Do you know the angel whereabouts? #2

2/ fairy tale

 はじめて人を殺した感慨は、あまりなかったと思う。

 血が飛んで汚いとか、断末魔の声がうるさいとか、思ったことと言えばそのくらい。不快さはあったけれど嫌悪と言うほどではなかったし、それもすぐに慣れた。
 食事や睡眠とおんなじだ。生きるために必要だからやっているだけで、そこに余分な感情など持ち得ない。

 ≪結社≫の仕事で人を殺すようになってからも、それはあまり変わらなかった。
 むしろ以前より容易く殺せるようになったぶん、あっけなさばかりが増してソレはただの結果に成り下がってしまったように思う。ソレよりもそこに到る過程、他者の生殺与奪を自分が握っている感触、無害な子供を装い裏切る瞬間の方が愉しい。
 蹂躙されるばかりの日々だったから、それを他人に返すのはとても気持ちが良かった。どうしたら少しでも多く苦しんでくれるか考えて、上手くいった時はこの上なく愉快だった。
 そうすると空っぽだったココロの中が、ちょっとだけ埋められていく感じがするのだ。
 命を刈り取る行為そのものよりも、積み上げてきた人生とか、そこにある心とかをぜんぶ台無しに出来るのが好き。優越感に酔っている間は、踏み躙られてきた尊厳を取り戻せたように思えたから。

「クスクス……ねぇ、かくれんぼはもうおしまい?」

 こつん、と、石造りの床が軽やかな足音に鳴る。
 ちりちりと肌を灼く熱気。いろいろなものが焼け焦げる匂いに、むせ返るような血の匂いは掻き消されている。
 気が狂うようなアカい光景の中で、場違いなほど愛らしい声が響いた。
「ダメよ、そんな隠れ方じゃ───レンはね、かくれんぼは見つけるほうも得意なの」
 ひしめくアカに照らされて、妖精めいた少女の姿が浮かび上がる。
 年の頃はまだ二桁にも届かないであろう、無邪気に笑う可憐な顔立ち。幾重にもフリルをあしらったスカートの裾が踊るように揺れて、わざとらしい靴音と共に立ち止まった。
 積み上げられている木箱を見上げ、レンはクスクスと悪戯に笑う。そして少女の身の丈ほどもある巨大な鎌を、無造作に一閃した。

────ジャッ!という空気が断裂する音と、木箱が崩れ落ちる音。
 ばらばらの木片が床に散らばる。残されたのは綺麗な断面を覗かせる木箱が二つと、その向こうで震える一組の母娘だった。

「うふふ……みーつけた。」

 庇うように娘を抱きしめてレンを睨み付ける母親と、腕の中で泣きじゃくる娘。おそらくはたまたまここに居合わせただけの民間人なのだろう、娘の方はレンより少し年上くらいの、まだ幼い少女だった。
「ぁ、あ……! 娘……娘だけは、たすけて、お願い……!!」
 がくがくと震えながら必死に懇願する母親を、冷めた目で見遣る。
 すぐに殺してしまおうかとも思ったが……ふと思い止まって、レンは薄い笑みを母娘に向けた。

「そうねぇ……あなたがどのくらい、その子のことをアイシテルかわかったら考えてもいいわよ?」
「え……」
「うふふ、難しいことじゃないわ。
 たとえばその子のお誕生日、ちゃんと毎年お祝いしてあげてる?」

 意図の掴めない質問に、母娘は顔を見合わせる。戸惑いながらも頷く母親に、レンはすっと目を細め、

「本当かしら?」
「あ、当たり前でしょう……!」
「そう。じゃあ今年……まだだったら去年でもいいけれど、お誕生日のプレゼントには何をあげたの?」
「……ケーキと……洋服を2着……なんだったらどこの店でどんなものを買ったか言ったっていいわ……!」

 母親の言葉にぱたぱたと手を振って、いらない、と短く返す。

「ふぅん……それじゃああなたは、その子のほんとのママなのね」

 言ってレンは、外見相応の可愛らしい笑みを少女に向け。


「ならいいわ。────死になさい」


 鈴鳴る声音で、死刑を宣告した。


 悲鳴を上げる暇さえなく、鋭利な刃が振り下ろされる。
 ……ばしゃ、という水音。床と壁に、真っ赤な液体が撒き散らされる。
 ゴトリと崩れる赤く染まった二つの塊を、レンは冷たく見下ろした。

────いいでしょう、このくらい。
 レンが寒くて痛い石の部屋で酷いことをされてるときも、あなたたちはあったかいおうちで笑っていたんでしょう? 止めてってばかみたいに繰り返していた時だって、あなたたちは幸せだったんじゃない。
 ならこれくらいのことは、仕返しにもならないはずだ。レンがされたことに比べたら、まだまだぜんぜん不公平。

 ぶん、と大鎌を振るい、レンは刃に付いた血を払う。鮮血の飛沫はちょうど音もなく開いた扉にぶつかり、ぴしゃりと音を立てた。

「あ……、ヨシュア!」

 途端に声を弾ませ、入って来た少年に駆け寄るレン。少年は室内を見渡し、すぐに血溜まりに転がる二つの死体に気が付いた。
「殺したの、レン」
 訊ねると言うよりは確認のために問うヨシュアに、レンは得意げに微笑んで、
「えぇ、そうよ。……殺しちゃダメだったの?」
「いや、生存者は残さないようにっていう指示だったから、そこは問題はないよ。ただ頭部を切断したのは上策じゃないな……この砦が陥ちたのは不運な火事・・・・・だったんだからね」
 淡々としたヨシュアの言葉に、そっか…、とレンは項垂れる。
 エレボニア帝国に隣接する自治州と、帝国の間にある関所───それが彼らの、今夜の任務地であった。
 夜半、ゲートが閉じている時に“運悪く”火災が発生。ゲートを開閉する装置は炎によって動作不良を起こし、居合わせた人間は砦の中に閉じ込められてしまう。懸命の消火活動にもかかわらず火の手は弱まることなく、建物は全焼、中にいた人間も全員焼死した───そういうこと・・・・・・になる手筈なのだ。
 多少の傷なら炎に巻かれる段階で判らなくなるだろうが、さすがに頭部のない死体を焼死体とは考えまい。肩を落とすレンに、ヨシュアは気にしないで、と言葉をかける。
「そのくらいなら上がどうにかしてくれるよ。それよりもそろそろ撤収しよう。レン、人形兵器オーバルマペットに指示を出して」
「はぁい」
 答えてレンは、関所内で延焼行動や生存者の探索を行っていた人形兵器オーバルマペット7体に撤収を命じる。たかが一つの砦を陥とすのに7体という数は多いが、今回の任務はレンの実戦訓練も兼ねていた。工房での演習では最大21体の人形兵器を操ることが出来たレンだが、やや斑のある性格のためか、実地での完全な思考分割は精度を落としがちだった。
「……このぶんならあと一時間もすれば全体に火の手が回ると思う。レン、屋上の哨戒機から飛行艇に連絡を」
「わかったわ。それじゃあ帰りましょっか、ヨシュア」
「そうだね。まずは≪十三工房≫に報告に行こう」


* * *


────≪十三工房≫。
 ≪蛇の使徒≫の一員たるノバルティス博士自らが最高責任者を務める、≪身喰らう蛇≫直属の導力器オーブメント製造機関。
 その技術力は大陸最高の技術国家リベールをも大きく上回り、≪結社≫で使用される戦術導力器オーブメントはもちろん導力銃や人形兵器オーバルマペット、そして超弩級飛行空母≪紅の方舟グロリアス≫をも造り出している。≪結社≫に従属する組織の一つでありながら≪結社≫の根幹を支える第一頭脳プライマリーブレイン
 この、≪結社≫の拠点の中に設けられたラボも、そんな組織のものの一つだった。

「───ご苦労様でした、≪漆黒の牙≫。『ドーター』の方は問題ありませんでしたか?」

 ラボの一角でヨシュアを出迎えたのは、人形遣いとしてのレンを担当する≪十三工房≫所属の研究員である。年の頃はヨシュアよりも4、5歳上といったあたりの、まだ子供と言って差し支えない少女だ。肩口にかかる黒髪はヨシュアのそれとは違い、暗緑モスグリーンに近い。
 なお、『ドーター』というのは彼女特有のレンへの呼称である。理由はわからないが、彼女は名前で呼び合うのを嫌い番号や通称で他人を呼ぶ性癖があった。アルビコッカ・ニードという名前も、おそらくは偽名だろう。

「安定していたように見えたよ。あと数体くらいなら、今のレンでも制御できるだろうね」
「人形に記録されていたデータからも特に問題のある箇所は見受けられませんでした。数を増やすのではなく、次はもう少し大型の人形兵器に移行させることにします」

 淡々とした二人の会話には興味がないのか、レンは勝手にラボの中を歩いて行ってしまう。関係者以外で立ち入り可能な場所は多くはないが、彼らの話を聞いているよりかは、新しく造られる人形兵器の製造ラインでも眺めていた方が退屈しない。
 レンはここで造られる「お人形さんたち」が好きだった。お人形さんたちは、一言で言うなら「キレイ」なのだ。まっしろでなんにも持ってなくて、強いけど簡単に壊れちゃう。そういうところはヨシュアも似ていた。だから自分はヨシュアが好きなのだろう。
 そんな「キレイ」なカレらとお友達になる方法を教えてくれたから、レンはアルビコッカや工房も嫌いではない。≪結社≫にいる猟兵たちはいじわるな大人を思い出して嫌いだけど、工房の研究員たちは白くて清潔だから。……少なくとも、彼女に見えている部分では。

 とことこと通路を進んでいくと、レンはふと、普段は開放を禁止されているドアが開いていることに気が付いた。

「んー……入ってもいいっていうコトかしら?」

 日頃閉じられているのだから入らないほうがいい、という客観的な判断は、閉じられているからこそ気になる好奇心に傾く。中は照明が点いておらずどうなっているかはわからないが、廊下こちら側からの光で作業用通路に通じているらしいことは見て取れた。
 開けっぱなしになっているのだから、閉め忘れではない限り入ってもいいということだろう。閉め忘れだとしたら閉め忘れたひとが悪い。
 自分の中でそう結論付け、レンは扉をくぐる。
 その一つ向こうの部屋にいた、≪道化師≫の姿には気付かずに。


* * *


「レン?」

 少女を捜していたヨシュアは、ほどなくして、普段は立ち入り禁止になっている扉の向こうに目当ての姿があることに気付いた。
 何かをぼうと見つめている彼女は、ヨシュアの呼びかけにも反応を示さない。眉を顰めてもう一度声をかけるが、やはりレンは作業用通路の上に立ち尽くしたまま動こうとはしなかった。
「レン、そっちは───……」
 ドアは開いているが、やはり中に入るのには躊躇が伴う。こういった組織の中では些細な好奇心が自らの身を滅ぼすことになると、ヨシュアはよく知っていた。それは彼が≪執行者≫の中でも特殊な存在であることにも一因するが、レンが咎められる事態は可能な限り避けるべきだ。
「構いません、≪漆黒の牙≫。どうやらはじめから開いていたようですから」
 言ったのは、彼と共にレンを捜していたアルビコッカだ。
 もともとこのドアは施設の責任者か、それ以上の権限を持つ者にしか渡されていないカードキーを使用しなければ開かない仕組みになっている。レンが開けたとは考え難い以上、最初から開いていたと見るのが妥当だ。
 そして開いていたのなら、開いていた理由があるのだろう。単にそれが、アルビコッカには与り知らないものであるというだけで。
「……そう。それなら入らせてもらうよ」
 現状と自身の立場、アルビコッカの性質と工房での位置から被るデメリットの低さを弾き出し、ヨシュアは中へと踏み込む。通路の床に使われている金網が、かしゃりと足下で音を立てた。

「──────……!」

 中に入り、彼は思わず息を呑む。
 地下2階から連なる内部は、通常の開発室のゆうに3倍はあるだろう。その中を縦横に伸びる作業用通路キャットウォーク
 だが何より目を引くのは、この部屋の大きさに見合う威容の機体────薄暗い室内に黒々とわだかまる、巨大な人形兵器であった。
 八割方の開発は終わっているのだろう、機体にはほぼ外観的な欠落は見当たらない。人形という言葉の通り、ヒトのカタチを模した鋼の巨躯────ドアから差す照明の僅かな光の中に浮かび上がるそれを、レンはじっと、憐憫とも憧憬ともつかない瞳で見つめていた。

「───開発中のゴルディアス級戦略人形兵器、登録名称は未定です。
 本来は機密扱いですが、あなた方なら問題ないでしょう」

 いつも通りの無表情で、抑揚なく告げるアルビコッカ。
 ≪執行者≫であるヨシュアとその候補に挙げられているレンであれば、事実機密事項を話したとしてもさしたる問題にはならない。だがそれ以上に、アルビコッカは彼らになら構わないという確信があった。
 ……命令を果たすだけの機械のような少年と、≪結社≫以外に身の置き場などない少女。そんな子供たちが、機密漏洩などという“余分”を行うはずがないのだから。

「ゴルディアス級……道理で。話には聞いたことがあるけど、これほどのものとは思わなかった」
「単純な戦闘力でなら≪執行者≫とも渡り合えるでしょう。もっとも、制御機構が未完成のため開発は頓挫していますが」

 あっさりと言ってのけると、アルビコッカはこつこつと音を立ててレンの傍らに立つ。
 巨人の無機質な貌を見つめる少女の横顔には、いつものあどけなさはない。ただどこか、何かを切望するように、ひたすらに視線を投げていた。

「これに興味があるのですが、『ドーター』」
「…………わからない」

彼らの存在にはとうに気付いていたのだろう、特に驚くでもなく、ぽつりと答えるレン。少女はようやくその視線を、人形から二人へと移した。
「ねぇアルビコッカ、レン、このお人形さんとお話がしたいわ」
「レン……!」
 少女の言葉に、ヨシュアが僅かに表情を険しくする。
 彼女の言う「人形と話をする」というのは、即ち人形の制御者コントローラーになるということである。ゴルディアス級の戦略人形兵器を操るとなれば、果たしてレンにどれほどの負荷がかかるか定かではない。
「難しいですね。現状ではこの機体を操れるほどの思考分割を可能とする者は≪十三工房≫にもいません。システム的な面での問題も残っているため、制御者の負担は避けられないでしょう」
「それでもいいわ。レンはこのお人形さんとお友達になりたいの」
「……レン」
 徹底して『痛み』を受けるのを嫌うレンが、自らの負荷を省みずここまで強い意思を見せたのは初めてだった。人形遣いとしてはヨシュアよりも優れているレンだからこそ、それが容易なことではないと理解しているはずなのに。

 ヨシュアですらそう思うのだから、アルビコッカはなおさらだろう。彼女はあくまで≪十三工房≫の人間でありレンを気遣う理由はないが、凍結されているとは言えこの人形は≪十三工房≫の技術の結晶とも言える。安易に了承は出来ない。
 しばし思案するように口許に手を当てていた彼女は、やがてレンに向き直り、ゆっくりと頷いた。

「…………了解しました。私の一存では決定出来ませんが、プロジェクトチームのほうへ提案してみます」

 あらゆる環境に適応するため、必要な能力を吸収していくのがレンという少女に備わった才能である。苦痛となる原因を与える方が、彼女の力を開花させるには効率的かもしれない。
 必要でなければ痛みを強いるようなことはないアルビコッカだが、必要ならば行うのもアルビコッカである。そこに同情や憐憫を差し挟む余地などありはしない。────きっと、そんな半端は許されない。

「『ドーター』、ではこの機体の登録名称を───」
「あ、それならレンに素敵なアイデアがあるわ」

 アルビコッカの言葉を遮り、レンは楽しげに微笑む。まるでお願いしたプレゼントを、ようやく貰えた子供のように。

「おとぎ話のパテロとマーテルから────≪パテル=マテル≫っていうのはどうかしら?」

 いい名前でしょう?と、得意げに言うその少女に、果たして彼らが何を言えただろう。
 おとぎ話のパテロとマーテル。妖精の娘を助け、我が子のように愛し育てた老夫婦の名。それをひどく特別なもののように、モノ言わぬ機械人形カラクリに与える少女の想いなど────

「ほら、アルビコッカはレンのこと『ドーター』って呼ぶでしょう? 『ドーター』は“娘”っていう意味だから、それにちなんでみたのよ?」

何の救いにもなりはしない。
苦しみを和らげることすら出来ない。
痛ましく愚かしい、怨嗟と渇望に濁る虚言。

 奪われたモノも奪ってきたモノも、そんな戯れでは何一つ誤魔化せないと知っていて、それでも────きっとそんな罰からだって、≪パテル=マテル≫は守ってくれるはずだから。


「───わかりました、では≪パテル=マテル≫と。正式な決定ではありませんのでその点だけは留意して下さい」
「ええ、構わないわ。どんなお名前に決まったって、レンにとってはもう≪パテル=マテル≫だもの」

 悪戯っぽく笑うレンから、アルビコッカは一度だけ僅かに視線を逸らした後、普段通りの平坦な声で続けた。

「それでは『ドーター』、本日分の検査と適合テストが残っていますので、こちらへ」

 はぁい、と答えて、レンは踵を返すアルビコッカの後ろをついていく。
 ヨシュアもまたその後に続くが、部屋を出る前、少しだけ足を止めて、もう一度巨人を振り返った。


────暗がりに微睡むツメタイ鉄塊。
 強大な力を持ちながら、自身のみでは動くことすらままならず他者によって自己を象る。その在り方は、ダレかにひどくよく似ていた。

例えば、空っぽの自我を抱えたまま生きる意味も死ぬ意味も見出せずにいる誰かとか。
例えば、いつも他人の都合だけで自らを狂わされ、生き抜く術を身に着けるしかなかった少女とか。


 ……小さく首を振って、無意味な感傷を振り払う。
 すでにココロを亡くした彼には、そこから何も生み出せない。ここにいるのは≪結社≫によって生かされているだけのヒトガタで、そんな余分はいらないから。

 少女は強い。
 きっと自分のように、暗闇に溺れてしまうことはないだろう。
 けれどその強さゆえに、彼女は闇にさえ馴染んでしまう。

 負を打ち消すのはいつだって、正の強い輝きだけだ。それは、少女に許された居場所には望むべくもないものだった。







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