
「孫!!?」


* * *


 遊撃士協会ブレイサーギルドグランセル支部。がちゃり、という入口の扉の開く音で、受付係のエルナンは依頼届を貼り終えたばかりの掲示板から目を離した。

「いらっしゃい───と、おや」

 現れた二人の姿に、金髪の青年は思わず驚きの表情を浮かべる。黒髪の少年とツインテールの少女の二人組は、仕事柄さまざまな人と関わることの多い彼にとっても印象深い人物だった。
「エルナンさん、こんにちわ!」
「お邪魔します」
 元気良く挨拶する少女と軽く会釈をする少年────エステルとヨシュア。よく見知った顔ぶれに、エルナンもまた爽やかな微笑を浮かべた。
「一週間ぶりですね、エステルさんにヨシュアさん。その様子だと、カシウスさんの承諾も得られたようで何よりです」
 帰国に際してエステルらが軍将校であるカシウスと連絡を取るには、ギルドを通すより他にない。他国のギルドからの通信はすべてグランセル支部へと繋がるため、二人はエルナンを介して父と会う約束を取り付けたのだった。その際には彼にもまた、レンに関する一連の事情を説明してある。
「あはは……まぁ、なんとかね。説得するのに四時間もかかっちゃったけど」
「その節はお世話になりました。……正直、エルナンさんが事前に仲介してくれなかったら、さらにこじれていたでしょうから」
 揃って苦笑を浮かべ合うエステルとヨシュア。
 何しろ旅に出たはずの娘と息子が、唐突に帰国したと思ったら、そう年も違わない少女を一足飛びに「養子にする」と宣言してきたのである。以前に少女のことを話したことはあると言っても、話がもつれるのは当然の結果だった。
 レンをブライト家に引き取る、ということ自体は、カシウスもさほど反対したわけではない。問題となったのは、まだ十代の二人───公にはエステル───が、自分の子供として・・・・・・・・レンを引き取りたい、と言ったことだ。書類上はカシウスの養子ということにしてもいいのではないか、というエルナンの提案にも、二人は頑として譲らなかった。
 執行者No.]X、≪殲滅天使≫レン────その少女のことは、エルナンもよく覚えている。迷子として保護された悪戯好きで気まぐれな少女。そして≪お茶会≫と称された事件の黒幕。
 と言っても彼が直接知っているのは、エステルらと楽しそうに笑っていた少女のことだけだ。彼はそんなことを少しだけ、カシウスに言葉添えしたまでである。
「たいしたことはしていませんよ。最終的に准将を頷かせたのは、お二人の強い決意に他ならないのですから」
 言って、エルナンは柔らかな視線を二人に向ける。初めて会った時はまだ新米遊撃士に過ぎなかった彼らは、けれどまばたきのうちに大きく成長していった。こうした変化を見守るのも、受付係として感慨深いものなのかもしれない。
「……とは言え、お二人にとってはこれからが頑張りどころでしょうね。すべてが丸く収まることを、影ながらお祈りさせて頂きます」
 にこやかに微笑む青年に二人がそれぞれ頷いた時、カウンターの奥に設置された導力通信機のベルが室内に鳴り響いた。
「おや……ちょっと失礼します」
 赤色灯を明滅させる機材に駆け寄っていくエルナン。それに、エステルはぱたぱたと手を振って、
「あ、いいのいいの。そろそろあたしたちもお暇させてもらうわ」
「そうですね。お仕事中にお邪魔してすいませんでした」
 エステルの言葉に続いて、ヨシュアも軽く頭を下げる。もともと挨拶に寄っただけなのだ。通信機に手をかけたままの状態で、エルナンは二人に視線を戻した。
「そうですか……それで、お二人はすぐに帝国へ?」
「ううん、とりあえずはツァイスへ行くつもり。ティータ、レンのこと心配してたから会わせてあげたいの」
 なるほど、と頷きつつ、エルナンはあの金髪の少女のことを思い浮かべる。年近い彼女はレンと特に親しくしていたし、彼ら二人にもよく懐いていた。確かに一度も顔を見せず発ってしまうのは酷だろう。
「わかりました。ではまたエレボニアへ出発される時は、一度ここに寄って行ってください。あちらのギルドに連絡を入れておきますので」
「助かります、エルナンさん」
 いえいえ、と微笑んで受話器を取るエルナンに、小さく会釈をして二人はギルドを後にする。
 再び南街区の大通りへと出たところで、エステルは苦笑を浮かべ今出て来たばかりの扉を振り返った。

「なんか、ほんとエルナンさんにはお世話になりっぱなしよね。足向けて寝られないわ」
 冗談めかして言う彼女だが、声音には真実感謝の響きが篭っている。それに、ヨシュアもまた小さく頷いた。
「そうだね。いつか彼が困っているようなことがあったら、その時は精一杯力にならせてもらいたいな」
「うん。……と言ってもあの人の場合、あたしたちだけじゃなくて力になりたいと思ってる『ライバル』がたくさんいそうだけど」
 言って、二人してくすくすと笑い合う。直接現場に赴くことこそなくとも、グランセル支部の責任者として遊撃士たちに、ギルドの受付係として市民に信頼されている彼の人望は今さら確認するまでもない。エステルの言葉通り、彼の助けになりたいと考えている人間は少なくはあるまい。あの王都襲撃事件の際、支部を民間人の避難場所として開放したことも大きいだろう。
 連鎖的にレンのことを思い出してしまい、エステルは微かに表情を曇らせる。だが、視界の端に映ったものに、彼女は思わず目を丸くした。
「? どうかしたのエステル?」
 ヨシュアの背後へと注がれる彼女の視線を追って、彼もまたそちらを振り返る。しかしエステルが何を見たのか、それらしいものはもはや見つけることは出来なかった。

「エステル?」
「今……あのあたりにレンがいたような」

 ぽつりと呟いて、エステルは大通りの向こう側、西街区へと通じる交差点のあたりを指し示す。武器商店とオーブメント工房に挟まれた道から連なる小路地は、ここからでは建物の影になってよく見えない。二人が慌ててそちらに駆け寄る頃には、少女と思しき人影はどこにも見当たらなかった。
「……いない……」
「……そうみたいだね。長引いていなければ、そろそろ話が終わってもいい頃だけど……」
 ギルドで確かめた時計を思い出しながら言うヨシュアだったが、彼は直接レンらしき姿を見たわけではない。エステルの見間違いという可能性も充分に考えられる。
「見間違い……っていうことはないかな。エステルの言うことを疑うわけじゃないんだけど……」
「わかんない……あたしも、ちらっと見ただけだし」
 曖昧に答えるエステル。彼女自身、どうも確信はないようだ。ちょうどレンのことを考えていた時だっただけに、似た人影を勘違いしただけという可能性も否定できない。
 彼女はやはりレンのことが気になるらしく、塀の向こうに見える西街区の方へと物憂げな視線を送っている。それはヨシュアとて同じだ。時間的にはもう、城から戻って来ていてもいい頃合だが……

「おや……エステル君にヨシュア君じゃないか」

 と、そのとき不意に、二人は後ろから声をかけられる。
 聞き覚えのある声に振り向けば、そこにいたのはリベール王国軍中佐───マクシミリアン・シードだった。
『シード中佐!』
「久しぶりだね。王都にいることは知っていたが、こう早く会えるとは思っていなかったよ」
 声を揃える二人に、シードは笑みを浮かべて目を細める。彼と顔を合わせるのも、およそ一週間ぶりだった。
「この間はほとんど挨拶も出来なかったもんね。久しぶり、シード中佐!」
「その節はお世話になりました。こちらには仕事で?」
 表情を明るくし挨拶を返すエステルとヨシュア。シードにとってはレン同様、彼らが帰国直後にレイストン要塞を訪れた時以来の再会となる。ヨシュアの言葉にシードは小さく首肯した。
「ああ、届けなければならない書類があってね。事務方の都合で少し時間がかかるようだが……」
「ふーん……あ、それでお城の方から来たのね。じゃあ……」
 レンと会っていないだろうか。さきほどシードはエステルらが王都にいることを知っていたような口振りであったし、すでにレンと顔を合わせているのならそれも当然だ。無論、父から聞いたということも充分あり得るのだが。
「えっと……中佐、女王様かクローゼに会った? どんな様子だったかとか……」
 その、あまりにも彼女らしからぬ遠回しな言い様に、思わずヨシュアは小さく噴き出す。知りたければ直接確かめることも出来る彼女が、シードにアリシアやクローゼの様子を訊ねるのはあからさまに不自然だし、何をいまさら恥ずかしがっているのやら。エステルがレンのことを『目に入れても痛くない』くらいに気にかけているのは誰の目にも明らかだろうに。
 ……もっとも。そのあたり第三者に言わせてみれば、ヨシュアとて負けてはいないのだが。
「は……? いや、確かにさきほど殿下にはお会いしたが……特にお変わりはない様子だったよ?」
「あ、そ、そう! それならいいの……!」
 さすがに自分の問いがおかしなものであったことは自覚していたらしく、当惑したふうのシードにエステルはばたばたと手を振る。……まぁ、とりあえず聞きたかったことは聞けたので、結果オーライとすべきだろう。シードの言うさきほど、というのがどのくらい前かはわからないが、まだクローゼがレンと面会していないとは考え難い。その上で特に変わった様子がなかったと言うなら、ひとまず悪い結果になったわけではないということだろう。
「ああ……」
 こっそりと安堵の息を漏らすエステルに、シードは一度納得したように頷いた後、そこはかとなく渋い表情を浮かべた。
「そう言えば、殿下と一緒にレン君にも会ったのだが……」
『えっ!?』
 そのものズバリの名前を出され、エステルはおろかヨシュアまでもがシードを見る。予想以上の反応にやや気圧されながらも、彼は複雑そうに頷いた。
「玄関広間の廊下で偶然会ってね……それで今、彼女を捜しているところなんだ」
「捜す? レンがどうかしたんですか?」
「……かくれんぼをしよう、と誘われてね」
 何とも形容しがたい渋面を作るシードに、あー、とエステルは苦笑を浮かべる。かつて彼女もレンの『かくれんぼ』に付き合わされ、グランセル中をたらい回しにされたことがあるのだ。さぞ骨の折れることだろう。
「あはは……それは大変ね。
 まぁ、悪気はないと思うから、迷惑じゃなければ付き合ってあげて欲しいんだけど……」
「もちろん、そのつもりだよ。私としてもレン君とのわだかまりを無くす良い機会だと思っているんだ」
「お世話をおかけします、中佐」
 シードの言い分はやや生真面目に過ぎる感もあるのだが、彼のような立場の人間がそう言ってくれることはありがたかった。レンにとっても、幾らか心の負担が軽くなるのではないだろうか。少女がシードを遊びに誘ったのも、そんな意味があるのかもしれない。
 直にレンの『かくれんぼ』を知っているわけではないヨシュアだったが、話だけならエステルからも聞いている。レンらしい悪戯だ。それを思えば、自分たちの心配は少々大袈裟だったかもしれない。
「あれ? じゃあさっき見たレンってひょっとして……」
 はたと、エステルは先ほど見た少女が見間違いではなかった可能性に思い至る。それに今度はシードが反応を返す番だった。
「レン君を見たのかい?」
「え? う、うん。さっきこの道へ入って行くのが見えて……でも、一瞬だったから本当にレンだったかどうかはわからないわよ?」
 西街区へ続く通りを指し示しつつ、そう念を押しておくエステルだったが、シードにとってはそれでも助かることだったらしい。彼女らにはわからないことだったろうが、彼にしてみれば道行く人に「12歳くらいの少女を見なかったか」と訊ねて回るのは非常に体面のよろしくない問題なのであった。
「いや、助かったよ。ひとまず西街区へ捜しに行ってみようと思う」
 なぜかやけに清々しい笑顔を浮かべるシードに、はぁ、と生返事を返す。
 エステルが以前に経験したものでは、レンの行き先を示すヒントをクイズ形式で出題されたものだったが……今回はやらなかったのだろうか。やはり王国軍中佐という相手だけあって、難易度を上げているのかもしれない。
「それでは私は行かせて貰うよ。エステル君たちは……どうするんだい?」
「あ……あ、あたしたちはいいわ。ちょっと、その、用事があるから」
「そ、そうですね。すみませんがレンをお願いします」
 途端、なんだか慌てた様子の二人に疑問符を浮かべつつも、シードは西街区へと向かっていった。それを見送り、エステルとヨシュアはそれぞれほっと息をつく。
「まぁ……その、良かったわ。レンも、かくれんぼなんて言い出すくらいならそれだけ余裕があるってことでしょうし」
「取り越し苦労で何よりだよ。シード中佐には悪いけど」
 少し過保護が過ぎるのかもね、と、二人して苦笑しあう。ただ、エステルにはほんの少しだけ、引っかかるものがあった。
 それはあの≪お茶会≫に直接立ち会った彼女だからこそ感じえたものだっただろう。だが淡雪のように些細な違和感は、彼女が捉えるよりも先に溶けて消えてしまった。結果的に、エステルはこの時それを見逃してしまうことになる。

「さて、そろそろ僕たちも行こうか、エステル」
「う、うん。じゃあ次は───」

 往来を行き交う明るい人並みと、変わらない街の光景。そしてあの事件から過ぎた時間。
 ……何に気付くべきだったかと言えば、おそらくはそんなことだった。


* * *


 15時を告げる鐘の音が、グランセルの街に響き渡る。
 東街区エーデル百貨店の北口から姿を現したエステルとヨシュアは、その音に道向かいの時計台へ視線を向けた。

「15時か……少し休憩しようか、エステル」
「そうね、賛成♪」
 ヨシュアの提案に、満面の笑みで頷くエステル。二人の手には、それぞれ一つずつ紙袋が握られている。小一時間ほど店内を回った成果だった。
『次のデートの時のために、ヨシュアに買ってもらえばいいわ』
 そんなことをレンに言われたからというわけではないのだが───エステルの紙袋には、何気に私服が一着ぶん入っていたりする。ああでもないこうでもないと散々悩んだ末に揃いのリボンまで購入してしまった。ヨシュアは良く似合うと言ってくれたが、着ることはないかもしれない。
「ヨシュア、アイスでも食べよっか? ちょっと喉も渇いたし」
 言って彼女は、時計台のすぐ近くで店を開いているアイスクリーム屋を指差した。王室御用達などという噂も立つほどの評判の店である。ちなみにこの噂、あながち間違っているわけでもない。
「うん、それじゃあ僕が買ってくるよ。エステルは待って……」
「だーめ」
 足を踏み出したヨシュアを素早く静止する彼女に、彼は「え?」と戸惑いの瞳を向ける。それに、エステルは悪戯っぽく微笑んで、口許に人差し指を添えた。
「だってほら、ヨシュアを一人にしたらまた、アヤシイおじさんに拐わかされちゃうかもしれないし?」
「……その言い方は、何かすごく誤解を招きそうな気がするんだけど」
 呆れたように嘆息を吐き出すも、場所が場所だけに強く否定も出来ないところが悲しい。ひょっとしてそれを言うためにアイスなんて言い出したんじゃなかろうか。
「ま、それは冗談として。早く行こうヨシュア」
「はいはい」
 ご機嫌な様子でツインテールを揺らしながら、エステルはアイスクリーム屋へと向かっていく。苦笑しつつその後に続くヨシュアだったが、ふと視界の端を掠めたものに足を止めた。
「あれは───」
 北街区へ通じる路地に消えていく後姿。スカートのフリルがふわりと翻る。
「ん? ヨシュアどうかした───あっ!」
 ヨシュアの視線を辿って、エステルもまたその存在に気が付いた。一瞬だったが今度こそ間違いない。────レンだ。
 無言で頷き合い、二人はその姿を追う。しかし────やはりそちらへ辿り着く頃には、レンらしき人影はどこにも見当たらなかった。

「いない……」

 どちらからともなくぽつりと呟く。二人共に見たのだから、気のせい、ということもないはずなのに。
 シードと『かくれんぼ』をしているという話だったのだから、レンが街の中を歩いていること自体は不自然ではない。だが、どうして何も言わず去ってしまうのか。邪魔したら悪いと思っているにしても、声をかけるくらいはしてくれてもいいだろうに。ちらちらと姿を見かけるだけでは余計に気になってしまう。
「レンよね、今の……あたしたちに気付かなかったのかな」
「それはないと思うけど……どうしたんだろうね」
 何しろレンは元≪執行者≫だ。こちらが気付いたのだから、向こうが気付かなかったということもないだろう。むしろシードから隠れて回っている以上、レンはそれ以上に周囲を窺っているはずである。
「うーん……まぁ別に、危ないことになってるってわけでもなさそうだけど……」
 道の真ん中を堂々と歩いているくらいだから、どちらかと言えば余裕の部類だろう。もともと気まぐれな少女なのも事実である。
「ここであれこれ言っても埒が明かないね。いったん休憩しようかエステル。
 それから、僕らもレンを捜そう」
「……うん」
 にこり、と笑うヨシュアに、エステルもまた淡く微笑み返した。





「こんなこと、訊いていいかどうかわからないんだけど……」

 ふと。
 アイスクリーム屋≪ソルベ≫から少し離れたベンチに座って、エステルは半ばコーンに沈んだバニラアイスを食みながら呟いた。
「何?」
 ジェラートを掬ったスプーンを口に運びつつ、隣に座っていたヨシュアは彼女の方へと視線を向ける。躊躇いがちに、エステルは続きを口にした。
「ヨシュアって、……≪結社≫にいた頃、レンのことをどう思ってたのかなって」
「────────」
「やっぱり、妹みたいに思ってたの? あ、別にどうしても聞きたいってわけじゃないから、言いたくないならいいんだけど……」
 慌てて付け加えるエステルに苦笑しつつ、ヨシュアはカップの中のジェラートをかき回す。粘性のある独特の手応えも、陽気のためかすでに柔らかくなり始めていた。
「そういうことはないけど。……そうだな、妹みたいに思っていたのはむしろレーヴェの方だったと思うよ。僕はどちらかと言ったら───……」
 そこでいったん言葉を切って、ヨシュアは一瞬、遠い目をする。人形同然に過ごしていたあの日々の中で、それでも確かに、レンという少女は彼にとって『特別』だった。
「“娘”、……かな」
 口にする声音は、自分でも意外なほどはっきりとしたものだった。

「え……?」
「家族っていう意味ではないけどね。
 漠然としたものだから、言葉で明瞭にするのは難しいけど……あえて言うなら半身とか、後継とか……そんな感じだったと思う」
 内容の痛ましさとは裏腹に、語るヨシュアの口調はひどく穏やかだ。傷を隠すのが上手なひとだから、鵜呑みにしてしまってもいいのかどうかは微妙なところだけれど────まぁその、なんて言うかそれは。

 こっちが恥ずかしくなってしまうくらい、言うなれば“愛”に満ちたものだったと思う。

 詮無きことだとは知りつつも二人の結び付きの強さを見せ付けられているようで、エステルとしては少しばかり妬いてしまうわけなのだが。それもどちらに対しての嫉妬なのかわからずに、何も言えないままコーンを齧るしかないのだった。溶け始めたアイスのせいか、淵のあたりはふやけてしまって歯応えもない。
「さて。じゃあ次は、エステルの話も聞きたいな」
「ふぇ!? あたしっ!?」
 いきなり矛先を返されて、むぐ、とコーンを喉に詰まらせるエステル。それに彼はスプーンをぺろりと舐め取りつつ、当然のように頷いた。
「うん。王都ここでレンと一緒だったことは知ってるけど、詳しくは聞いてないからね。僕だけが話したんじゃ不公平じゃないかな?」
 それはそうかもだけど、と呟きつつ、エステルは残ったコーンをぱりぱりと咀嚼していく。確かに王都での思い出はあるが、それもほんの僅かな間のことなのだ。彼に聞かされたそれに比べればあまりにも他愛無い。
「んー、別に隠してるってわけじゃないんだけど……わ、わりとどうでもいいことよ?」
「そうなの? 再会した時にはもうレンのことを気にかけてるようだったから、何か特別なことでもあったのかなと思ったんだけど」
「と、特別と言うか……」
 それをヨシュアに言うのは、些かあてつけがましいような気もするのだが。
 コーンの包み紙をくしゃくしゃと折り曲げながら、エステルはどこからどこまで話せばいいのか選ぶように語り始める。
 エア・レッテンでの出会い。そしてエルベ離宮での再会。
 不戦条約締結に向けにわかにざわめく王都グランセル、その裏で起きていた不可解な脅迫状事件の最中に、一人の少女を預かることになったこと。
 両親に置き去りにされ、しかしそのことに気付かない幼く無邪気な女の子。同情からかお節介からか、あるいは────ヨシュアに去られた自らを、少女とどこか重ねたのか。彼女は事件の調査と並行して、少女の両親の行方を捜索することになる。
 はじめの頃は、おしゃまで、ちょっとマセた可愛い女の子だと思っていた。
 妹みたいな───というのとは少し違う。やけにしっかりしているところがあったし、どちらかと言えば、年の離れた友達のように感じていた。
 けれど少女が、≪執行者≫としての顔を露わにした時。
 そんな何気ない気持ちは斬り捨てられて、残ったのはただ「放っておけない」という想いだった。

……だって。
 レンは、どこかヨシュアと似ていたから。

 家に来て間もなかった頃のヨシュアじゃない。あの夜、別れを告げた時のヨシュアに似てると感じたんだ。


────そんなのは違う、と。


 そう、似ていたのは二人じゃなくて、彼女自身。
 突き付けられた現実にエステル自身が抱いた感情。それぞれの語る“真実”を、けれど彼女は直感的に否定した。重ねた時間の中で生まれたあたたかさは、確かに自分の中にある。それが偽りだなんて誰に言えるのか。
 5年間家族として過ごしたヨシュアと、数日一緒にいただけのレンでは、もちろん事情は違うだろう。だけど楽しげに笑っていた少女が、何もかも嘘だったなんて思えない。
 夢から醒めたようなこの忘れ路の街グランセルで、それでもひとり泣かなくても済んだのは、きっとあの子がいてくれたからに違いないから────

 理由なんてそれくらい。
 どうせもともと、小難しい理屈に基づいて行動するような性分じゃないし。拒絶されたからって割り切れるほど器用でもない。この目に映ったもの、自分自身で感じたレンを信じよう。


 ……だって、ほら。
 押し付けだって言われるかもしれないけど、やっぱり無邪気に笑っていたレンが、いちばん楽しそうだったから。






[ NEXT ]

BACK